ミュージシャンを主人公とする物語が難しい理由

【1】

音楽とは違う話なのですが、今期放映のアニメでモータースポーツものが2本もやっています。
あくまで私の主観ですが、リアル系の「オーバーテイク」。そしてファンタジー系の「MFゴースト」。
まだ終わっていませんが、今のところ、私としては、ファンタジーに振った「MFゴースト」の方がエンタメとしては面白いと感じます。

前からモータースポーツのレース(草レースみたいなもの除いて)を物語にするのは難しいと考えています。
というのは、モータースポーツは、他のスポーツとは違う部分があるからです。
そのひとつは、他のスポーツと比べて必要なお金が大きく、
「アマチュアであってもスポンサーがつかないとやっていけない」
「チームのスタッフやファンから『応援したい』と思われないといけない」
ということです。

なので、レーサーには人望が必要です。小さい頃からカートレースを通じてその部分を教育され、積み上げてきているのが普通で、ある程度のランクに登ってきたレーサーは対人関係についてかなり完成されています。(例外はいるし海外は違うかもしれませんが。)
つまり、レーサーを主人公にすると、人間的な面で成長できる部分が少ないのです。
他のスポーツ物語なら主人公の人間的成長がドラマの軸として入る、むしろそれが主軸なのですが、レーサーが主人公の物語ではそれは通用しないのです。
そこがモータースポーツを描いた作品でありがちな失敗だと私は考えていて、「オーバーテイク」も普通のスポーツものの主人公設定とプロットで進めていて失敗していると感じています。

【2】

さて、ここで音楽に話を移します。
ミュージシャンも同じだと思いませんか?

「音楽は勝ち負けではない」と言う人には関係のない話ですが、アマチュアでもライブハウスで演奏を続けていくには、たくさんの応援してくれる人が必要なわけで、それはプロと変わらない勝ち負けだと思います。

つまり、「モータースポーツのレースで勝ち抜くアスリート」 「勝ち抜くミュージシャン」 に必要なものは、同じ「人間的な魅力」だということです。

何度もライブ会場へ足を運び、お金を払ってライブを見たいと思われる、「応援したくなるなにか」を持っていることが、勝利条件です。

【3】

そう考えてみると、ミュージシャンが主人公の物語というのも難しいのです。
成功した物語を思い出してみてください。
最近だとアニメ版の「ぼっち・ざ・ろっく」と「パリピ孔明」でしょうか。
どちらもはじめから主人公は成功する資質、人望や技術、才能を最初から持っています。
普通はそうでないと成り立たないのです。

なので別のハードルを超えることを受け手のカタルシスにするしかありません。
「ぼっち」は、自閉症スペクトラムとしか思えない主人公が、コミュ障をささやかに乗り越える。
「孔明」は、マーケティング戦略による成功。
どちらの主人公も才能や資質は持っているのです。
つまり、音楽面での成長を描いているわけではないのです。
ですので、もしこの両作の主人公のスキルが別のものでも、物語としてはできるのです。両作とも「音楽」を描いているわけではないのです。
例えば、「ぼざろ」ならスポーツでも成り立つし、「孔明」はファッションデザイナーでも成り立ちます。

そう考えると、映画「セッション」は、そこの逆をついたことが衝撃だったと言えます。
すさまじい努力で得た技術によって、自分をいじめ抜いた師に音楽で悦びを与えることが復讐、という斬新な話は、音楽がテーマでなければ成り立たないし、あの映画だけで、もうできません。


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