「佐々木荘助 近代物流の先達」

江戸時代の飛脚が、明治の世になって運送業に転向した、という話です。

日本通運株式会社の前身の「陸運元会社」の設立から関わっている佐々木荘助氏を主人公としています。

飛脚が扱っていた手紙や荷物が、明治になって、郵便に手紙をとられ、運送業に特化した、というストーリーなんですが、その流れが興味深いです。

この本では、江戸、京都、大阪などの大都市間に置かれた駅の間をリレー(「継立」)して長距離輸送する飛脚を対象にしています。

手紙や荷物を一次受けするのが飛脚問屋で、荷主から受け取った運送料からマージンを取った上で「宰領」という者に運送を委託します。「宰領」は目的地までの運送の責任を負いますが、実際に運ぶのは、駅付近の住民がリレーで行います。

ところが、明治になって遠距離の手紙が多くなり、リレーしていた住民がやりきれなくなって運送が遅延するようになり、それを解消するために、郵便制度を始めることになったそうです。

佐々木氏はじめ飛脚問屋が前島密と話をして、手紙は郵便がやる、荷物は飛脚問屋でつくった「陸運元会社」がやる、と役割分担しました。飛脚方としては手紙の方が儲かるので手放したくなかったようですが、運送業を「陸運元会社」の専売にしてもらったりするなど、優遇もされていました。

ただ、道路は整備されておらず、住民を使うこともできなくなったので、昔のようには行かなかったようです。そんな中で、例えば、荷物を運ぶ途中で宿泊する旅館と「真誠講」という団体をつくり、「陸運元会社」改め「内国通運会社」のお墨付きの良心的な旅館とし、そこで使える割引クーポンを旅行者向けに発行するなど、旅行会社みたいなこともしていました。

更に、船を使った高速運送も始めるなどして事業を大きくしていきます。

この頃になると、駅間をリレーするのではなく、出発地から目的地まで一気通貫で運ぶ「継通し」というやり方が主になりました。

ところが、そこに鉄道が敷設されるようになり、長距離の荷物がそちらに流れるようになって、結局、鉄道の駅からの短距離配送に限定した事業になっていったというところで終わります。

大雑把に流れを整理すると、次のようになるかと思います。

1.手紙と荷物の大都市間長距離輸送を行っていた

2.荷物だけになった

3.整備されない道路から船による高速輸送を始めた

4.継立から継通しにシフトした

5.鉄道に押され、鉄道駅からの短距離配送に移行した

これは、今の物流を考えるとおもしろいと思いました。

今の物流の特徴は次の3点だと考えています。

1.道路が整備され、トラック運送がメイン

2.手紙も扱うようになった

3.長距離一貫輸送(継通し)

どうやら、江戸時代の飛脚の世界に戻りつつあるような感じがします。

残っているのは継通しが継立になることくらいですが、中継輸送というアイデアがあります。

飛脚というと、走る方にしか興味がありませんでしたが、

物流についても、飛脚を参考にすると、良いアイデアが出てきそうです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?