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【小6と読書】つらい時に、何が私を助けてくれるのか

今日は、ふと手に取って、久しぶりに一気読みした本のご紹介です。

京大院で臨床心理学を修めた、ばりばりエリートの筆者が院卒時に向き合わざるを得なかったのは、職探し。やっとのことで、民間企業並みの手取りが取れるデイケア施設を沖縄に見つけ、居を移してからの4年間を元にしたエッセイ風の学術書です。

フラットで軽快な語り口は、『ルリボシカミキリの青』の福岡ハカセと近いものを感じてよく考えたら、お二人とも京大理系出で、その後大学で教鞭をとっていらっしゃいますね。

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さて、彼は「セラピスト」としての専門の訓練を受けた人材でありながら、得た職で求められたのは、「ただ、そこにいてください」ということ。そして、お料理や送迎などの雑用、精神を患って社会生活に困難がともなう人との暇つぶし的遊び。

もちろん、最初は「セラピスト」として患者と向き合おうとしますが、接する中で、必ずしも積極的な治療が患者のためになることばかりでもないと気付き、彼は、患者に寄り添い、彼らが欲しているものをそれとなく与え、排除する行為「ケア」に軸足を移していくようになります。

ただ、患者の痛みを掘り下げ、社会復帰を促す「セラピー」と、ある意味では誰にでもとりあえずはできて、やらない選択肢のない「ケア」を比較した時に、社会には「セラピー」がもてはやされて給料や予算もつくけれど、「ケア」が下に見られがちである、そこに根本的な傷つきが生まれることに思い至ります。

そこには主婦業との共通点も指摘されていて、患者や子供や家族…そういった弱者から依存される中で、様々な難しさに翻弄され、「ケア」する側もまた心が傷つきやすい状態になること、そこでは、ケアする人をさらにケアする人が必要とも言われていることが述べられています。

ただ、<ケアする人をケアする>ことができるのは人だけでなく、彼の場合は臨床心理学という身についた知識が「白衣」の様に、ジャージを着ていても、彼を常に守り励まし、立ち振る舞いを教えてくれたとあって、そこに深く共感しました。

そういう白衣の様な奪えないものって、私にとってもとても大切で、当初からここに掲げている様に、私にとって読書は「「育児本に欲しい答えが書いてあるか?」その答えは、”could be?”。すぐに役立つものは、すぐに役に立たなくなる…だから、私はよくビジネス書や小説にヒントを探しにいきます。一見関係ない本にこそ、突破口があるから。」という面が大きいです。

環境変化はどんどん起こり続けるし、自分が変えられること、変えられないことあるけれど、そのなかでこれまで積み上げてきた私なりの知見の「白衣」を着て、事に当たれたらと再認識させられました。

そういう意味で、この本に書かれていることが、無関係な人はひとりもいないと思った一冊。

彼は、4年にわたるデイケア勤務の中で、看護師とは異なる立場からどう患者に接するかを模索、葛藤し、最終的には、治療施設ではなくデイケア施設という制度の闇に彼自身も吐血するほどのストレスを抱えるようになります。

その環境下にあって、ひとつひとつの原因を時に哲学書、時に学術書などに知見を得て、まっすぐ見つめることのできる知性と理性は、やはり一線を画していて、「デイケア」という限られた環境を抜け出して、広く共感が得られる一冊になっていると思います。



よりたくさんの良書をお伝えできるように、頑張ります!