生き生きる
私たちの人生で大切なことはなんだろう?
友達、家族、仕事、給与、食べ物、飲み物、趣味、時間。これらに大別出来てしまうと思う。
逆にこれ以外に何がある?
言いたいのは
大してやる事は少ないのでは?
日々の繰り返しの中でうんざりすることも楽しいことも悲しいこともあるけれどそれは全く目新しい物では無いとそう思うのだ。
どこに遊びに行くしにろ何を食べるにしろそれは既に知っている幸せを繰り返しているにすぎないのでは無いか?
よくも飽きないもんだよな、みんな。
いや間違いなくもうとっくのとうに飽きている人が大半だろうに。
それはきっと大小あるにしても希望を持っているからに違いない。ほんの少しの楽しみを胸に今日を生きているとそう思う。
その楽しみが無くなる時、または人は目の光を閉ざすのだろう。所謂、絶望だ。
僕には90歳を超えた祖父母がいる。
彼らに取っての希望は私。だからたまに会いに行ってあげないと行けないんだ。
会うと楽しいんだけどね会うまでが面倒だと思ってしまうのは何故なんだろう。思うにそれは
実際に会った経験を基に、ある一定の期待値を上回らないと予想しているからだろう。
損得勘定の出来上がりだ。
これは皮肉にも凄く得意なもんになった。
ちょっと別の話するわ。ごめん、ちょっとだけ。
あのさ髪をかき上げる仕草をしてこっち見るのやめてもらって良いですか。嫌なんで。
話それました。軌道修正します。
兎に角、自分にとって得になるのか、それともただ時間の無駄になるのか、そう言った類の醜さ。
それが損得勘定だ。
無意識のうちに考えているこの醜さはきっと大人なら誰もが持っているのだろう。小学生ですら、いや幼稚園児ですら会うに値する人を見定めているのかも知れない。
損得以上の何かを僕はまだ知らない。
自分が損をしてでもあの人だから会いに行く。
そういう事後犠牲を承知の上でなお会う選択。
それこそ世の中で言う
愛する
ということなのだろうと。ありきたりすぎた内容だけどちゃんと自分の言葉で真似をせずに考えたのだからみんな考えることは一緒なんだな。
何も特別じゃ無い。普通でいいの。普通がすごいんだから。
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