拝領唱 "Quinque prudentes virgines" (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ98)

 GRADUALE ROMANUM (1974) / GRADUALE TRIPLEX p. 507; GRADUALE NOVUM I pp. 354–355.
 gregorien.info内のこの聖歌のページ
 


【教会の典礼における使用機会】

 後日追記する。
 

【テキスト,全体訳,元テキストとの比較】

Quinque prudentes virgines acceperunt oleum in vasis suis cum lampadibus: media autem nocte clamor factus est: Ecce sponsus venit: exite obviam Christo Domino. T. P. Alleluia.
5人の賢いおとめたちは,ともしびとともに,自分の容器に入れた油を持った。さて真夜中に,叫ぶ声があった。「見ろ,花婿が来るぞ!  しゅなるキリストをお出迎えしろ!」 (復活節には) ハレルヤ。

 マタイによる福音書第25章第1–13節にあるイエスのたとえ話 (5人の愚かなおとめたちと5人の賢いおとめたちの話) に基づいており,その中から第4節および第6節が用いられている。ただし,最後の "Christo Domino (主なるキリスト)" は原文では「彼」であり,単にたとえ話の中の「花婿」を指している。たとえの意味するところを,この拝領唱では明示してしまった形となっている。というのも,「花婿が来る」というのは,キリストの再臨を表しているのである。
 ただし,「主なるキリストをお出迎え」するというのには,ここではもう一つ意味があるのではないかと思う。というのは,これは拝領唱,つまり聖体拝領のときに歌われる歌である。聖体拝領においては,聖体 (聖変化によってキリストの体に変化したパン) が聖堂の前のほうで配られ,信徒たちはそれを頂きに前に歩んでゆく。そのさまが,まさに「キリストをお出迎え」するようだともいえると思うのである。

 このたとえ話全体は次の通りであるが (引用元),

  「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

マタイによる福音書第25章第1–13節 (新共同訳,bible.comにあるオンライン版利用。リンクは上に置いた)

拝領唱では愚かな5人のおとめには言及せず,賢い5人のおとめと花婿の到来を告げる声とだけを話題にして,専ら喜ばしい内容にしているのが興味深い。

 なお,ドイツ・ルター派コラールの傑作で「コラールの王」とまで呼ばれる,フィリップ・ニコライの "Wachet auf, ruft uns die Stimme (「目覚めよ」と声がわれらに呼ばわる)" は,同じ聖書箇所に基づくものである。こちらでも賢い5人のおとめと花婿の到来とだけが扱われ,これらの要素が展開されてゆき,非常な喜びを歌う歌に仕上げられているのは面白い。
 

【対訳・逐語訳】

Quinque prudentes virgines acceperunt oleum in vasis suis cum lampadibus:

5人の賢いおとめたちは,ともしびとともに,自分の容器に入れた油を持った。

quinque 5つの,5人の
prudentes 賢い,聡明な
virgines 処女たちが
acceperunt 手に取った,持った (動詞accipio, accipereの直説法・能動態・完了時制・3人称・複数の形)
in vasis suis 自分の容器に (vasis:容器 [複数・奪格],suis:自身の)
cum lampadibus たいまつとともに,ランプとともに (cum:英 "with",lampadibus:たいまつ,ランプ [複数・奪格])

media autem nocte clamor factus est:

さて真夜中に,叫ぶ声があった。
直訳1:(……) 叫びが行われた。
直訳2:(……) 叫びが起こった。

media … nocte 夜半に,真夜中に (media:真ん中の,nocte:夜に [奪格])
autem しかし;一方,それに対して;さらには;さて;そして
clamor 叫びが,大声の呼びかけが
factus est 行われた,された,つくられた (動詞facio, facereの直説法・受動態・完了時制・3人称・単数の形);生じた,起こった (動詞fio, fieriの直説法・受動態の顔をした能動態・完了時制・3人称・単数の形)

Ecce sponsus venit:

「見ろ,花婿が来るぞ!

ecce 見よ,ほら (間投詞) ……「見よ」といっても動詞の命令法ではない。
sponsus 花婿が
venit 来る (動詞venio, venireの直説法・能動態・現在時制・3人称・単数の形) ……綴りの上では完了時制も同形だが,文脈上現在時制だろう。ギリシャ語原文では動詞自体がここにはない (「見ろ,花婿だ!」)。

exite obviam Christo Domino.

しゅなるキリストをお出迎えしろ!」
直訳:出てゆけ,主なるキリストに対向して。

exite 出てゆけ (動詞exeo, exireの命令法・能動態・現在時制・2人称・複数の形)
obviam 対向して,出会うように (副詞)
Christo
キリストに
Domino 主に …… "Christo" と同格。

T. P. Alleluia.

(復活節には) ハレルヤ。

T[empore] P[aschali] 復活節には (Tempore:季節に [奪格],Paschali:復活祭の,復活祭的な)
alleluia ハレルヤ

  •  この拝領唱を用いる日が復活節中にあたる場合はこの "Alleluia" も歌え,ということ。復活節には何でもかんでも "alleluia (ハレルヤ)" をつけて歌うことになっているからである。

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