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新たな円安レンジに入った円相場   1回目

新たな円安レンジに入った円相場   1回目


 ドル円は日本時間6月26日の午後7時過ぎに1ドル=160円台に乗せ、同28日の午前10時過ぎに1ドル=161.27円まで円安となり、同日のNY終値は1ドル=160.82円となっている。

 この水準は1986年12月以来、37年半ぶりの円安水準である。より重要なことは土地・株式バブルが弾けて株、債券、為替等が一斉に売り叩かれていた1990年4月の1ドル=160.35円を本格的に突破し、新たな円安レンジに入ったように見えることである。

 そこでドル円の動きを「もっと長いスパン」で確認するとともに、それぞれ重要なタイミングとなった「歴史的イベント」を振り返るところから始めたい。単純な「むかし話ではなく、当時を振り返って「新たに」気が付いたところも織り込んでいく。

 さらに「できるだけ多方面」から、これからの円相場について考えてみたい。仮説は表題にある「新たな円安レンジに入った円相場」である。大げさに言えば、これまでの円相場に対する基本的な考え方を根本的に変える必要があるかも知れない。

 書くべきポイントが非常に多いので、何回かに分けて書いていく。今週はその1回目である。


その1  プラザ合意(1985年9月22日)


 レーガン政権1期目(1981年1月~1985年1月)の米国は、2桁インフレと大幅減税・軍事費急増による財政赤字拡大にボルカーFRB議長(当時)の超金融引き締めが重なり、1981年には短期金利(FF金利)が一時21%、長期金利(10年国債利回り)が一時15%を超える。

 それを見て日本など海外勢の米国債等への投資が急増し、ドル円は1982年に一時1ドル=278円台となる。

 レーガン政権2期目となる1985年に入ると、さすがにインフレも長期金利も徐々に落ち着き、ドル円も1985年2月の1ドル=263円から少しずつ低下していた。

 そんなタイミングでドル高による米国産業界の不満を和らげるため、就任したばかりのジェイムス・ベーカー米財務長官(当時)が1985年9月22日、NYプラザ・ホテルに英国、西ドイツ、フランス、日本の財務大臣・大蔵大臣を「極秘に」呼びつける。当時の先進国とはこのG5のことで、日本からは竹下大蔵大臣(当時)が駆けつけていた。

 そこでG5が協調介入してドルの水準を押し下げる合意となる。いわゆる「プラザ合意」である。といってもベーカー財務長官が一方的に通告しただけで、実際の介入規模とかドルの目標値が話し合われた形跡はなく、会議そのものも20分程度で終わる。

 ちなみにプラザ合意直前のドル円は1ドル=240円前後だったが、介入初日に一気に20円も円高となる。しかし当初はドル買いも旺盛で一進一退となるが、1985年の12月には1ドル=200円となる。ここで一応の目標は達せられたとして協調介入(ドル売り介入)も終わる。

 ところがドルの下落が止まらず、1986年12月には1ドル=160円となる。今回の円安が37年半ぶりというのはこの1986年12月の水準を指しているが、ドル円はここで安定していたわけではなく「円高・ドル安の通過点」だった。

 1987年2月にはドル安を止めるために「ルーブル合意」となるが効果はなく、ドル円は1987年12月には1ドル=121円台となり、1988年に入って一時1ドル=120.45円となり「ようやく」下げ止まる。

 ここで効果がなかった「ルーブル合意」とは、G5が政策協調して米国の「双子の赤字」(貿易赤字と財政赤字)を縮小させるものだった。そこで西ドイツが公定歩合を3.5%から3.0%へ、日本が3.0%から2.5%へ、それぞれ過去最低水準まで引き下げる。米国は落ち着いたとはいえまだインフレが残るため、なかなか利下げに踏み切れなかったからである(当時の米国の公定歩合は5.5%と、すでに低めに維持されていた)。

 ドル安となれば貿易赤字が縮小するはずで、西ドイツと日本が利下げすれば米国経済も押し上げられて税収が拡大し財政赤字も縮小するはずだったからである。

 ところがこの政策協調が「うまく」いかない。


その2  ブラックマンデー(1987年10月19日)


 1987年に入ると肝心の米国ではドル安により再びインフレ懸念が広がり、せっかく7%まで低下していた長期金利(10年国債利回り)が9%近くまで上昇してしまう。そこでボルカーに代わってFRB議長となったグリーンスパンが1987年9月4日に公定歩合を5.5%から6.0%に引き上げてしまう。

 さらに同年10月14日に発表された8月の米貿易赤字が予想をはるかに上回る156億ドルとなり、世界中がドルの「さらなる」下落と金利上昇を警戒するようになる。また西ドイツも(公定歩合ではないが)短期金利の引き上げに踏み切り、「ルーブル合意」による政策協調の枠組みが崩れて世界の株式市場が一気に不安定になる。

 当時のNYダウは1987年8月に一時2700ドルを上回っていたが、10月19日に一気に508ドル(22.6%)も急落して1700ドル台半ばとなる。翌20日の日経平均も3836円(14.9%)安の21910円となるが、値幅制限があるためこの下落幅で済んでいた。

 当時の安値から現在までNYダウは22倍になっているが、日経平均は1.8倍にしかなっていない。NYダウは頻繁に構成銘柄を「最も値上がりしそうな30銘柄」に入れ替えているが、225銘柄の日経平均と算出方法が違うわけではない。

 ドル円に話を戻す。

 当時の日本は世界最大の経常黒字国であったため米議会の批判の対象となり、2.5%というその時点で過去最低だった公定歩合を引き上げられない。結果的に1989年5月まで2.5%のままだったため金融機関の猛烈な貸し出し競争も加わり、猛烈な過剰流動性となり、土地・株式をはじめ「あらゆるもの」の価格が急上昇する「狂乱のバブル状態」となる。

 ただその間(1986~1989年)の原油価格(WTI)が1バレル=10~20ドルで推移しており、日本の年平均インフレ率は0.6%に過ぎなかったことも(1989年に3%の消費税導入で物価を平均1.4%押し上げていたにもかかわらず)、日本の利上げが遅れてバブルを加速させた要因にもなる。

 ドル円は、過剰流動性の一部が再び海外に向かったためドルが反発し、日経平均が38915円と当時の史上最高値となった1989年12月末には1ドル=143.40円となっていた。

 しかし1990年に入ると「あらゆる」バブルが弾け、日本の金融市場では株、債券、為替(円)が一斉にパニック的に売り叩かれ、ドル円も1990年4月に1ドル=160.35円となる。

 2024年6月26~28日のドル円は、この1ドル=160.35円より円安となったままであり、1986年12月からここまで37年半の「大きな取引レンジ」が円安に突破され、新たな円安レンジに入った可能性がある。

 それくらい「緊張感」をもって臨むべきタイミングである。

 そこでこの37年半の「大きな取引レンジ」をもう少し詳しく見ていく。ただ37年半といっても2021年12月までの35年と、そこから現在(2024年6月)までの2年半に分けて考える必要がある。

 初めの35年からである。


その3  ドル円の35年間(1986年12月~2021年12月)の「実質的」な取引レンジ


 この35年間は、先ほど出てきたバブルが弾けて日本の金融市場が一斉に売り叩かれていた1990年4月の1ドル=160.45円と、日本の外為法改正で居住者の外為取引が原則自由化され海外投資(とくに米国債など海外債券の取得)が急増していた1998年8月の1ドル=147.64円となった「ほんの短期間の極端な円安時期」を除けば1ドル=75~125円のレンジとなる。

 ここで1998年8月に1ドル=147.64円となる数か月前、日本政府(財務省)は円安加速にブレーキをかけるため約2兆円の円買い・ドル売り介入を実施している。当時の日本政府は1ドル=140円台の「円安」でも容認していなかったことになる。

 さらにこの35年間に1ドル=100円を下回る円高だった時期も2度あるが、どちらも「不幸な特殊事情による短期間の極端な円高」で、その特殊事情が解消すると速やかに1ドル=100円を回復している。

 「極端な円高」の1回目はクリントン政権時の1994~95年にかけて米国からの過激な通商交渉が決裂したため、米国政府が露骨な円高誘導を行っていた。ドル円は1994年初めに1ドル=100円を割り込み、1995年4月19日に一時1ドル=79.75円と当時の史上最円高となる。

 この時期は非自民党が集まった細川連立政権の時代で、外交に慣れておらず通商交渉を決裂させてしまっていた。また内政にも慣れておらず大蔵省(当時)の7%福祉税構想を一時的に容認して混乱を招き、政権は短期間で瓦解してしまった。これは「不幸な特殊事情による短期間の極端な円高」である。

 もう1回はリーマンショック後の2009~12年の民主党政権時代の閉塞感に、2011年3月11日に発生した東日本大震災が重なり、同年10月31日未明に一時=1ドル=75.32円の超円高となる。この水準は「たぶん永遠に破られない」史上最円高である。

 東日本大震災により保険金支払いが増加するため日本の保険会社が外貨資産を大量に売却すると噂されたからであるが(実際はほとんど見られなかった)、これも「不幸な特殊要因による短期間の極端な円高」である。

 ただこの時期は当時のオバマ政権が人道的な立場から比較的自由な円売り・ドル買い介入を容認したため、ここで実施された約14兆円のドル買い介入が巨額の評価益を生んでいる。

 この2回の「不幸な特殊要因による短期間の極端な円高」も除外すると、この1986年12月~2021年12月の35年間の「実質的な」取引レンジは1ドル=100~125円となり、「結構」安定的な時期だったことになる。

 実際は英国が国民投票でEU離脱を決定した2016年6月23日に一時1ドル=99円となっているが、瞬間的だったので除外している。

 そうするとこの35年間の「実質的な」最円安とは、日銀の「異次元」金融緩和を含むアベノミクス効果が最も出ていた時期とされる2015年6月5日の一時1ドル=125.85円となり、日経平均も同年6月24日(終値)に20868円の高値となる。

 さらにこの35年間の最後となる2017年2月~2021年12月の5年弱に限れば、特殊要因による除外期間を設けることなく1ドル=102~115円の「超安定期間」だったことになる。

 つまりこの1986年12月~2021年12月の35年間は、詳しく解説しなかった1971年8月15日のニクソンショック(金ドル交換停止)以降も加えると、何と50年間にわたってドル円に限らず世界の為替市場のボラティリティが低下を続けていたことになる。

 そこから現在までの2年半は、その反動で世界の為替市場のボラティリティが一気に拡大していた時期となり、さらに「これから」まだまだ拡大するはずである。35年間も(あるいは50年間も)蓄積されたエネルギーが、たった2年半ですべて放出されているとは思えないからである。

 やはり「これから」のドル円を含む世界の為替相場は、「とんでもなく」波乱が大きくなると感じている。

 今週はここまでである。来週はその2022年1月から現在(2024年6月)までの2年半と、それに続く「これから」についてである。


2024年7月1日