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萬客萬来落語会

9月の最終日。
めぐろパーシモンホールにて、三遊亭萬橘後援会が主催する独演会があった。
後援会が主催する落語会は二回目である。

第一回は同じホールで開かれたが、何と言うか……

もっと小さなホールの方が満員に見えてよかったのに……

といった残念な客入りだった。

なのに昇太師匠がゲストに来るなり満員である。

後援会員としては何がなし不服であった。

萬橘さんのが爺臭く見えるけど
昇太師匠は昭和34年生
萬橘さん昭和57年生で20才年下

会場の客席前半分は、たぶん後援会員の事前予約で埋まっていたのだろう。

後ろ半分の客席が笑点司会者、芸協会長お目当ての人々だったに違いない。

笑いのビミョーな差でわかるのだった。

前座噺に対する笑いは主に後ろ半分の席から聞こえて来たのだ。

落語に慣れた人だと前座噺など聞き飽きているから笑わない。
基本、前座はあまり噺に独自な工夫を入れてはいけない。
習った通りにやることになっている。

となれば、前座噺を聞き飽きているひねた客は笑わないのだ。
(逆にそんな客さえ笑わせる前座は相当な才能なのだが)

ということを、お二人のトークで再認識した。

昇太師匠曰く。
落語家の前座はとにかくどんどん落語を覚えなきゃいけない。
前座は習った通りにやって覚えるのだ。

ちなみに落語家が落語を覚えるには、落語家から習うしかない。
真打の師匠から目の前で落語を語ってもらい覚えるのだ。
(人によっては自分のCDや音源で覚えてもいいと言うらしいが)
それがプロである。

そうして真打になってから覚えた落語を取捨選択するのだ。
どの噺が自分に似合っているのか。
どこをどう工夫すれば自分らしくなるのか。

「これはどの師匠に習った噺だとわかるような落語をするのは、本当の落語家じゃない」

と昇太師匠はおっしゃった。
これはなかなか重いお言葉である。

何となれば、春風亭昇太師匠は新作落語家としてデビューしたのである。
当時は、過去の名人の落語をそのまま上手くコピーする落語家が評価されていた。

(だからこそ落語は廃れたと言う人もいる。時代の変遷も考えずに昭和の名人のコピーをやり続けて、新しいファンが生まれなかったと)

SWA☆創作落語アソシエーション

新作落語など邪道だ!
そんなものをやるのは落語家ではない!
とまで言われる時代だった。

春風亭昇太師匠はもちろん、同じSWA(創作落語アソシエーション)メンバーである柳家喬太郎師匠も、新作派というだけで嫌な思いをして来たのだ。

そんな暗黒時代を乗り越えて来た師匠のお言葉である。

デビュー以来ひたすら新作落語で戦って来た昇太師匠も、今は古典落語もやっている。
もちろん習った通りの当り前の古典ではない。
古臭さを全く感じさせない、まるで新作のように笑える噺なのである。

その昇太師匠が言うのである。

「これはどの師匠に習った噺だとわかるような噺をするのは、本当の落語家じゃない」

この言葉を聞いた時私が思い出したのは、春風亭一之輔師匠のことだった。

確か「初天神」だったと思うけど、一之輔師匠は柳亭市馬師匠に習ったのだという。
その一之輔版「初天神」を袖で聞いていた市馬師匠は、一之輔師匠が高座から降りて来るなり言ったそうである。

「俺が教えた噺の跡形もないじゃないか!」

そりゃそうだ。
普通の「初天神」とはまるで違う。
しまいにはそこから派生させて「団子屋政談」なんて新作まで作ってしまった。

一説によると、春風亭一朝師匠も一之輔師匠に稽古をつけて、教えた噺と全然違うと驚いていたらしい。

長野市の北野文芸座

そういえば一之輔師匠の「反対俥」も工夫の果てに、もはや新作落語のようである。
私は長野の北野文芸座で初めて聞いて、ひっくり返りそうになった。
旧来の「反対俥」とは全然違っていたからである。
今や工夫が積み重ねられてその時とはオチまで違っている。

初めての「反対俥」を一之輔師匠で聞いた人は、正統な「反対俥」を聞いて別の噺と思うに違いない。

けれど一之輔師匠は、後輩に稽古をつけて欲しいと言われると自分が習った通り古典そのままの噺を教えるという。
(下記の本にその記述があった)
工夫は自分でしろというわけである。
あるいは工夫しないで古典のまま進めるやり方もあるだろうし。

『落語の人、春風亭一之輔』中村計
(集英社新書)
皮を剥いて読んでます

いや今回は一之輔師匠ではなく、萬橘師匠の話である。

「これはどの師匠に習った噺だとわかるような噺をするのは、本当の落語家じゃない」

という言葉は、萬橘師匠を誉める文脈で言われた。

萬橘師匠の古典は全てに独自の工夫がなされている。
今回の「稽古屋」にしても「大工調べ」にしても。

かつて春風亭小朝師匠はよく「稽古屋」をかけていたそうである。
当時は紅顔の美少年だった小朝師匠が白魚の様な手で仕草をする。
それは美しくも素晴らしい噺だった!!
と昇太師匠は言うのであった。

そしてこうも言う。
萬橘師匠は小朝師匠のように見目麗しくはないけれど、独自の落語は素晴らしい!!

ほっとけよ。
私は萬橘師匠の見た目に惚れてるわけじゃないんだから。
落語に惚れてんだよ!

というような興味深いトークなのだった。

円楽一門会の萬橘さんと芸協の昇太さんはこれまで接点がないようだった。
でもプロモーター抜きで直接、後輩の独演会に呼ばれるのは誇らしいと語る昇太さんなのだった。

萬客萬来落語会第二回。
落語も面白かったがトークも実に興味深い会だった。

拍手喝采で幕を閉じ、私は中目黒に向かうのだった。

どっとはらい。


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