体重が増えた


34kgという数字を見て喜んだと同時に怖くなった
この快感で麻痺してどんどん落ちていった体重
39kgで喜び、40kgが怖くなり
38kgで喜び、40kgなんて有り得ないと思い始め
37kgの頃にはもうピル飲んでも来る生理はほぼカス
36kgの頃は37kgは人間じゃないと思い
毎日200kcal前後の食事 下剤は10〜15錠
少しでもカロリーがオーバーするとパニックになり食べ物を詰め込んで吐き過食嘔吐もした

35kgになって大きな精神科に転院した
かかりつけの精神科から紹介された病院は全てお断り
159センチの35kgはもう入院レベルですよ うちは入院施設ないので とたらい回しにされた
唯一の私大センターだけ 
「入院レベルですけど、お子さんいて預け先がないからされたくないんですよね?それに入院じゃないとなると、うちは外来だと数ヶ月先まで待ちます。..でも、かかりつけの先生が緊急を要してここを紹介してきたんですよね?こちらの医師で話し合いをして決めます」

こうして私大センターの精神科に外来でかかることになった
デパスとデパケンを最大量 出してくれないならここには通わない。とほぼ脅しのように駆け引きをして。

当時の許可食 無脂肪ヨーグルトにブルーベリー
400kcalまでに増やせていたけど、BBXというダイエットサプリや下剤、防風通聖散をガバガバと飲んでいたから体重は35kgのままで
「まず無脂肪ヨーグルトをプレーンに変えてみませんか?このままだと夏越せないですよ」

転院前の精神科の先生にも言われた
「このままだといつ心臓が止まってもおかしくないよ。あなたが今死んだら、あなたの旦那さんは子供を愛してるように見えないから 子供は、あなたが去年経験した以上の大変さを味わうことになる。せめて子供が20歳になるまではみてあげよう。」
何年間も通ってきた中で一番響いた言葉だった

あんな大変な思い子供にさせたくない

正直このまま心臓止まって死ねるなら最高だと思う時がほとんど。
親に会えるなら会いたいし、生きるのしんどいし、寝る時だって悪夢ばっかりでしんどい。
ご飯を食べるのもしんどい。
当たり前の日常の行動全てがしんどいのにあと何十年も生きていかなきゃいけないの?
でも、子供に会えなくなるのは嫌
だから入院もしたくない 
でもはやく死にたい 太るくらいなら死にたい 
親に会いたい この先もあのトラウマと共に生きるのは無理 
死にたい でも死んだら子供に会えない 
証明されてないあの世へ期待して死んで、この世に存在している子供に会えなくなるのはバカバカしい
でも起きてる時も寝てる時もずっと悪夢とPTSDと摂食障害と戦って
世界で一番大嫌いな人間と同じ屋根の下で暮らしてるこんな自分が大嫌い、早く死にたい

いつの間にか誰かに辛いことを辛いということも無くなって誰かに会いたいとも思わなくなった

食べなよ の一言がしんどいから

誰かの痩せた話を聞くのが辛いから

みんな私を嫌がらせるために言ってるんじゃ無いのも分かってる
余裕のない自分が原因

7月末頃下剤のストックが切れた
ちょっとやめてみようかな
BBXも防風通聖散もあるし、出先でトイレ何回もいくのもしんどいし
と思ってやめてみた。
ブルーベリーヨーグルトも飽きたし、家にずっとあるプロテイン飲んでみよう
そこで覚醒した プロテイン美味しい!
馬鹿みたいにプロテインを買い集め、プロテインだけの生活
また依存..それしか食べない生活
でも草とかブルーベリーヨーグルトよりマシだろう
一時期の200kcalの時は想像も出来なかった600kcal吸収ができるようになった

それと同時に筋トレもハードなものに変えた。
竹脇まりなの寝ながら系から、ガチのやつを毎日60-70分。多い時は2時間。
翌日まともに歩けなくなるくらい。
今は筋トレしすぎて足の骨怪我して、びっこ引いてる。

それから2週間、2.5kg増えた

体重計を乗る度にしんどいけど
写真を見ればただ太った訳ではなくて
筋肉がついてきた
太ったんじゃなくて 身体が健康に戻ってきたんだと思うようにしよう

まだこう見るとガリってるけど
力を入れたらめっちゃマッチョだし
ていうか筋肉の付き方が父親と全く一緒なんだよね
腕の筋肉見ると父親思い出すな..。
34kgから37kgになった
腕が掴めない
ここまで拒食傾向に向かったのは、亡くなる寸前の母親の腕が指で掴めたことが羨ましいと思ったから


不正出血で久しぶりに見る出血
パニック起こした
生理が来るって 私は痩せてないってこと?
泣きながら久しぶりにナプキンと下剤を買いに行った
次の日 生理ではなくてただの不正出血ということ安心して、下剤で脱水症状起こしながらも、ワクワクしながら体重乗ったら昨日となんにも変わんないの。馬鹿みたい


母親が癌が全身転移した時 放射線治療と抗がん剤治療で抜け落ちる髪の毛、ドライヤーしながら泣いていて、「こんなに頑張って私の細胞は生きようとしてるのに抜けちゃうのが可哀想」
自分の身体の内部まで大切にする人だった。
少し生えてきた髪の毛には、嬉しそうに触ってた
頑張って生きようとしてくれてると。

160cmの母親は体重が40kgから43kgに増えた時
喜んで泣いていた
美味しいご飯ありがとう 私の体、細胞ありがとうと

..私何やってんの?いつまで自分を殺してるの?
毎日ずっと続く動悸、いつしんでもおかしくないと言われても他人事 
ただ痩せたい太りたくない 食べたくない 自分の決められた許可食しか食べたくない なんなら死にたい 殺してくれ
バカバカしい

今日見てる当たり前の日常は両親が見たかった景色なのに
子供を愛せるのも見るのも私だけなのに

体重だけが全てじゃないよって思えるように

誰かの言葉に左右されず、自分のために 子供のために せめて40kgある自分を許して 数ヶ月後も生きていけるような体づくりをしていこう

頭で理解してるのに目の前に食べ物があると難しい

これが摂食障害という脳みそのバグ

8月、37kgなんて人間じゃないと思っていた37kgになりました
いつぶりだろうね、37kg、約半年ぶり?
しんどいけど、この調子で増やせば子供と過ごせる時間が長くなる
34、35kgの何がいい?何が幸せ?
一生そのままでいるつもり?

子供と同じもの食べられるように
体重に左右されないように
子供に私以上の苦労をさせないために
少しずつこの頭の病気を治して体も治す

食べると泣く力が出てくる
疲れる 毎日泣いている
親に会いたいって
私25だよもう 親死んで半年、1年経ったよ
親に会いたいって夜大泣きしてる
未熟すぎるね

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