神に気づく
Youtube で石井希尚さんのラジオを聞き、三波春夫を検索するに至った。「お客様は神様です」という発言の真意について知ろうと思ったのだった。
三波のHPから引用する。
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「三波春夫」といえば、『お客様は神様です』というフレーズがすぐに思い浮かぶ方が少なくないようです。印象強くご記憶いただいていることを有難く存じます。
ですが、このフレーズが真意とは違う意味に捉えられたり使われたりしていることが多くございますので、ここにちょっとお伝えさせて頂きます。
三波本人が生前にインタビューなどでこのフレーズの意味を尋ねられたとき、こう答えておりました。
『歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。ですからお客様は絶対者、神様なのです』
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ハッとした。自分が何かを手にした時は、未来を強く信じていた時だと思う。
(俺はやる。俺は信じる。あとで裏切られようが、知ったことか。俺はやり遂げる、そうすればその時が来て、分かるだろう)
神と向き合う心のあり方。
全部投げ出して、ただ一事に取り組む。「あたかも神前で祈るときのように」。広大な世界に、自分ひとりがポツンと立つ。
そこで世界を創ったカミに、「やる?やらない?」と訊かれているようだ。「やる」と答える。空、太陽、その辺にある木たちに「お前今から何するの」と言われる。「見せてやるから、よく見とけ」と返す。
毎日そのように生きていた。そのようにして生きると気持ちがいい。
この世界に神が作らなかったものなど無い。いつからか、さっぱりと忘れていた。実際、この世界に神が作らなかったものなど無い。世界こそ神秘じゃないか。電信柱も、アスファルトも、小石も、部屋に時折吹く夏の風も、神そのものじゃないか。手、髪の毛一本、足の爪、大腸菌、それそのものが神なのだ。見えるもの、感じるもの、そのあり様は神の言葉だ。神を意識することと、意識していた物事が実は神だったということは完璧に同じだ。
なんてこった。俺も、俺が生きている世界も、全て神さまになってしまった。
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