入祭唱 "Prope es tu, Domine"(グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ45)

更新:2021年1月18日(日本時間19日)
● "esto" の逐語訳を修正し,説明を書き加えた。

GRADUALE TRIPLEX p. 24; GRADUALE NOVUM II p. 6.
gregorien.infoの該当ページ

【使用機会】

 およそ12月とともに始まるアドヴェント(待降節)の中でも,12月17日からのクリスマス直前期は特に大切にされている。この時期を特徴づける要素として最も有名なのは,聖務日課のうち晩課(vesperae)において日替わりで歌われる「オー・アンティフォナ」であろう。"O Sapientia(おお,知恵よ)", "O Adonai(おお,アドーナイ〔主よ〕)", "O Radix Iesse(おお,エッサイの根よ)" などというふうに,いずれも "O" という感嘆詞で始まるアンティフォナなのでこの呼び名がある。

 今回扱う入祭唱は,このアドヴェント最後の時期(24日の昼まで含む)にくる月曜日と木曜日に用いられるものである。ただし19日に当たる場合は,朗読される福音書箇所の関係で別の入祭唱が指定されている。

 旧典礼(1969年のアドヴェント前まで行われていた。現在も「特別形式」の典礼として一部で続けられている)においては,この入祭唱はアドヴェントの「四季の斎日」の金曜日に用いられていた(いる)。この日はアドヴェント第3主日の次の金曜日(12月16~22日のどこか)にあたり,つまり時期としては新典礼とほぼ同じと言ってよい。

【テキスト,全体訳,元テキストとの比較】

Prope es tu Domine, et omnes viae tuae veritas : initio cognovi de testimoniis tuis, quia in aeternum tu es.
Ps. Beati immaculati in via : qui ambulant in lege Domini.

【アンティフォナ】近くにあなたはいらっしゃいます,主よ,そしてすべてのあなたの道は真理です。初めにおいて私はあなたの証しから認識しました,あなたが永遠に在すことを。
【詩篇唱】幸いである,道において汚れのない者,主の律法によって歩む者は。

 写本によっては最初の "Prope" の次の "es tu"(あなたはいらっしゃいます)が "esto"(いらしてください)になっている。"es tu" となっている写本は

Chartresシャルトル 47
Laonラン 239
Noyonノワイヨン
Corbieコルビのグラドゥアーレ(フランス国立図書館lat. 18010)
● Corbieコルビのアンティフォナーレ(フランス国立図書館lat. 12050)AMS 6
● サンリスSenlis(パリ・聖ジュヌヴィエーヴ図書館111)AMS 6

であり,"esto" となっているのは

Bambergバンベルク lit. 6
Bambergバンベルク lit. 7
Beneventoベネヴェント 34
Cambraiカンブレ 0075 (0076)
Colognyコロニ C 74
Einsiedelnアインジーデルン 121
Grazグラーツ 807 ※"es tu" に見えなくもない
Montpellierモンプリエ H 159
Albiアルビ(フランス国立図書館776)
Saint-Yrieixサンティリエ(フランス国立図書館lat. 903) ※"es tu" に見えなくもない
St-Martin de Toursトゥール・聖マルタン大聖堂(フランス国立図書館lat. 9434)
Romaローマ・アンジェリカ図書館
St. Gallenザンクト・ガレン 339
St. Gallenザンクト・ガレン 376
● Mont-Blandinモン=ブランダン(ブリュッセル王立図書館10127-44)AMS 6
● Compiègneコンピエーニュ(フランス国立図書館lat. 17436)AMS 6

である("AMS" とあるものは "Antiphonale Missarum Sextuplex" という本〔1935〕にまとめられている。いずれも8~9世紀の特に古い写本である)。

 ラテン語学習の教材としてお使いになりたい方のため,古典ラテン語式の母音の長短も示しておく。

Prope es tū (estō) Domine, et omnēs viae tuae vēritās : initiō cōgnōvī dē testimōniīs tuīs, quia in aeternum tū es.
Ps. Beātī immaculātī in viā : quī ambulant in lēge Dominī.

 アンティフォナの出典は詩篇第118(今日の多くの聖書では119)篇第151-152節である。もとになっているラテン語聖書テキストはどれかということだが,「そしてあなたのすべての〇〇は真理です」の箇所の「〇〇」という語を比較する限り(次表),おそらく今回はローマ詩篇書(Psalterium Romanum)ではなくVulgata/ガリア詩篇書(Psalterium Gallicanum)に基づいている。なお,同箇所については,言っていること自体はどちらでも("viae〔道〕" でも "mandata〔命令〕" でも)結局同じである(「律法」の言い換えである)と考えられるので,テキストの相違そのものはあまり重要ではないだろう。

画像1

 それより重要なのは最後の2語で,御覧の通り,そこではVulgata/ガリア詩篇書ともローマ詩篇書(Psalterium Romanum)ともはっきり異なることを今回の入祭唱のテキストが言っており,意図的な変更であろうと考えられる。
 律法の永遠性を語る代わりに,神そのものの永久存在を語る。「律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れた」(ヨハネによる福音書第1章第17節)という聖句を背景に持つ変更かもしれない,と思う。これを含む聖書箇所が降誕祭のミサの一つ(主の降誕・日中のミサ)で朗読されるということを思えばなおさらである。神からの啓示として律法以上のものがなかった旧約時代の後に,律法という形の奥に隠れていた「真理」(内村鑑三によればこの語は「実体」「本質」と解すべきものらしい)がイエス・キリストを通して顕れた。この「真理」のギリシャ語原語ἀλήθειαはもともと「隠されていないこと」を意味するそうだが,まさにぴったりである。この律法をはるかに凌駕する啓示中の啓示たる「主の降誕」をまもなく迎えるという日々にあっては,「律法」について語る言葉を「神」(あるいは「主」)そのものについて語る言葉に置き換えるというのは,実にふさわしいことではないだろうか

 このように考えると特にだが,「初めにおいて私はあなたの証しから認識しました」の「初め」という語は「モーセの時」と考えるのもよいのではないかと思う。「初め=モーセの時,私(神の民)はあなたの証し(律法)から認識しました,あなたが永遠にいらっしゃることを。〔そしてまもなく御降誕を迎え,今度は御子を通して認識するのです〕」というわけである。あるいはさらに広げて,「旧約時代」と取るのも悪くないかもしれない(こうなるといよいよもとの詩篇からは逸脱した読み方になるが,これはあくまでキリスト教の典礼文として用いられているテキストであるから問題ない)。そして,十戒をはじめとする律法に限らず,キリスト以前に神の民に与えられたさまざまな啓示(預言など)も含めて考えるのもよいかもしれない。

神は,かつて預言者たちを通して,折に触れ,さまざまなしかたで先祖たちに語られたが,この終わりの時には,御子を通して私たちに語られました。(新約聖書,ヘブライ人への手紙第1章第1節,聖書協会共同訳)

 なお「証し」が「律法」を指すということについては,逐語訳のところで解説する。

 詩篇唱には同じ詩篇第118(119)篇が採られている。

【対訳など】

【アンティフォナ】

Prope es tu Domine,
近くにあなたはいらっしゃいます,主よ,
備考:
 この言葉はアドヴェント第3主日/第3週の入祭唱 "Gaudete" 中の "Dominus prope est (主は近いのです)" という箇所を想起させる。
 上述の通り,写本によっては "es tu" が "esto" となっており,その場合は「近くにいらしてください,主よ」。

et omnes viae tuae veritas :
そしてすべてのあなたの道は真理です。
解説:
 前述の通り,「道」は律法のことだと考えてよい。

initio cognovi de testimoniis tuis,
初めにおいて,あなたの証しから私は〔次のことを〕認識しました,
別訳1:初めにおいて,あなたの証しを私は認識しました,
別訳2:初めにおいて,あなたの証しを私は探求しました,
(以上すべてにおいて)「あなたの証し」は「あなたについての証し」とも解釈できる(が,私は「あなたの証し」だと考える。「証し」=「律法」であると考えるため)。
解説:
 手元にある3つの参考訳(七十人訳ギリシャ語聖書をドイツ語に訳したもの,Vulgataをドイツ語に訳したもの,Vulgataを日本語に訳したもの)では,いずれも「認識しました」の目的語は次の "quia" 以下となっており,「あなたの証し」は認識の媒介・手段となっている。
 2つの別訳はいずれも,「認識(ないし探求)」の対象を「あなたの証し」自体と解釈したものである。「認識する・探求する」という意味の動詞cognosco, cognoscere (>cognovi) は,認識・探求の対象を直接目的語で表すこともあるが,前置詞 "de" つきで表すこともあるので,こういう解釈も考えられるのである。
 いずれの解釈をとるかによって,次の "quia" の働きが変わってきかねない。
 なお,「あなたの証し/あなたについての証し」については逐語訳を御参照いただきたい。それから,この「証し」は「律法」のことであると考えられるのだが,そのことについても逐語訳を御覧いただきたい。

quia in aeternum tu es.
永遠にあなたがいらっしゃることを。
別訳1:永遠にあなたがいらっしゃる〔,という証し〕を。
別訳2:なぜなら,永遠にあなたがいらっしゃるからです。
解説:
 先の "cognovi"「私は認識しました」の「認識」の対象を述べているのがこの部分であると考えれば,"quia" は単に「~こと」という意味の接続詞(英:that)であると解釈するしかない。
 「認識(探求)」の対象が「あなたの証し」(de testimoniis tuis)自体であると考えれば,"quia" の意味は2通り考えられる。
 1つは,やはり「~こと」(英:that)で,つまり「あなたの証し」の内容をここで述べている(同格名詞節),というわけである(別訳1)。なおこの場合,「証し」は「律法」のことと解釈せず,文字通りの意味に取ったほうが分かりやすいだろう。
 もう1つは「なぜなら~から」(英:because, 接続詞for)で(別訳2),これは少し分かりづらいものの,例えば「初めにおいてあなたの証しを探求した」ことの動機づけを述べているのだ,と考えることができるだろう。「初めにおいて私はあなたの証しを探求しました,なぜならあなたは永遠にいらっしゃるからです(永遠にいらっしゃる方であるあなたの証しは探求しがいがあるからです)」というわけである。

【詩篇唱】

Beati immaculati in via :
幸いである,道において汚れのない者たち(は),
解説:
 ここでも「道」は律法のことであると考えられる。続く箇所(この部分の言い換え)がそれを裏書きする。

qui ambulant in lege Domini.
主の律法によって歩む者たちは。
別訳:主の律法のうちに歩む者たちは。
解説:
 直前の「道において汚れのない者たち」の言い換え。

【逐語訳】

【アンティフォナ】

prope 近い
● 空間的な意味でも時間的な意味でも用いられる。

es あなたが〜である(動詞sum, esseの直説法・能動態・現在時制・2人称・単数の形。英語でいうbe動詞)

tū あなたが

(estō ~であってください〔動詞sum, esseの命令法・能動態・未来時制・2人称・単数の形〕)
● 命令法未来時制(命令法第2式)の形をとっているが,この動詞については,教会ラテン語においては,未来時制(第2式)特有の意味を読み取る必要はないと考えられる。というのは,esseの命令法現在時制(第1式,要するにごく普通の命令法)であるes(複数:este)は1世紀くらいから次第に消滅してゆき,代わりにこのestō(複数:estōte)が用いられるようになっていったのである。

Domine 主よ

et(英:and)

omnēs すべての

viae tuae あなたの道が(viae:道〔複数〕が,tuae:あなたの)

vēritās 真理(主格)

initiō 初めにおいて(名詞 "initium〔初め/始め〕" の奪格形)

cōgnōvī 私が認識した,探求した(動詞cōgnōscō, cōgnōscereの直説法・能動態・完了時制・1人称・単数の形)

〜から;~について

testimōniīs tuīs あなた(について)の証明,証言,証拠(testimōniīs:証明,証言,証拠〔複数・奪格〕,tuis:あなたの)
● まず,全体訳・対訳で「証し」と訳したtestimoniis (<testimonium) という語についてである。詩篇においてこれが「律法」を指す(少なくとも,指すことがある)ということは,例えば次の箇所がよく示している。

主のみおしえは完全で,たましいを生き返らせ,
主のあかしは確かで,わきまえのない者を賢くする。
主の戒めは正しくて,人の心を喜ばせ,
主の仰せはきよくて,人の目を明るくする。
(詩篇第19〔18〕篇第8-9節,新改訳。太字強調:筆者)

旧約聖書によくある表現法だが,同じことを複数回別の言葉で言っている。つまり「みおしえ」=「あかし」=「戒め」=「仰せ」というわけであり,特に「みおしえ」「戒め」という語から分かるように,これらはどれも「律法」を指している(「みおしえ」と訳されている語は,多くの聖書ではまさに「律法」と訳されている)。
 それにしても「あかし」という語(ヘブライ語原語はעֵד֥וּתエードゥット)がこういう意味で用いられるのは不思議に感じられるところだが,これはこの語がもともと,モーセの十戒が記された石板を納めた「証しの箱」を指すためらしい。 
● 次に "tuis" の解釈についてである。最も基本的な訳し方をすればこれは「あなたの」であり,そして「証し」を「律法」のことだと解釈する限りそれでよい。
 しかし,ラテン語で「~の」という意味の言葉(名詞の属格,所有形容詞)には多様な意味があり,この箇所「あなたの証し」については「あなたについての証し」と取ることもできる。この場合は「証し」=「律法」ではなくなるだろうが,"initio cognovi de testimoniis tuis, quia in aeternum tu es" という部分全体の解釈(いくつかの可能性を対訳のところで示した)次第ではこのほうがよい可能性がある。

quia なぜなら~から (英:because, 接続詞for);~ということ(英:接続詞that)
● 本来「なぜなら~から」(英:because, 接続詞for)という意味の接続詞だが,教会ラテン語では単にthat(「~ということ」)の意味で現れることもしばしばある。

in aeternum 永遠に(aeternum:永遠〔対格〕)

あなたが

es あなたがいる(動詞sum, esseの直説法・能動態・現在時制・2人称・単数の形。英語でいうbe動詞)

【詩篇唱】

beātī 祝福されている,幸いである,豊かである(形容詞)

immaculātī 汚れのない者たちが(形容詞の名詞化)

in viā 道において(viā:道〔単数・奪格〕)

quī(関係代名詞,男性・複数・主格。先行詞を含む。英:those who)

ambulant 歩む(動詞ambulō, ambulāreの直説法・能動態・現在時制・3人称・複数の形)

in lēge Dominī 主の律法によって,主の律法のうちに(lēge:律法〔単数・奪格〕,Dominī:主の)

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