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帰国受験しなかった帰国子女の未来

こんにちは、EDUBALアンバサダーのErinaです!前回のnoteでは帰国子女入試の今昔について書きましたが、9回目の投稿となる今回は帰国受験できない帰国子女たちにフォーカスして綴ります。帰国子女である私には4つ下に弟がいます。帰国受験した私に対し、帰国受験しなかった(できなかった)弟。その後の人生の歩みとは?そんなお話です。今回の記事の前に公開された同じアンバサダーの葉子さんの記事とも若干内容がリンクするので、よろしければこちらもぜひ!


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帰国受験できる・できない問題

「帰国子女=帰国受験」と結びつけられることの多い、このふたつのワード。でも実際のところ、帰国子女でありながら帰国受験できない人というのも、それなりにいるわけです。あくまで私の個人的な感覚ではありますが、おそらく半数近くは「帰国受験できない・しない」人たち。理由はさまざま。赴任先から戻った場所に帰国子女を受け入れる学校がない、帰国してから時間が経ってしまい帰国枠を使えない、帰国枠がそもそも本人にとってあまりメリットがない。

最後の一つを除き他の二つは本人にとってはやむを得ない理由。小学3年生の途中で日本に帰国した次女は、まさにこれに該当します。上の子は帰国受験できるのに、下の子はできないというパターンは多くありませんか?母国語が形成される段階やそれ以前の幼少期に海外生活を経験し、大きなハンデを抱えたまま日本に戻って学校生活に突入する第二子、第三子さんは結構いますよね?そういう子ほど、上の子みたいに帰国受験ができたら!とわが子を不憫に思ってしまうのも頷けます。

では実際に帰国受験なしの帰国子女たちはどんな歩みをしていくのか。その後の人生にどう響くのか。今日は身近な私の家族を例に書きますので、すべての帰国子女に当てはまるわけではありませんが、少しでも私の話が参考になれば幸いです。


わが家のケース

私が渡米したのは小学1年生のとき。弟はその時2歳でした。まだまだ十分に母国語で話ができる年齢ではなく、そして英語環境に入る前での渡米。6年半のアメリカ滞在、2年のドイツ滞在の間で家族で使っていたのは日本語。兄弟間も日本語。当時の記憶として、弟と意思疎通を取ることに不自由を感じたことはありませんでしたが、一時帰国したときに従姉妹に「日本語が変!」と言われた記憶があるので、どこかしら不自然なところもあったのかも。でもきっと最低限の日本語はできていた。(と信じたい…)

渡米して間もない頃の弟と私

弟は小学6年生でドイツから帰国し、東京の公立小学校に入ります。ドイツでは日本人学校に通うことができたので、少しだけ日本の学校生活を疑似体験できたものの、日本に戻ってからのギャップは大きかったようで、周りに馴染むのにも時間がかかったと本人は話していました。アメリカやドイツの物理的な広さや、行事はおおいにダイナミックに楽しむ国民性などの違いからも、日本とは真逆なところにカルチャーショックを感じていたようです。

また幼少期の大半を海外で過ごしたこともあり日本を「ホーム」と思える感覚はあまりなく、でも子どもながらに「出る杭は打たれる」を肌で感じ、自分が帰国子女であることをアピールすることは控えて周りに馴染めるように努力していたところは、「個」より「集団」に重きを置く日本人としてのメンタリティがあったからだと思います。でもきっと、本人なりの違和感や葛藤みたいなものもあったのかなと、姉はいまになって思います。


帰国受験することなく進学

公立中学を卒業した弟は、その後一般受験した私立高校へ進学します。アメリカから帰国してから3年半が経っていましたので、帰国入試には出願できず。本人はこのとき若干損をした気分になったそうです。でも、その後の人生で自分の希望する仕事との出会いがあったり、今の生活に満足できている状況を思うと帰国受験できなかったことは、自分の人生においてはそれほど重要なことではなかったかもしれないと話しています。

海外経験のもたらす恩恵はさまざま

高校生になり英語維持・伸長が難しくなってくると同時に、周りには自分より英語ができる人も出てきて、そもそも英語が自分にとってのアピールポイントではなくなってくると、帰国子女であることはあまり表向きには言わなくなりました。片や姉の私は、英語と日本語が同じくらい飛び交う環境で学び、帰国子女に囲まれて過ごす学生生活。高校を卒業した弟は私立大学へと進学します。

弟は海外での経験が進学や学生生活に直接的には結びつかなくても、外資系企業で働く今、英語や異文化、多様な考え方に対するアレルギーもなく仕事ができるのは、自分に海外経験があったからだと話します。そして映画や音楽が好きな弟は、言葉ができることで映画を見ていても実際のセリフと字幕の表現を比べてその違いを楽しめたり、音楽なども言語独特の表現をそのまま受け取れることは、人生を豊かにしてくれたとも話しています。英語や海外経験が必ずしも目に見える形で役に立つ必要はなくて、その人の生活にちょっとしたスパイスになればそれもひとつの得なんですね。


温かく見守る

最後に、私自身がわが子たちに対しても気をつけていることをみなさんにもお伝えしたいと思います。

帰国子女だからといって、必要以上に期待しない!

帰国子女でなくても…ですよね。私自身、両親には「そんなに英語が流暢にできることはすごいことなんだよ!」と言われ、「英語や海外経験は武器だ!多いに活かすべし!」と「国際」「外国語」という名のつく進路へと若干誘導された感は否めません。それは当時私に英語以外の武器がなかったからなのかもしれません。でも、そのあと私は親の誘導に乗った自分と、親の期待に十分に応えられなかったことへの重圧に長い間苦しみました。大人になったいまは、その当時の選択を自分でとった選択として受け入れ、感謝することができるようになりました。親の人生が一度きりであるように子どもの人生も一度きり。子どもが歩みたいように楽しく、自分らしく歩めたらそれが正解であり、それでいいんですよね!私自身も常に意識していたいことです。