見出し画像

もーちのVR日記その10 だって寿司ペロ高校生はハリー・ポッターだから

スシローの迷惑動画をまだ憶えているだろうか?

スシローの迷惑動画を投稿した高校生は、あれほど炎上して損害賠償請求されるまでのことをしたのかという論争がある。「していない」側に立つ代表的な論者は白饅頭氏だ(有料記事につき割愛)。

 (罪刑法定主義などにみられる)行為との釣り合いからいえば、確かに高校生のあやまちはあんな狂乱めいた炎上に値するような事柄ではないだろう。しかし「さすがに可哀想だ」とか「この状況は間違っている」という論にあまり乗りきれないもーちがいる。

 それは寿司ペロ高校生の動画がいわば炎上界のハリー・ポッターだからだ。SNSの炎上ランキングという限定的な分野で、他を押しのけて圧倒的な1位に君臨できてしまった。「スシローでペロペロする高校生」は炎上系なら誰もが羨むチャンピオン、いわば”逆方向の大成功者”である。なかなかなれるものではないが、そうなった時点でほぼ確実に分不相応者になる。こうしたランキングでトップに立つものは勝者総取りの法則で祝勝されると相場が決まっているからだ。
 たしかにあの事件はファンダメンタルズに見合わない大炎上かもしれない。しかしこの構造を是正したいなら、まずハリー・ポッターはなぜあんなに売れているのかというところから切り込んでいかなければならない。

世界で一番売れるということ

 世界で一番売れているファンタジー小説「ハリー・ポッター」の発行部数は累計6億部、その辺のラノベシリーズを遥かに凌いでいる。まさに何千倍も売れている。しかしハリ・ポタの面白さは一般文芸作品の何千倍もあるといえるだろうか? 否である。ひとつは「ハリー・ポッター」より他の作品の方が好きという人間が無限に存在すること、さらに普通に楽しめる一般文芸作品の何千倍もの「面白さ」を脳が受信すればおそらく脳内麻薬で大変なことになってしまうだろうという想像から容易にわかる。

 はっきりいってハリー・ポッターは売れているほどはおもしろくないのだ。じゃあなぜ世界のベストセラーの実相はこんなことになってしまうの? と問われればたんに構造的問題としか言いようがない。
 なるほどマーケティング論からは「普通の本は文芸マニアしか買わないが、ハリー・ポッターは普段本を読まない層という市場にアクセスできた。だからあれほど発行部数を伸ばせたのだ」みたいなもっともらしい仮説を提出することができるだろう。しかし、アメリカ人の所有資産は10ドルしか持っていないひとがいるいっぽうでビル・ゲイツの資産は1165億ドル(という構造になっている)など、このような構造はどこにもありふれているのだ。この種の出来事にいちいち個別の仮説を立てなくてもよくて、実はタレブの「果ての国」というキーワードで尽くされている。

果ての国のできごと

月並みの世界・・・ベル型カーブに従って分布し、特定の事象が単独で全体の大きな部分を占めることはない。 アウトライヤーは無視できるほどインパクトの小さいもの。
例:身長、体重、カロリー摂取。 100人の中にひとりだけすごく太った人がいても平均体重などの統計には微々たる影響。
果ての世界・・・データ1つが全体に圧倒的な影響を及ぼす。
例:財産、本の売上、社会的事件、都市の人口。 100人の中にビル・ゲイツのような大金持ちがいれば、あとの99人はいてもいなくても統計的には同じ。

https://blog.ladolcevita.jp/2009/07/10/post_224/
強調筆者

 月並みの国・・・歯医者、コンサルタント、マッサージ師、など。 一定の時間で面倒を見られる患者やお客の数は限られるため、稼ぎが何倍にもなったりはしない。
果ての国・・・アイデア人間。 作家、起業家、など。 本を100冊売るのも、1,000万部売るのも、書くことにかける労力は変わらない。 うまくいけば(= 良いブラック・スワン)自由時間がたっぷり取れるが、「果ての国」の性質上、一握りの人間がすべてを得る(Winner takes all)。

https://blog.ladolcevita.jp/2009/07/11/post_225/

SNSでは10リポスト稼ぐのも10万リポスト稼ぐのも、同じような労力しか掛からない。そしてビル・ゲイツのように1000万いいね稼ぐポストも存在しうる。ネット炎上は果ての国のイベントなのである

 果ての国のイベントなので「普通の本は文芸マニアしか買わないが、ハリー・ポッターは普段本を読まない層という市場にアクセスできたから発行部数を伸ばせたのだ」みたいなあとづけの分析はあまり意味がない。果ての国にはたらく強力なフィードバック(「マタイ効果」)によって、ただ注目されているというだけで注目を集めた巨大な勝者(ウィナー)ができあがる。注目されたから注目されただけなのに、これだけ注目された理由を人間はあとづけで色々考えたがる。その解釈はだいたいにおいて間違っている。

それが人生だ



 われわれの社会がハリー・ポッターのような勝者を許容するのなら、その注目という名の勝利の美酒には何の道徳性(=合理性)も付与されていないことを認識した上で、逆に寿司ペロ高校生のような人間も「まぁたまには現れるよな」と許容していかなければならない。もちろんその炎上行為叩きへの執着には何の道徳性(=合理性)も付与されていないことを認識した上で、である。

 なるほど成功に関しては上限なしでもよいが、マイナスだけは人を守るため画りたいという立場もありうるだろう。しかしそのふたつがまったく同じ構造によって生じる以上、難しいのではないか。そもそも成功に関して上限を設けない現代だからこそ「売れない作家はみんな食えない」みたいな状況が現出しているわけで、なぜハリポタだけを許容できるのか? という問題がある。

 炎上はまったく見合っていない、それが人生だ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?