入祭唱 "Dignus est Agnus" (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ4)

 GRADUALE ROMANUM (1974) / GRADUALE TRIPLEX p. 388; GRADUALE NOVUM I pp. 372–373.
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 1925年の「王であるキリストの主日」の導入に伴って作られた,たいへん新しい入祭唱である。
 


更新履歴

2023年11月22日

  •  現在の方針に合わせ,全面的に改訂した (タイトルの変更,「教会の典礼における使用機会」および「テキスト,全体訳,元テキストとの比較」の部の新設,対訳の部と逐語訳の部との統合)。

  •  訳・解説自体も改めた (特に詩篇唱)。

2018年11月12日 (日本時間13日)

  •  投稿
      


【教会の典礼における使用機会】

【現行「通常形式」のローマ典礼 (1969年のアドヴェントから順次導入された) において】

 1972年版ORDO CANTUS MISSAE (GRADUALE ROMANUM [1974] / TRIPLEXはだいたいこれに従っている) では,王であるキリストの (ラテン語をそのまま訳すと「すべてのものの王であるわれらのしゅイエス・キリストの」) しゅじつ (かつ祭日) に割り当てられている。これは「年間」最後の主日であり,また,教会暦上の一年 (アドヴェント [待降節] をもって始まることになっている) における最後の主日でもある。(「年間」「アドヴェント」「主日」といった用語を含め,教会暦についてはこちらの記事で解説している。)
 ほかには,「われらの主イエス・キリストの最も価高き御血について」の随意ミサで用いることができる入祭唱ともなっている (GRADUALE ROMANUM [1974] / TRIPLEXではほかの選択肢も与えられている)。

 2002年版ミサ典書では,やはり王であるキリストの主日に割り当てられているほか,復活節第3週の金曜日,復活節第5週の金曜日のところにも同じようなテキストが入祭唱として記されている (違いは,最後の一文 "Ipsi gloria et imperium in saecula saeculorum" がないことと,復活節特有の "alleluia" が加えられていること)。

【20世紀後半の大改革以前のローマ典礼 (現在も「特別形式」典礼として有効) において】

 1962年版ミサ典書では,王であるキリストの主日に割り当てられている。こちらでは,この主日は教会暦上最後の主日にあたる日ではなく,10月の最後の主日と定められている。

 本稿のはじめで述べた通り,この入祭唱ができたのは20世紀のことなので,AMSにまとめられている8~9世紀の聖歌書には当然載っていない。
 

【テキスト,全体訳,元テキストとの比較】

Dignus est Agnus, qui occisus est, accipere virtutem, et divinitatem, et sapientiam, et fortitudinem, et honorem. Ipsi gloria et imperium in saecula saeculorum.
Ps. Deus, iudicium tuum Regi da: et iustitiam tuam Filio Regis.
【アンティフォナ】屠られた子羊は,力,神性,智恵,強さ,栄誉を受けるにふさわしい。彼に栄光と支配権とが永久にありますように。
【詩篇唱】神よ,あなたの裁き (正しく裁くための智恵) を王に,あなたの正義を王の息子にお与えください。

 アンティフォナには,ヨハネの黙示録第5章第12節の一部と同書第1章第6節の一部とが用いられている。用いられている部分については,テキストはVulgataに一致している。
 
もとの第5章第12節では,「受けるにふさわしい」ものとしてさらに2つ,「栄光」と「祝福」とが挙げられている ("et gloriam et benedictionem")。しかしごらんの通り,続けて引用されている第1章第6節に「栄光 (gloria)」という語が含まれているので,重複を避けて "et gloriam" を省き,ついでにその続きの "et benedictionem" も省いてしまった,というところではないかと推測する。

 詩篇唱にとられているのは詩篇第71篇 (ヘブライ語聖書では第72篇) であり,ここに掲げられているのはその第2節前半 (ヘブライ語聖書では,少なくともBHSでは第1節) である。テキストはローマ詩篇書にもVulgata=ガリア詩篇書にも一致している (「ローマ詩篇書」「Vulgata=ガリア詩篇書」とは何であるかについてはこちら)。
 後でもう少し詳しく述べるが,この詩篇はソロモン王の詩という形で作られたものであり,それを念頭に置くと意味がよく分かる。
 

【対訳・逐語訳 (アンティフォナ)】

Dignus est Agnus, qui occisus est,

屠られた子羊は (……に) ふさわしい,

dignus ふさわしい
est (英:is) (動詞sum, esseの直説法・能動態・現在時制・3人称・単数の形)
Agnus 子羊が
qui (関係代名詞,男性・単数・主格) ……直前の "Agnus" を受ける。
occisus est 打ち倒された,殺された,屠られた (動詞occido, occidereの直説法・受動態・完了時制・3人称・男性・単数の形)

accipere virtutem, et divinitatem, et sapientiam, et fortitudinem, et honorem.

力,神性,智恵,強さ,栄誉を受けるのに (ふさわしい)。

accipere 受けること (動詞accipio, accipereの不定法・能動態・現在時制の形) ……前の "Dignus" と呼応して,何に「ふさわしい」のかを述べている。
virtutem 力を ……「徳」などいろいろな意味を持つ語だが (もとは「男らしさ」),グレゴリオ聖歌でこの語が出るときは,私の今までのごくわずかな経験の限りでは常に「力」という意味にとっておけばよさそうである。
et (英:and)
divinitatem 神性を
et (英:and)
sapientiam 智恵を
et (英:and)
fortitudinem 強さを,力を,堅固さを,勇敢さを
et (英:and)
honorem 栄誉を

Ipsi gloria et imperium in saecula saeculorum.

彼に,栄光と支配権が永久にあるように。
別訳:彼が,栄光と支配権を永久に持つように。

ipsi 彼に ……本来は英語の "himself" にあたる語だが,このように単なる指示代名詞として用いられることもある。
gloria 栄光が
et (英:and)
imperium 支配権が
in saecula saeculorum 永久に

  •   「あるように」「持つように」と,祈願文として訳したが,形の上からいうと,動詞 (英語でいうbe動詞にあたるもの) が省略されているので直説法か接続法か判断できず,直説法扱いするならば単に「ある」「持つ」という意味 (事実の叙述) になる。

  •  別訳は,これがいわゆる「所有の与格」の構文であることを意識して訳したもの。「栄光と支配権が,永久に彼のものであるように」とすればこの2つの訳の間をとることができるだろうか。

  •  原文では代名詞 "ipsi" が受けるのは「イエス・キリスト」である。詳しくいうとこの「イエス・キリスト」は関係詞節で修飾されており,「信頼できる証人であり,死者の中から最初に生まれた者であり,地上の諸王の君主であり,私たちを大切にして自らの血をもって私たちを私たちの諸々の罪から洗い清め,神にして御自らの父であられる方のための王国および祭司に私たちをしてくださったイエス・キリスト」。
      「屠られた子羊」が新約的には何を意味するのかについての一つの説明として読むことができ,また「地上の諸王の君主」という表現が出ていることは,この入祭唱が用いられる「王であるキリストの主日」のテーマに通じるということで興味深い。
     

【対訳・逐語訳 (詩篇唱)】

Deus, iudicium tuum Regi da:

神よ,あなたの裁きを王にお与えください。

Deus 神よ
iudicium tuum あなたの裁きを,あなたの判断力を,あなたの洞察を (iudicium:裁きを,判断力を,洞察を,tuum:あなたの)
Regi 王に
da 与えてください (動詞do, dareの命令法・能動態・現在時制・2人称・単数の形)

  •   「裁きを王にお与えください」といっても,「王を裁いてください」という意味ではない。正しい裁きを行う智恵をお与えくださいということである。
     この詩篇のはじめにはタイトルとして「ソロモンの詩」とあるのだが,ソロモン王といえばその治世のはじめ,神から「願いごとがあったら言いなさい,かなえてあげよう」と言われ,民を正しく導いてゆくための智恵を願った人である (列王記上第3章第4節以下)。

  •  そういうわけで,「王に」というのは「(王である) 私に」という意味である。

et iustitiam tuam Filio Regis.

あなたの正義を王の息子にお与えください。

et (英:and)
iustitiam tuam あなたの正義を (iustitiam:正義を,tuam:あなたの)
Filio Regis 王の息子に (Filio:息子に,Regis:王の)

  •  直前の文の言いかえだが (同じことを2つの言い方で続けて言うのは旧約聖書の詩文に非常によく見られる現象),すると「王」=「王の息子」だということになる。これは,ソロモンが自ら王だっただけでなく,ダビデ王の息子でもあったということを考えればよい。

  •  前の「王に」同様,「王の息子に」というのはソロモンが「私に」と言っているものである。

  •  もとの聖書では,「彼があなたの民を正義をもって,あなたの貧しい者たちを公正をもって裁くように」と続き,「王」あるいは「王の息子」に「裁き (正しく裁くための智恵)」や「正義」が与えられる目的が述べられている (「彼」は「私」と読み替えると分かりやすい)。

  •  "Regi", "Filio", "Regis" に大文字が用いられているのは現代の典礼書・聖歌書でのことで,ローマ詩篇書やVulgataでは小文字である。


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