なぬっ!ブルックナーですと!?


第一講:改名してみては
ブルックナーに関して気になるのは、その名前の野暮ったさだ。ヨーゼフ・アントン・ブルックナー、もう田舎臭さ丸出しである。通常ファーストネームのヨーゼフは割愛されるが、それでもミドルネームも良くない。アントンって、ア○ポン○ンなどと揶揄されかねない。
いわば外面から損をしている。これではただでさえクラシック音楽に疎い初心者に親しんでもらえない。いっそ、アンソニーに変えてみてはどうか。
アンソニー・ブルックナー、なんかイケメンを連想させるではないか。この人の場合、結婚願望があったにも関わらず生涯独身で通した。奇人変人であったことも大きいだろうが、やはり名前でも敬遠されたのではないか。
たとえばご婦人と愛をささやき合うにしても、ヨーゼフやアントンでは百年の恋も醒めてしまう。というより、バッターボックスにすら立たせてもらえまい。
も少し、夢見心地になれる愛称でもあったら女性受けも良かっただろうに。ライバルのブラームスが、若い頃目の覚めるような美男子であったのに敢えて独身を貫いたのと較べても、ブルックナーのモテなさ加減は気になる。
名は体を表すともいう。彼の場合、それで後半生に至るまで恵まれなかったのではとさえ思わせる。たとえば往年の名指揮者ブルーノ・ワルターなど、本名では良くないとマーラーから改名を勧められた。ブルーノというのはいわば芸名みたいなものだ。
マーラーが音楽学校時代、ブルックナーに師事していたのは割と有名な話だ。その時口に出さないながらも、作曲家として芽の出ない師に思うところがあったのではないか。他の弟子たちみたいに、交響曲の改変に手を染めることなどしないまでも、改名なさってはくらい言いたかったのではないか。
その点マーラーは積極的だった。自分が指揮者としてウィーンの楽壇に受け入れてもらうために、ユダヤ教からキリスト教に改宗したくらいだ。長大な交響曲群を遺したことで、後世ブルックナーと比較されたり一緒くたにされた彼のことだ。
もっと二人の関係が親しかったならば、改名くらいは勧めていたかもしれない。ブルックナーが怒り出すような改変を作品に加えた他の弟子に比べたら、名前を変えるくらい造作もなかったのではないか。
同時に思う。もしもアントンのままでなかったら、長大で野暮ったいが聴き込むうちに感動が湧き上がってくる交響曲の高峰群は生み出し得なかったかもしれない。
正に名は体を表すというべきか。アンソニーも捨て難いが。

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