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高校時代の学びを振り返る

今回は、自分の中で印象に残っている学びをつらつらと振り返ってみます。
(単純に、今まで時間をとって考えたことがなかったので)
 

自分にとっては「学び=高校の授業」

最近まで気づかなかったのですが、学びの原点みたいなものについて考えるときは、だいたい高校時代のことを思い出しています。
 

鴨長明の物語

最初に思い出すのは、あるとき古典の先生が語った鴨長明のお話。
師の俊恵、そして藤原俊成と定家を絡めた和歌にまつわるあれこれ。それから出家に至るまで。
古典というのがリアルな人間関係のもとに成り立っているのだと、高校生当時そこまで明確に思ったかは疑わしいけれど。
そのあと河合神社を訪れるくらいには印象的だったし、今でも時々思い出します。

文学的読解に寄った先生というわけではなかったはずです。むしろ文法や単語を重視する先生だった気が。
助動詞の活用を指名された人から順に1人ずつ答えていくというスリリングな時間もあったり。
(な→に→ぬ→ぬる→ぬれ→ね)

けれども時々はさまれる裏話的な数々が新しい発見で。
もともと国語は好きだったけど、古典への興味が深まるきっかけになったかもしれません。
 

インパクト日本史

日本史の先生は、抑揚をつけたり寸劇を交えて歴史を教える先生でした。
そのため記憶にも映像として残っていることが多いです。

例えば「卑弥呼よりあと、女の王が・・・【イヨちゃん】!」という、あの間とアクセントは20年近くたった今でも鮮明に覚えてたり。
ティアドロップ型のサングラスを身に着けて実演を初めたときのことなんかは、爆笑する女子たちの声や表情も含めて蘇ったりします。
 

「デカルト以外の方法で証明せよ」

少し毛色の違う話ですが、倫理のテストというのも別の意味で印象に残っています。
中間テストの最後の問題。
たしか「私の存在が確かなものであるということをデカルト以外の方法で証明せよ」という記述問題だったはず。

今もなお何を書けばよかったのかさっぱりわからない。
・「我思う、故に我あり」以外の言葉で説明すればいいのか。
・デカルトの方法そのものではないことを書けばいいのか。
模範解答を提示しない主義の先生だったので、結局わからずじまい。
それでも思い出すという意味では、学びのきっかけを与えてもらったのかもしれません。
 

記憶の片隅に引っかかる学びを届けたい

今回振り返った3つの学びは、社会人になってから直接的に活用した知識ではありません。
ただ、その後の自分の興味の範囲に影響を与えている出来事という意味では、間接的な学びになっているのかなと思ったりします。

学びの内容がいつどこで実を結ぶかは予想がつかない一面もある。
そのときを信じて、ほんのわずかでも記憶に残せる学びを残せたら。
私は学校の先生ではありませんが、そんなことを考えながら最近の仕事に取り組んでいます。


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