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ソロキャンプ 完ソロとオバケ問題

3年ほど前からソロキャンプを嗜むようになった。近年キャンプ場でよく見る孤独なオジサンのなかの1人というわけだ。

設備の整った人が沢山集まるいかにもなキャンプ場は苦手。

キャンプ場感が限りなく薄く、ぶっきらぼうなただの湖畔、程よい湖面のサイズ感と高くない山に囲まれた絶妙なる外界との遮蔽感。

設備といえば、いつもブナシメジの残骸なんかが排水口に引っかかった簡易な2口の洗い場、有料のクセにド汚いトイレなどが、お洒落キャンパーの襲来を防いでくれているであろうという絶妙のバランス感で存在しているキャンプ所がお気に入りで、そこでの宿泊回数は25回以上を数えた。

予約不要というのも重要なポイント。

どうせ週末にキャンプに行くのは決まっているのだが、予約された一点の時間場所に向けて行動を起こすというのは、それ自体がソロキャンプの自由を縛るという感じが自分にはしてしまうのだ。

そこは連休さなかにフラッと出かけても確実にテントが張れるので、行動の自由を妨げないという意味で、自分の感性にフィットしている。

季節は冬が一番好きだ。

薪ストーブを焚いたおこもりキャンプとは全く無縁で、完璧な防寒装備に身を固めてテントを開け放ち、ピンと澄んだ冷気のなかで、満点の星空を眺めているのが至福の時間だ。

昨年末には広い湖畔に全くの独り、いわゆる完ソロを体験する事ができた。デイキャンプとおぼしき最後の1張りが撤収した瞬間、うおお!と独り歓声をあげた。

以前より、自分のメンタルがこの状況にいかなる反応を示すかに興味があったのだ。
結果を言えば恐怖の感情など一切無く、湖畔を独り占めできる喜びと開放感だけがそこにあった。

自分の中ではオバケ問題はとっくに片が付いている。

物理現象としてのオバケの存在など、ンなモン有るわけねーばか!と完全に納得している。

暗闇で感じる恐怖というのは、暗闇がもたらす生命への危険が起因した原始の警告システムであり、そのゾワゾワ感を太古より人はオバケの存在と捉えたのであろう。死の気配を忌避するという意味で、人が死に至った場所を不快に感じるのもそれである。

言わばオバケとは物理現象でもなんでも無く、脳科学や精神科学で説明ができるものだと100%納得ができているのだ。

だから何かの拍子にゾワリと来たときでも、あ、ハイハイ、警告システム発動ね、とすぐにそれを打ち消すことが出来るのだ。

そんなメンタルが完全に証明されたことが何よりも嬉しかったし、より深く自由になれた気がした。

とはいえ、深夜に野生動物の足音や咆哮を聞くのはガチで怖かったです。

あと、便所棟のすぐ脇の茂みで立ちションしてるような、どこかイッてしまっているリアルな人間は怖いです。


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