甲状腺癌になった話

会社の健康診断で甲状腺癌を疑われてから1年、今年の健康診断の日に私は治療の為入院した。

昨年。会社の会議室に作られた簡易的な診断スペースで、非日常的な雰囲気にソワソワと落ち着かず、順番待ちで手持ちぶさたにしていたら、会議室の隅、パーテーションの隙間から、触診のおじいちゃん先生がライバル他社の商品で暇つぶししているのが見えた。会社の健康診断なんだから気を遣おうよと心の中で突っ込んだ私は堪え切れず、前に並んでいた先輩にヒソヒソと伝え、2人でクスクス笑った。いざ内診でパーテーションの向こう側に進むと、そのおじいちゃん先生は手首を掴んだ。
「ちょっとね、失礼しますよ」
手首で何か確認した後、首を触った。健康診断で首を触られることはなかったので、少し動揺した。その後先生は私の前に座り直し、首が腫れており、最悪、癌であると伝えた。
幸運なことにその先生は、甲状腺の専門医であるようだった。僕だったら手術して半日で退院させられるよ、とか、過去にある会社の社長さんの甲状腺を取ったら副作用的に声が出にくくなってしまい怒られた、とか、こちらの気持ちを和らげようとする世間話を挟みつつ、ほぼほぼ甲状腺癌である方向で話が進んだ。ただの、会社の健康診断である。今振り返るとよく触診だけでそこまで喋るなぁと思うが、その後行った街の病院でも、さらに紹介された総合病院でも、さほどショック受けることはなかった。最初のショックがデカすぎたからである。診断が進み確証を得るに連れて、すごい先生に診てもらえたのだなと感動した。笑った自分を反省した。
とりあえず健康診断だから首に炎症ありとだけ書いておくけど、すぐに病院で検査して貰って、との診断を受け、即、近くて甲状腺の専門医がいる病院を受診した。その病院でエコーを診てもらい、うちでも病理検査できるけれどこれは大きな病院で診てそのまま手術になった方が良い、という判断に至った。この病院の先生も、良い先生だった。
そして今年2月、甲状腺の全摘出をした。健康診断から4ヵ月。甲状腺癌はそもそも進行が遅く、予後が良い癌である。これで終わった、と思っていたらそうではなかった。3月、術後に受けた検査で、肩甲骨に転移している可能性が出てきた。人生、ドラマティックはとめられないようだ。癌が転移している可能性を、診察料200数円で聞いた。すぐに死ぬ病気ではない。余命宣告を受けた訳ではない。それでも怖くて、帰りの車の中で泣いた。

それから時間は経ち、11月。私は治療の為、二度目の入院をしている。元々予定していたアイソトープの治療を、放射線量を上げて行うことになり、4日間の隔離入院となった。誰にも会わず、テレビと本だけの娯楽。手術時とは異なり個室だからかもしれないが、かなり充実した入院生活だった。ほぼ寝ていたけど。深夜1時2時に帰宅して8時に出発する生活をしていた人間にとっては、大きな意味で治療になった。

退院後には家族と会う予定だ。血の繋がりがある家族、それがない家族。病気になってたくさんの心配を浴びて、家族とは、を身体の奥底から見つめた。
実の父母は手術の日、コロナ禍で立会い制限されているにも関わらず、病院の駐車場まで来た。術後退院して電話をしたら母は、私を産んで27年も経つというのに、その身体に産んでごめんねと言った。病気になったことを自分のせいにして、かわいそうな思いをさせてごめんということだった。父が昔、私が中学生の頃、母のことを「仏のような人」と言っていたことが印象的であったのだが、その意味が沁み仏の愛に泣いた。別の日。今回の隔離入院の為、栃木の病院に初めて受診した日、また駐車場で父が待っていた。受診する日は伝えていたのだが、いるのは想定外だった。コロナ禍だから車の中でご飯を食べ、病状について話、頑張れと声を掛けられ駐車場で解散をした。帰りの車の中で、父の愛に泣いた。
実の家族だけではない。主人とその家族にも救われた。手術の時、主人の親戚からたくさんの贈物をいただいた。義父母に電話をすると1番に身体の心配をしてくれた。嫁にきて数年、しかも地元を離れてたまにしか帰らない息子の嫁を、家族同然に気遣かってくれた。そして主人。1番近くで私の不安や恐怖をしっかり受け止め、慰め、笑わせてくれた。ホームセンターで売ってた足ツボに乗ったら甲状腺のつぼが1番痛くてやっぱり!と笑った日。甲状腺の腫れが実は豚カツなのではないかと言い出した謎理論。どれもこれもすごいのは、狙ってやってるのではなく自然であるのだ。純粋に生きていてあれなのだ。全国数千万のずんさんファンの皆さん。ご存知の通り、ずんさんはね、本当にイイ男ですよ。

家族とは。血の繋がりのある人、そうでない人、たくさんの家族からたくさんの心を、言葉や物や行動にして、様々な形でいただいた。愛。無条件に誰かを愛すること。病気になって見つけやすくなったが、本来は日々の暮らしに埋もれているもの。私はこの後の人生、そういうものを1つずつ撫でるように愛でて生きたい。
病気になって良かったこと、なんていいたかない。なんない方が絶対にマシだが、私が病気になって良かったこと。月並みな表現しか思いつかない。家族と自分を大切にするきっかけになったこと。そして人生はつづく。

茨城県水戸市内で活動する演劇ユニットこれっきりに所属し演劇をしています。