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続 イヴァン・イリッチ『脱学校の社会』

今日は、第2章。テーマは<学校の現象学>。少し印象に残った部分を引用する。

「子ども時代をへて成長するということは、その子どもにとっては自我の意識と社会から科せられた学齢期を通過する役割との間の非人間的な相克の過程にむりに縛り付けられることを意味する」

「まだ自らの意欲で学習することは十分できるようになっていない年齢層の者に、教育の資金や人材を有利に配分するように社会が決めていることは将来振り返ってみた場合奇妙に思えるだろう。」

「縛りつける」という表現と、「まだ自らの意欲で学習することは十分にできるようになっていない年齢層の者」という表現に、現任校での子供の様子が被り、まさしく… と思わざるを得ない。 彼らは、「学校に縛られている」感がかなり強いのだ。だからこそ、学校現場で様々な問題が起きる。本人たちが望んでいないのだから。もちろん、全員と言えるかというとそうでもなく、一部分の生徒は確実に、本人は望んでいないが、制度に縛られているような感じがする。

目的を失っては役割を果たすことができない。教師が今の制度にあぐらを書いているのではないか?というような鋭い指摘は、教えることを専門職としている立場として、真摯に受け止めないといけないなぁと思う。子どもの権利を阻害する立場だ、というような主張は少しまだ理解しきれなかったのと、違和感があるので、しっかり読み直したい。

すごい極端な意見にも聞こえるんだけれど、しかし現代教育機関への痛烈な批判でもある。学校という目的、「子供」を育てるという目的をもう一度、さまざまな角度から見直してみようと思った。引き続き読んでいく中で、今につなげていきたい。

 読んで、気が引き締まった私は昨日からだが、毎日専門教科の数学を学び直す時間を作りはじめた。毎日2時間の投資は結構大きい。今後も習慣にできるように頑張ろう。

子供を愛するから、子供たちを育てたいから、自らももっと良く作り磨くし、もっと成長する。


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