入祭唱 "Exsurge, quare obdormis Domine?" (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ56)

 GRADUALE ROMANUM 1974 / GRADUALE TRIPLEX pp. 91–92; GRADUALE NOVUM II pp. 45–46.
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更新履歴

2022年6月2日
● これまで「グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ」に入れていなかった聖務日課用聖歌を新たにこのシリーズに入れたことに伴い,本稿の番号を変更した (54→56)。内容には変更ない。

2022年2月20日
● 投稿
 


【教会の典礼における使用機会】

 旧典礼 (1969年のアドヴェント前まで一般に行われていたローマ典礼。現在も「特別形式」の典礼として一部で続けられている) において,「六旬節の主日 (Dominica in Sexagesima)」に割り当てられている入祭唱である。
 この「六旬節の主日」は旧典礼にのみ設けられており,その1週間前の「七旬節の主日」に始まる "四旬節への前段階的な時期" (これについては "Circumdederunt me gemitus mortis" の記事を参照) に属する。日取りは灰の水曜日の10日前 (四旬節第1主日の2週間前) である。

 というわけで,現行「通常形式」典礼 (現在のカトリック教会で最も広く見られる典礼) では今回の入祭唱は本来の役目を失い,だいぶ影が薄くなってしまっている。
 
この新しい典礼での聖歌に関することを定めた1970年の "Ordo Cantus Missae" では四旬節第2主日の後の火曜日に割り当てられており (GRADUALE ROMANUM 1974 / GRADUALE TRIPLEXはこの定めに従っている),これは現在では四旬節第2主日に割り当てられている入祭唱 "Tibi dixit cor meum" がもともとあった位置なので,悪く言えば,行き場をなくした "Exsurge, quare obdormis" を穴埋めに使ったということなのかもしれない。
 ほかには,典礼暦関係なしに「迫害されているキリスト者のため」や「何らかの必要 (困難な状況) のため」に行うミサで用いることのできる入祭唱の一つとしても指定されている。

 最新版のローマ・ミサ典書 (2002) ではこの入祭唱は「影が薄い」くらいでは済まず,すっかり消えてしまっている (上記「典礼暦関係なし」の使用機会も含め)
 
ちなみに,代わって四旬節第2週の火曜日に割り当てられている入祭唱は "Illumina oculos meos" というものだが,これは現行版の聖歌書には載っておらず,1961年版GRADUALE ROMANUMのp. [147] (角括弧もページ番号の一部) に見ることができる。
 

【テキスト,全体訳,元テキストとの比較】

Exsurge, quare obdormis Domine? exsurge, et ne repellas in finem : quare faciem tuam avertis, oblivisceris tribulationem/-nis nostram/-strae? Adhaesit in terra venter noster : exsurge, Domine, adiuva nos, et libera nos.
Ps. Deus, auribus nostris audivimus : patres nostri annuntiaverunt nobis (opus quod operatus es in diebus eorum, in diebus antiquis).
【アンティフォナ】立ち上がってください,どうして寝入ってしまわれるのですか,主よ。立ち上がってください,そしてずっと拒絶したままでいらっしゃらないでください。どうして御顔をお背けになるのですか,私たちの艱難をお忘れになるのですか。私たちの腹は地について離れなくなってしまっています。立ち上がってください,主よ,私たちを助けてください,そして私たちを解放してください。
【詩篇唱】神よ,自分たちの耳で私たちは聞きました。私たちの父祖が私たちに告げ知らせたのです(,あなたが彼らの日々に,昔の日々に為されたわざを)。

 "oblivisceris" の次の2語がそれぞれ2通りの形をとっているが,どちらであっても意味は変わらない。GRADUALE TRIPLEXやGRADUALE NOVUMに書かれているネウマの出所である2つの古写本のうち,Einsiedeln 121では "tribulationis nostrae",Laon 239では "tribulationem nostram" となっている。現行の聖歌書で活字になっているのは後者のほうである。

 ラテン語学習の教材としてお使いになりたい方のため,古典ラテン語式の母音の長短も示しておく。このテキストは教会ラテン語なので,この通り発音されるべきだというわけではなく,あくまで学習用のものとお考えいただきたい。
Exsurge, quārē obdormīs Domine? exsurge, et nē repellās in fīnem : quārē faciem tuam āvertis, oblīvīsceris trībulātiōnem/-nis nostram/-strae? Adhaesit in terrā venter noster : exsurge, Domine, adiuvā nōs, et līberā nōs.
Ps. Deus, auribus nostrīs audīvimus : patrēs nostrī annūntiāvērunt nōbīs (opus quod operātus es in diēbus eōrum, in diēbus antīquīs).

 アンティフォナの出典は詩篇第43篇第23–26節 (一般的な聖書では第44篇第24–27節) であるが,そのままではなく,一部の語句が省略されている。

ごらんの通り,アンティフォナに採用されている部分はだいたいローマ詩篇書 (Psalterium Romanum) のテキストに一致しているが,"et ne repellas in finem" の箇所など,Vulgata=ガリア詩篇書 (Psalterium Gallicanum) も考慮に入れられているのかもしれないと思わせる部分もある。
 

【対訳】

【アンティフォナ】

Exsurge, quare obdormis Domine?
立ち上がってください,どうして寝入ってしまわれるのですか,主よ。
別訳1:(……) どうしてまどろんでいらっしゃるのですか,主よ。
別訳2:(……) どうして熟睡していらっしゃるのですか,主よ。
解説:
 ここは一般に「どうして眠っていらっしゃるのですか」と訳されるところだが,"obdormis" の基本的な意味はあくまで「寝入る」である (逐語訳を参照)。それでも一般的な訳からなるべく離れないようにしたいと思ったら,別訳1のようにでもすることになるのだろう。
 ただし,ある辞書 (Gaffiot 2016) には「深く眠る」という意味が載っており,敢えてこれを採用すれば例えば別訳2のようになる。

exsurge, et ne repellas in finem :
立ち上がってください,そしてずっと拒絶したままでいらっしゃらないでください。
別訳:立ち上がってください,そしてすっかり拒絶しきらないでください。

quare faciem tuam avertis,
どうして御顔をお背けになるのですか,

oblivisceris tribulationem/-nis nostram/-strae?
私たちの艱難をお忘れになるのですか。

Adhaesit in terra venter noster :
私たちの腹は地について離れなくなってしまっています。
解説:
 倒れたまま起き上がれないということ。

exsurge, Domine, adiuva nos,
立ち上がってください,主よ,私たちを助けてください,

et libera nos.
そして私たちを解放してください。

【詩篇唱】

Deus, auribus nostris audivimus :
神よ,自分たちの耳で私たちは聞きました。

patres nostri annuntiaverunt nobis
私たちの父祖が私たちに告げ知らせたのです(,)

(opus quod operatus es in diebus eorum, in diebus antiquis).
(あなたが彼らの日々に,昔の日々に為された御業を)。
解説:
 なるべくラテン語の語順のまま訳すと,「御業を,あなたが為されたところの,彼らの日々に,昔の日々に」となる。"quod" 以下は "opus" にかかる関係詞節である。
 

【逐語訳】

exsurge 立ち上がってください (動詞exsurgō, exsurgereの命令法・能動態・現在時制・2人称・単数の形)

quārē なにゆえ,どうして

obdormīs あなたが寝入る;あなたが深く眠る (動詞obdormiō, obdormīreの直説法・能動態・現在時制・2人称・単数の形)
● 私が見た諸々の翻訳では,この箇所は七十人訳ギリシャ語聖書からの訳であれヘブライ語原典からの訳であれ,1つを除きすべて「眠っている」と訳されている (その「1つ」については後述)。さらにはこの入祭唱テキスト自体を訳したものでさえ,私が見た限り (3つ) ではここを「眠っている」としている。しかし,この動詞obdormio, obdormireにそういう意味があることを確認しようといくつもの辞書を引いてみても,見つかるのはほとんど「寝入る (起きている状態から眠っている状態へと移行する)」という意味 (と,そこから派生した「永眠する」という意味) だけであった。「ほとんど」とつけたのは,対訳のところでも述べた通りある一つの辞書 (Gaffiot 2016) にのみ「深く眠る」という意味が載っているのを見たからであるが,あまりに少数派なので敢えて採用する気には私はならない。
 なお「眠っている」という意味のラテン語動詞は "ob" のない形,すなわちdormio, dormireであり,Vulgata=ガリア詩篇書にはこちらが用いられている。
 もとのヘブライ語 (תִישַׁ֥ן) はというと,これは「寝入る」「眠っている」いずれの意味でも用いられる語であるから,この入祭唱が (というより,そのもとになったと思われるローマ詩篇書が) "obdormis" という語を採っているのも実は本来の意味からの逸脱ではないといえる。七十人訳はどうかも気になるところだが,今のところ私の実力不足で確かめることができていない。対応する語は "ὑπνοῖς" である。
 ここまで書いて,まだ参照していなかったNova Vulgata (第2バチカン公会議後に出た「新しいVulgata」) をふと開いてみたところ,なんとそこに載っていたのは "obdormis" であった。上述の通りVulgataでは "dormis" であったのをわざわざ "obdormis" にした (いわば戻した) わけである。私が多くの辞書で見た通りの意味を意図してこの訳語が選ばれたのであれば,このNova Vulgataは私が今回参照した多くの聖書の中で唯一「寝入る」という解釈を採用した翻訳聖書だということになる。

Domine 主よ

exsurge (同上)

et (英:and)

nē repellās 突き返さないでください,拒絶しないでください (否定詞nē + 動詞repellō, repellereの接続法・能動態・現在時制・2人称・単数の形)
● 接続法・現在時制・2人称は「命令」を表すことがあり,ここではそれに否定詞がついて「禁止」の意味になっている。

in fīnem 終わりまで,永遠に;すっかり,完全に
●「すっかり,完全に」はSleumerの教会ラテン語辞典による。Septuaginta Deutschの註によると,七十人訳の対応箇所 "εἰς τέλος" も「永遠に」「すっかり」両方の意味に取れるらしい。ヘブライ語原典は「永遠に」。

quārē (同上)

faciem 顔を

tuam あなたの
● 直前の "faciem" にかかる。

āvertis あなたがそむける (動詞āvertō, āvertereの直説法・能動態・現在時制・2人称・単数の形)
● 目的語は2つ前の "faciem"。

oblīvīsceris あなたが忘れる (動詞oblīvīscor, oblīvīscīの直説法・受動態の顔をした能動態・現在時制・2人称・単数の形)
● 目的語は直後の "tribulationem/-nis"。

trībulātiōnem/-nis 艱難を (-nemなら対格,-nisなら属格)
● この語を目的語にとっている動詞obliviscor, oblivisciが属格目的語をとることもあれば対格目的語をとることもあるせいで生まれたテキストの異同。意味はどちらでも同じ。

nostram/-strae 私たちの (-stramなら対格,-straeなら属格)
● 直前の "tribulationem/-nis" にかかる。"tribulationem/-nis" が対格だったり属格だったりするのに合わせ,こちらも対格と属格との2つの形で伝わっている。

adhaesit くっつく ,固着する (動詞adhaereō, adhaerēreの直説法・能動態・完了時制・3人称・単数の形)
● 主語は2つ (3語) 先の "venter"。

in terrā 地に,地面に (terrā:地,地面 [奪格])

venter 腹が

noster 私たちの
● 直前の "vester" にかかる。

exsurge (同上)

Domine 主よ

adiuvā 助けてください (動詞adiuvō, adiuvāreの命令法・能動態・現在時制・2人称・単数の形)
● 目的語は直後の "nos"。

nōs 私たちを

et (英:and)

līberā 解放してください (動詞līberō, līberāreの命令法・能動態・現在時制・2人称・単数の形)
● 目的語は直後の "nos"。

nōs 私たちを

【詩篇唱】

Deus 神よ

auribus 耳で (複数・奪格)

nostrīs 私たちの
● 直前の "auribus" にかかる。

audīvimus 私たちが聞いた (動詞audiō, audīreの直説法・能動態・完了時制・1人称・複数の形)

patrēs 父祖が
●「父」の複数形。

nostrī 私たちの
● 直前の "patres" にかかる。

annūntiāvērunt 告げ知らせた (動詞annūntiō, annūntiāreの直説法・受動態の顔をした能動態・完了時制・3人称・複数の形)
● 主語は2つ前の "patres",間接目的語は直後の "nobis",直接目的語は2つ後の "opus"。

nōbīs 私たちに

opus 仕事を,作品を,わざ

quod (関係代名詞,中性・単数・対格)
● 直前の "opus" を受ける。

operātus es (動詞operor, operārīの直説法・受動態の顔をした能動態・完了時制・2人称・単数の形)

in (英:in)

diēbus 日々 (奪格)

eōrum 彼らの (代名詞,男性・複数・属格)
● 直前の "diebus" にかかる。

in diēbus (同上)

antīquīs 昔の
● 直前の "diebus" にかかる。

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