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電波史の散歩道☆彡 紀元前

電波史の散歩道☆彡
〔電波(電磁波) 歴史のおはなし〕
紀元前から1864年頃まで

◎ 4つの元素から電磁方程式の提唱まで
 紀年法において紀元(元年。1年)よりも前の年。日本で「紀元前」と表記したときは、西暦(キリスト紀元)の紀元前を示します。

◎ 4つの元素 紀元前460年頃 (縄文晩期)
 Empedocles(エンペドクレス 紀元前490年頃~同430年頃 古代ギリシア 自然哲学者)は、万物(物質の根源)は、
  ① 「地(土)」、
  ② 「水」、
  ③ 「火」、
  ④ 「風(空気)」
の4つの元素(四大元素=リゾーマタ/rizomata)と、提唱しました。

◎ 5つの元素 紀元前350年頃 (縄文晩期)
 万学の祖 Aristotelēs(アリストテレース 紀元前384年~同322年  古代ギリシア 哲学者)は、エンペドクレスが提唱した
 四大元素    「地(土)」、「水」、「火」、「風(空気)」
 四大元素の性質を「熱」、   「乾」、「冷」、「湿」に区分し、
生物については、四大元素で構成され「霊魂/たましい」を付け加えることで、
 ① 成長を司る「植物霊魂」、
 ② 知覚と運動を司る「動物霊魂」、
 ③ 人間の精神作用を司る「理性霊魂」
と分類しました。
 そのうえで、宇宙は、四大元素のいずれにも属さない、純粋なエネルギー「エーテル」(=イーサー Ether, Aether)で作られていると提唱します。

 宇宙には、真空は存在せず、宇宙(天空)全体にまんべんなくエーテルで満ちており、地上に降りてくると、四大元素の「地(土)」、「水」、「火」、「風(空気)」のいずれかに変質し、あらゆる物質を生み出す基本的な元素であり、光(電磁波)の伝達する物質としました。(5つの元素)
 
◎ 錬金術 1200年(鎌倉時代 承久2年頃)
 錬金術は、普通の(卑)金属を(金・銀等の)貴金属に変化させようとする術に限らず様々な物質や、人間の肉体や魂をも対象とした不老不死等の研究が、紀元前のエジプトで生まれ、イスラム世界に伝わり、12世紀には、イスラム錬金術が、ヨーロッパに伝わり研究が盛んに行われるようになります。
 
◎ 「方法序説」の公刊 1637年(江戸時代 寛永14年)
 合理主義哲学の祖であり近世哲学の祖 René Descartes(ルネ・デカルト 1596年~1650年 フランス共和国 哲学者)は、「空間は、一様で無限」であるとし、アリストテレースの提唱した地上と空間(宇宙)の区別をなくし、宇宙における運動は、「渦運動」とした自然現象を数学により解明する「数学的自然観」とするなどの3つの科学論文集を収めた著書で、当初「理性を正しく導き、学問において真理を探究するための方法の話。加えて、その試みである屈折光学、気象学、幾何学」という名で公刊されました。(「方法序説」の公刊)
 
◎ 近接作用論(渦動説) 1644年(江戸時代 正保元年)
 デカルトは、宇宙空間に満ちる微小物質粒子は、互いに接しながら渦運動をしている。太陽(恒星)の周りを惑星(恒星の周りをまわる天体)が回転しているのも、地上(地球上)にある物体が地面に落下するのも、この渦動によるものであるとし、すべての運動は、物理的な接触によって起き、宇宙の各部分の運動は、お互いの作用のみによって変化する「近接作用論」を発表しました。
 なお、この近接作用の概念を取り入れた渦動説も、結果としては、間違っていました。「哲学原理」(渦動説)の発表

 この「近接作用論」は、Sir Isaac Newton(サー・アイザック・ニュートン 1643年~1727年 グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス) 物理学者)の「遠隔作用論」と論争となったが、時代は、ニュートン力学が万能な時代を迎え、宇宙運動では、ニュートン力学が優勢となりましたが、光(電磁波の仲間)の分野でも業績を残しています。
 また、アリストテレースの時代では、光は、白色であり、あらゆる色は、光と闇との混合色であるといわれていたが、ニュートンは、プリズムを使用して光を屈折させ、光はいろいろな色を持っており、小さな物質で直進し(光の粒子性)、また、ニュートン力学では、あらゆるところの空間や時間は等しいとする「絶対空間」と「絶対時間」により、光の速度を無限大としたこの考え方は、日常における物象の定義には適しています。
 このことでケンブリッジ大学の数学関連分野の教授職の一つ「ルーカス教授」に就任しています。
 
◎ 錬金術から自然科学へ 1660年(江戸時代 万治 3年頃)
 17世紀後半、近代化学の祖 Sir Robert Boyle(サー・ロバート・ボイル 1627年~1691年 錬金術師、物理学者)は、アリストテレースの提唱した四大元素説、3つの原則(塩、硫黄、水銀)を否定し、33の元素や質量保存の法則等を発表し、錬金術が自然科学へと発展していきます。
 
◎ ライデン瓶 1737年(江戸時代 元文 2年)
 静電気を貯める装置「ライデン瓶」は、1737年 John Theophilus Desaguliers(ジョン・デサグリアス 1683年~1744年 フランス共和国生まれ グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリスの科学者))による電荷の帯電作用の発見の研究の結果で、1746年 オランダ ライデン大学のPieter van Musschenbroek(ピーテル・ファン・ミュッセンブルーク 1692年~1761年 オランダ 科学者)によって発明され「ライデン瓶」というが、その3ヶ月前にクライスト(Ewald Georg von Kleist 1700年~1748年 ドイツの自然科学者)により発明されていたとの説もあります。
 1746年 ジャン・アントワン・ノレー(フランス 科学者)は、修道士を集め円周約1哩(約1.6Km)の輪を作り、それぞれに鉄線で繋いだライデン瓶から放電させたところ、全員がほぼ同時に電気ショックを感じたことから電気の伝送速度が高速であるのを確認しました。
 また、ライデン瓶は、電気実験に広く使われ、ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin 1706年~1790年 アメリカ合衆国 物理学者)の凧揚げの実験にも使用され、雷が電氣であることを明らかにしました。
 
◎ エレキテル 1751年(江戸時代 宝暦元年)
 ライデン瓶と起電装置を組み合わせた装置「エレキテル」は、興行において、人を感電させ驚かす目的で製作され、日本には、1751年(宝暦元年) オランダより幕府に献上された。
 平賀源内(1728年(享保13年)~1780年(旧暦 安永 8年) 日本 讃岐国寒川郡志度浦(現在 香川県さぬき市 日本最古のエレクトロニクスの先駆者)は、「紅毛談」(おらんだばなし。後藤利春著 1765年(明和2年))に掲載されていた「ゑれきてる」(エレキテル)の記事に関心を寄せ、1770年(明和7年)オランダ製エレキテル(静電気発生装置)を長崎滞在中、オランダ通詞の西善三郎より、破損したエレキテルを入手したが、現存していないと伝えられています。
 なお、1776年(安永5年)頃から、平賀源内は、江戸深川で弥七らとともに、日本にある材料を使って複数台の製造に成功し、そのうちの一台は、逓信総合博物館に所蔵され1997年(平成9年)に国の重要文化財の指定を受けています。
 なお、ライデン瓶のライデンは、「雷電」の語源とも言われています。
 
◎ クーロンの法則 1785年(江戸時代 天明 5年)
 Henry Cavendish(キャヴェンディッシュ 1731年~1810 グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス) 物理学者)は、死後に未公開の実験記録がたくさん見つかり、その中には、クーロンの法則やオームの法則が含まれていました。
 キャヴェンディッシュは、帯電していない金属の(内側の)球を、帯電させた金属の(外側の)球で包みこみ、ふたつの球の間を伝導性のある物質で接続し、外側の(帯電させた)球から内側の(帯電していない)球へと電気が流れる実験を行い、結果、電気力はふたつの球の距離の2乗に反比例するのを確認したが、未発表のため、Charles‐Augustin de Coulomb(シャルル=オーギュスタン・ド・クーロン 1736年~1806年 フランス共和国 物理学者)が、1785年 別の方法で同様の発見し発表したため、現在では「クーロンの法則」と呼ばれています。
 
◎ オームの法則 1827年(江戸時代 文政10年) 
 Henry Cavendishは、死後に未公開の実験記録がたくさん見つかり、その中には、クーロンの法則やオームの法則が含まれていました。
 ガラス管の中に塩の溶液を入れ、その管の中に両端から導線を差し込み、ライデン瓶で電気を発生させ、そのライデン瓶に一方の手を触れ、他方の手でガラス管に差した導線を持つと、電流はライデン瓶からキャヴェンディッシュの体を経由してガラス管内の塩の溶液を通っていった。塩の溶液は、電気を通すが、電気が溶液中を通る距離が長いほど、抵抗が大きくなり、流れる電流は小さくなるという実験を繰り返し、電圧と電流そして電気抵抗との基本的な関係を、キャヴェンディッシュ自身の体を通過する電流の度合い、すなわち、ショックの度合いを身体で感じることにより発見しましたが、未発表だったため、オーム(Georg Simon Ohm 1789年~1854年 ドイツ の物理学者)が、1827年 別の方法で発見し発表したため、現在では「オームの法則」と呼ばれています。
 
◎ 電磁場の基礎理論の確立 1831年(江戸時代 天保 3年)
 Michael Faraday(マイケル・ファラデー 1791年 ~1867年 グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス) 物理学者)は、電磁気学の分野で直流電流を流した電気伝導体の周囲の磁場を研究し、遠隔作用による光の速度が無限大とする考え方は、クーロンの法則にもあてはまり、あわせて、近接作用による水面の波が広がっていく力が働くことから物理学における電磁場の基礎理論として確立しました。
 
◎ モールス符号 1837年(江戸時代 天保 8年)
 Samuel Finley Breese Morse(サミュエル・フィンリー・ブリース・モールス 1791年~1872年 アメリカ合衆国 発明家)は、現在のものと全く異なった電信符号を用いて電信実験を行い、その後、改良した電信符号で特許を取得し、発明者にちなんで「モールス符号」となります。
 モールス符号は、電信で用いられている可変長符号化された文字コードで、日本では、モールス符号の短点を「トン」(あるいは「ト」)、長点を「ツー」と表現し、俗に「トン・ツー」とか「ト・ツー」と表現され、無線局運用規則(昭和25年電波監理委員会規則第17号)別表第1号の和文と欧文(国際電気通信連合(ITU) 国際電気通信連合憲章に規定する無線通信規則(RR : Radio Regulations)に対する勧告と同じ。)の符号が定められています。
 モールス符号は短点(・)と長点(-)を組み合わせて、A~Z(アルファベット)、数字、記号、カタカナ(和文)を表現し、長点1つは、短点3点分の長さに相当し、各点の間は短点1点分の間隔をあけ、文字の間隔は短点3点分、語間隔は短点7点分あけて区別しています。
 ただし、符号の上に上線が引かれているものは、例えば、 は、「・ ・ ・ - - - ・ ・ ・」と間隔がないよう連続と打ちます。(SOS 上線なしの場合 「・ ・ ・   - - -   ・ ・ ・」と文字の間、短点3つ分空白となります。)
 
◎ 世界初の無線電信の実験 1838年(江戸時代 天保 9年)
 1838年 ステンハイル(ドイツ)が、また、1842年12月 モールスが、比較的近距離での無線電信の実験を行います。
 導電式(伝導式)無線電信機は、河川等を隔て、送信側は、両端を設置した架空電線内に、電信符号に相当する電流を流し、受信側は、河川等の対岸に、両端を設置した架空電線内に共通導体となる「水」(大地、水面等も含む。)を通して、架空電線回路にある受信器を作動させるもので、架空線の長さは、送受信を行う距離の約2~3倍を必要し距離が離れるにしたがって、装置が大がかりとなるため、実用化されませんでした。
 また、1882年 ブリース(イギリス)は、誘導式(誘電式)無線電信機による実験を行い、誘導式無線電信機は、河川等を隔て、送信側は、両端を設置した架空電線内に、交流を利用して、電信符号に相当する電流を流し、受信側は、河川等の対岸に、両端を設置した架空電線内に共通導体となる「水」(大地、水面等も含まれる。)を通して、架空電線回路にある受信器を作動させるもので、導電式との違いは、誘導式は「交流」を使用して、架空電線間の誘電作用を利用して、電信符号を伝達するものです。
 
◎ 電磁方程式の提唱 1864年(江戸時代 天治元年)
 James ClerKmaxwell(ジェームズ・クラーク・マックスウェル 1831年~1879年 グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス) 物理学者)は、ファラデーの電気分解の実験により、電磁波の理論に「場」という概念から、1864年 電磁波は、エーテルを媒体として近接作用により伝搬する「電磁波」について、マクスウェルの方程式を導いて古典電磁気学を確立し、電磁波の存在を理論的に予言、電磁気学の基礎方程式「マックスウェルの方程式」(電磁方程式)を提唱し、その伝搬速度は、光の速度と同じであり、横波であること示した。
 
【参考文献】
 「日本無線史」第一巻 第一編 無線技術史(上) 1950年(昭和25年)12月30日 電波監理委員会 P001
 「電氣試験所五十年史」 1944年(昭和19年) 電氣試験所
 月刊「電波受験界」連載 「電波ものしり博士」 一般財団法人情報通信振興会 刊
 月刊 電波受験界 電波ものしり博士 エーテルとアインシュタイン(1)~(4) 一般財団法人情報通信振興会 刊
 月刊 電波受験界 電波ものしり博士 平賀源内(1)~(6) 一般財団法人情報通信振興会 刊
 「江戸東京年表」 1993年(平成 5年) 5月10日 大濵達也 吉原健一郎 小学館

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