悪意は言葉の問題でもある
言葉は別の意味をほのめかすことができる。世界に悪意が満ちているように見えるのは、言葉そのものに原因がある。
京都の老舗のうどん屋さんで、ある文学研究者とごはんを食べたことがある。その研究者は東京出身で、京都に来たというだけでテンションが上がりまくっていた。店内には洛中洛外を描いた古い京都の地図が貼られていた。その研究者は指を指して、「このあたりに谷崎潤一郎が住んでいたんだよ!!!」とおおはしゃぎしていた。
すると、店員のおばあさんが、注文したうどんを持ってきた。そして、一言。「にぎやかでよろしおすな」と言ったのだった。
「うるさい」という嫌味や……と大阪出身のぼくはすぐに気づいたのだが、文学研究者のほうは気付かずに、「ええ、京都に旅行で来たんです!」とおばあさんにいかに京都の街が素晴らしいかを力説する始末だった。
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