『SE7EN』を胸糞映画と呼ぶな

ナンの美味しさを教えてくれた友に捧ぐ



以前、ナンネキに、反出生主義についてどう思うか聞かれたことがあった。

わたしは、デヴィッド・フィンチャーの『SE7EN』が答えだと言った。

以下は、次の日にナンネキがセブンを見終わったところからの会話である。



ナンネキ「セブン見たよ」

「まだ頭の中で熟成中だが」

「というか飲み込めてないけど」

「咀嚼中だけど」


わたし「おお!!」

「えーと、反出生主義について、どう思うかだよね」

ナンネキ「そうそう」

わたし「まず、セブンって世間的には胸糞映画って言われてて、
いわゆる映画好きの方々もみんなバッドエンドみたいな言い方をするわけさ」

「あの映画に希望があったって言う人に出会ったことはないんだけど、わたしは希望があるって確信してるのね」

「まず、モーガンフリーマン演じるベテラン刑事(サマセット)に主人公(ミルズ)の奥さんが子供を産むべきか相談するシーンがあるじゃない?」

「こんなクソみたいな世の中に子供を産むのは反道徳的だと、それが反出生主義者の考えの一つでもあるわけでさ」

「でもサマセットは、クソみたいな世界だけど 、それでももし産むなら、たくさん甘やかして育ててあげろって言うわけだよね確か」

「そこには、冷たい社会をも超えるほどの愛があると信じてるわけだよね。サマセットは。そんで奥さんもそれを信じることにしたわけだ。」

「そして最後、悲惨なことに奥さんは死に、つまりお腹のなかにいる赤ちゃんも死に、犯人の目的が達成され、ミルズが絶望に陥るというのが、」

「まあ物語世界内の事実なわけだよね。」

「これだけ見たら確かに胸糞映画だと言うのはわかる」

「ただぁ!!!」

「映画というのは、必ず誰かの視点でモノを見てる。この映画がそれでも希望を残すかどうかは、事実がいくら悲惨でも関係ないからね。」

「注目して欲しいのは、映画がどのように終わるか!」

「わたしの記憶している限り、ベテラン刑事、サマセットのモノローグで終わる。」

「もう1年くらい前だからよく覚えてないけど、たしかヘミングウェイの引用をしながらのセリフで、それはこんな感じのだった。


「世界はうつくしい。だから戦う価値がある。」
私は後半の部分には賛成する

っていう感じだったよな!?確か!」

「だから、つまりサマセットはこの絶望の中にさえ、それでも戦う価値のある、愛や善というものを信じてるわけだ。」

「まだ戦えると!」

「こんなにも絶望的な事実さえも乗り越えてそう観客に語りかけることは、本当に力強いことだと思ったんよ!」

「私にとってこれは胸糞映画ではなくて、胸糞の中でも戦おうとする希望を示してくれる映画だと思うんや!」

「だから!!反出生主義の気持ちもわかるが、私はこんなクソみたいな世の中でも愛を育む=戦う価値があると、サマセットのように信じてる」


ナンネキ「いやわかる」

「めちゃくちゃ胸糞映画って呼ばれてたからさ」

「本当にミスト的なsummer of 84的な(見たことないけど想像できる)わりとストーリーにとどまる胸糞映画だと思ってたら」

「観てる実感として確かにラストはほんまにショッキングだったけど単なる胸糞映画ではないなーっておもったのね」

「ブラピが主人公だったらむなくそえいがだったけど」

「モーガンフリーマンが主人公であることで」

「どんだけクソな世の中を見せつけられても希望を持とうとする人間の映画になってるよね」

「言い過ぎかもしれないけどニュアンスとしてはあると思う」

「それこそがめちゃくちゃ名画な理由だと思った 単に胸糞とかおもろいことだけじゃなくね」

「わたしも割とこのスタンスの人間、で今現在はいるから」

「生きる価値があるとは、思える幸せ者だから」

「そうであるうちは、自分が命を生んだとしても、その子にもそう思わせてあげるくらい努力すれば良いんじゃないかなって思う」

「だって社会がくそなのは私たちの責任じゃないじゃん
もし社会がクソだから子供を産まないんだったら、
この社会を放置して諦めるよりも、まず自分がその子の世界になってあげて、その上でこのクソな世の中に対抗するのが道義じゃないのと思うけど」

「でもその体力が皆にはないのも分かるし、それこそ家庭環境とか良くなかった人はそう思えないのはわかる」

「から反出生の人を反対する気はないけど、だからといって私は命が生まれるのはあかんことだとは思わん」




こうして会話を書き起こしている今、
ナンネキは私に
「この考えが10年後にはどうなってるかね」
と言った。


遠くで針の進む音が聞こえる

規則正しく、一秒に一回。


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