拝領唱 "Dicite: Pusillanimes confortamini" (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ50)

【更新履歴】
2022年6月2日
● これまで「グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ」に入れていなかった聖務日課用聖歌を新たにこのシリーズに入れたことに伴い,本稿の番号を変更した (49→50)。内容には変更ない。
2021年11月26日 (日本時間27日)
● 音源を追加した。本文の内容に変更はない。
2021年11月24日
● 投稿



 GRADUALE ROMANUM (1974) / GRADUALE TRIPLEX pp. 23-24; GRADUALE NOVUM I p. 15.
 gregorien.infoの該当ページ

【使用機会】

 アドヴェント (待降節) 第2週の月曜日とアドヴェント第3週 (12月16日まで,かつ金曜を除く) に歌われる。

 旧典礼 (1969年のアドヴェント前まで行われていたもので,現在も一部の教会で「特別形式」の典礼として続けられている) での使用機会はアドヴェント第3主日である。

【テキストと全体訳】

 まず,GRADUALE ROMANUM/TRIPLEXにあるテキストとその訳例を示す。

Dicite : Pusillanimes confortamini, et nolite timere : ecce Deus noster veniet, et salvabit nos/vos.
言いなさい,「怖気づいている人たちよ,しっかりしなさい,恐れるのではありません。ほら,私たちの神がおいでになろうとしています,私たちを/あなたたちをお救いになろうとしています」と。

 しかしLaon 239の写本 (このPDFのページ番号でp. 14) やEinsiedeln 121の写本ではこれが,

dicite pusillanimis confortamini et nolite timere ecce deus noster veniet et salvabit vos
怖気づいている人たちに (※) 言いなさい,「しっかりしなさい,恐れるのではありません。ほら,私たちの神がおいでになろうとしています,あなたたちをお救いになろうとしています」と。

となっており (なおvの字はいずれの写本でもすべてuとなっているが,読みやすさ・比較しやすさのため敢えてvで書いた),GRADUALE ROMANUM/TRIPLEXと比べると "Pusillanimes" が "pusillanimis" となっているほか (なお,Pが大文字であるか小文字であるかは重要でない),最後の "nos/vos" は "vos (あなたたちを)" となっている

※ ラテン語の格変化をある程度ご存じの方は,"pusillanimis" が「怖気づいている人たちに」と訳されていることに疑問をお持ちになるかもしれないが,これについては逐語訳をごらんいただきたい。

 これら2点のうち,前者は意味の上でも演奏上も特に重要である。訳文をごらんになっての通り,文の切れ目が異なってくるからである。GRADUALE ROMANUM/TRIPLEXの楽譜を見ると,そこで採用されている "Dicite : Pusillanimes ... (言いなさい,「怖気づいている人たちよ……」)" というテキストの通り "Dicite" の後に中区分線が,"Pusillanimes" の後に小区分線が引かれている (つまり,"Dicite" の後の区切りのほうが大きくなっている)。しかし2つの古写本に従って "pusillanimis" を採用するならば,文の切れ目はこの語の後にくるので,当然歌い方もそれに従ったものにしなければならないことになる。

 Laon 239やEinsiedeln 121は10世紀の写本だが,9世紀の諸写本 ("Antiphonale Missarum Sextuplex" にまとめられているもの) を見ると (AMS pp. 6-7),この拝領唱が載っている5写本のうち4写本においてLaon 239やEinsiedeln 121同様 "pusillanimis" となっており,残り1写本には "pusillanimi" とある。"pusillanimi" は,この文脈では「怖気づいている人たちよ」という意味 ("pusillanimes" と同じ) になる。"nos/vos" については,5写本すべてが "nos (私たちを)" としており,Laon 239やEinsiedeln 121と異なっている

 ラテン語学習の教材としてお使いになりたい方のため,古典ラテン語式の母音の長短を示す。このテキストは教会ラテン語なので,この通り発音されるべきだというわけではなく,あくまで学習用のものとお考えいただきたい。
Dīcite pusillanimēs/pusillanimīs/pusillanimī cōnfortāminī, et nōlīte timēre : ecce Deus noster veniet, et salvābit nōs/vōs.

【元テキストとの比較】

 この拝領唱アンティフォナのテキストの出典はイザヤ書第35章第4節だが,Vulgataの当該箇所そのままではなく,少し言葉が削られている

画像1

ごらんの通り,「神が報復の罰 (復讐) をもたら」すという要素がアンティフォナのテキストでは省略されている。この「報復 (復讐)」は「怖気づいている人たち」を苦しめている敵に対するものなので,あくまで救いのメッセージの一部ではある。しかしそれでも,「敵を攻撃する・滅ぼす」というような内容は好ましくないと考えられたようである。旧約聖書のテキストに対するこのような態度は,アドヴェント第2週の入祭唱 "Populus Sion" においても極めて顕著に見られる。
 ほかには,Vulgataで "Deus vester (あなたたちの神)" となっているところが拝領唱では "Deus noster (私たちの神)" となっていることも注目される。この傾向がさらに進んだ結果,最後の "vos (あなたたちを)" も "nos (私たちを)" に変わっていったのだろう。

さらなる研究のためのメモ:ヒエロニュムスによるこの聖書箇所の注解はPL (Patrologia Latina) 24, Sp. 388 (版によってはSp. 375),Nr. 447にある。


【対訳と解説】

Dicite : Pusillanimes confortamini, 
言いなさい,「怖気づいている人たちよ,しっかりしなさい (強められなさい,勇気づけられなさい,慰められなさい)〔……」と。〕
――あるいは――
Dicite pusillanimis [:] confortamini
怖気づいている人たちに言いなさい,「しっかりしなさい (強められなさい,勇気づけられなさい,慰められなさい)〔……」と。〕
――あるいは――
Dicite [:] pusillanimi confortamini
言いなさい,「怖気づいている人たちよ,しっかりしなさい (強められなさい,勇気づけられなさい,慰められなさい)〔……」と。〕
解説:
 既に述べた通り,第1のテキストはGRADUALE ROMANUM/TRIPLEXにあるもの,第2のテキストは9~10世紀の多くの写本にあるもの,第3のテキストは9世紀の写本の一つにあるものである。第2・第3のテキストにおけるコロンは,角括弧に入っていることで示されている通り,私が補ったものである。

et nolite timere : 
そして恐れてはいけません。

ecce Deus noster veniet, 
ほら,私たちの神がおいでになろうとしています,
解説:
 未来時制なのだが,「おいでになるでしょう」と訳すとなんだか確定事項でないこと (推量) のように感じられ,それでは「怖気づいている人たち」が安心できそうにないので,「おいでになろうとしています」と訳すことにした。

et salvabit nos/vos.
そして私たちを/あなたたちをお救いになろうとしています。」
解説:
 同上。

【逐語訳】

dīcite 言え,示せ,語れ (動詞dīcō, dīcereの命令法・能動態・現在時制・2人称・複数の形)

pusillanimēs 怖気づいている人たちよ,臆病な人たちよ (第3変化,複数・呼格)
――あるいは (Laon 239,Einsiedeln 121,9世紀の諸写本のうち4つ)――
pusillanimīs 怖気づいている人たちに,臆病な人たちに (第2変化,複数・与格)
――あるいは (9世紀の諸写本のうち1つ)――
pusillanimī 怖気づいている人たちよ,臆病な人たちよ (第2変化,複数・呼格)
● いずれにせよ本来形容詞であり,名詞化して用いられている。
●「テキストと全体訳」のところでも述べた通り,多くの古写本ではここは "pusillanimis" となっている。"pusillanimēs" が第3変化なので,普通に考えれば "pusillanimis" も当然第3変化だろうと思われ,すると単数・呼格かと思うことになる ("pusillanimēs" の場合と比べると,複数が単数に変わるだけということ。つまり「たち」を抜いて,「怖気づいている人よ」)。ところが,これに続く命令法の動詞が複数形をとっているため,呼びかけの対象が単数ではおかしい (厳密にいうと,それでも問題なくなるような文脈というのもありうるのだが,ここにはそれは見られない)。"pusillanimis" という形は第3変化だとほかに単数・主格や単数・属格でもありうるが,ここの前後関係ではそれらの解釈は無理である。
 ここまで考えたところで改めて辞書を引くと,この形容詞には実は第1・第2変化をする別形があることが分かる (意味は同じ)。第1・第2変化であれば,"pusillanimis" (母音の長短も示すと "pusillanimīs") は複数・与格または複数・奪格ということになり,ここの前後関係では前者ならば意味が通る。「怖気づいている人たちに」言いなさい,というわけである。
 9世紀の写本の一つに見られる "pusillanimī" もこちらの形であると考えられ,つまり第2変化の複数・呼格ということになる。形だけ見ると第3変化の単数・与格でもありうるが,すると先ほどと同じような問題が起こる。「怖気づいている人に言え」ということで,「言う」相手が単数になるにもかかわらず,「言う」内容 (この後に続く言葉) は複数形の命令文なので整合性がとれないのである。

cōnfortāminī 強められよ,勇気づけられよ,慰められよ (動詞cōnfortō, cōnfortāreの命令法・受動態・現在時制・2人称・複数の形)

et (英:and)

nōlīte timēre 恐れるな
nōlīte:禁止を表す助動詞nōlō, nōlleの命令法・能動態・現在時制・2人称・複数の形
timēre:恐れる (動詞timeō, timēreの不定法・能動態・現在時制の形)

ecce 見よ,ほら (間投詞)

Deus noster 私たちの神が
Deus:神が
noster:私たちの

veniet 来るだろう (動詞veniō, venīreの直説法・能動態・未来時制・3人称・単数の形)

et (英:and)

salvābit 救うだろう (動詞salvō, salvāreの直説法・能動態・未来時制・3人称・単数の形)

nōs 私たちを
――あるいは――
vōs あなたたちを

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