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意味も価値も求めないでほしい

書店にいくと、うんざりする。書店に行くことが嬉しくて仕方がないというかつてはあった気分を失って久しい。原因ははっきりしている。書店が悪いのでも、本が悪いのでもない。これは自分の問題である。かつてのサンクチュアリの捉え方がネガティブ転換したのは私自身の問題だ。

仕事で本をつくっていると、担当書が書店でどう展開されているか気になる。企画会議に出そうと目論んでいる企画の「類書」(大嫌いな言葉だ)がどう展開されているのか、否が応でも気になってしまう。

ジェンガみたく巧みなバランスで積み上げられたA社の注力タイトルを遠景に確認し、社と書店をあげてあの本を推しているんだな、とか。一方で、向こうのサイネージではB社のあの本の宣伝映像が流れているな、宣伝費いくらかけたのかな、とか。C社のあの本は、1階話題書と3階2箇所の3箇所展開か、とか。この帯、すごいな、著者本人より推薦者のほうが目立ってるやん……、とか、とか、とか、とか……。

陣を張るあまたの武将が割拠する関ヶ原に放り込まれたようで、暗澹たる気分になるのだ。あの陣(D社)は資金力があるから、でかいし派手だなとか、あの陣(E社)は陣の張り方に工夫があるな、とか。あちらでもこちらでも「やあやあ、我こそは!」と声が上がっている。法螺貝でも聴こえてきそうだ。ギラギラしている。で、自分もこのなかで「戦う」のか、と。

業界が斜陽であろうとも、その綻びつつある市場のなかでさえ資本主義の論理は働き続けている。自分もそのゲームに組み込まれている。お客様(「読者」とは言わず、あえてそう言っている)にとって価値のあるものをつくれ。お客様の役にたつものをつくれ。大多数のお客様が知っているあの人の本をつくれ。

うるさいよ。

涼しく空調管理された書店から出た。刹那でも気を抜いた瞬間昇天しそうな灼熱の市街。「空洞です」が流れてきた。

なぜか町には大事なものがない
それはムード 甘いムード
意味を求めて無意味なものがない
それはムード とろけそうな

「空洞です」ゆらゆら帝国

時が学生時代に戻った。

「空洞です」のリリースは2007年だから、すでに社会人になっていたのだけれど、それより遡ること10年、ゆらゆら帝国のメジャーデビュー前後のムードと私の学生時代は切り離せない。

意味を求めて無意味なものがない。

いま、私が渦中にあるニヒルなムードは、超就職氷河期、私たちが問われ続けてくるしかったはずのそれーーあなたの価値はなんですか? あなたは、会社に、社会に何を提供できますか? 役に立つんですか?ーー学生時代のモラトリアムのそれと同じだった。

意味、意味、意味。価値、価値、価値。タイパ、コスパ。だから何? 本とは「意味と価値」を提供しなくてはならないものなわけ? 結果として、意味があった。結果として、価値があった。読んでよかった。それでよくないですか? むしろ私はそれがいい。

無意味なことをもっとしたかったはずなのに、気がつけば、意味ばかり求めて生きている。



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