『青』の中心で輝く永遠の「青」
164さんの『青』が大好きだ。
164さんといえば『天ノ弱』が有名で、もちろんそれも名曲中の名曲である。しかし個人的な思入れが強いのは断然『青』の方だ。
発表から9年を経てなお、その輝きが僕の中で色褪せることはない。なぜか。もちろん、サウンド面の迫力やメロディの美しさ、曲展開の妙は言うまでもないことだが、今回は『青』の持つ世界観を主軸にその魅力を追ってみようと思う。
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浮遊感のある電子音がゆったりとした時間を紡ぐ冒頭の24秒。
その後、突如として厚みのあるヘヴィサウンドの壁が立ちふさがる。
それはまるでばっさりと断ち切られた淡い想いを表しているようだ。
青―――花が芽吹く前の蕾の色、はじまりの色である。
だがこの歌ははじまりの歌ではなく、単なる終わりの歌でもない。
はじまることも、終わることもできない呪いをかけられた者の苦悩の歌だ。
「好きかどうかわからない」
これほど残酷なアンサーが他にあるだろうか。
保留するでも、揺れているでもない。
「わからない」という、判断の放棄。
想いは“青いまま”凍結され、咲くことも朽ちることもできなくなる。
可能性は、可能性のままでいることを嫌う。
物事の成否を伴い、時の経過によって、或いは何者かの意思や判断によって不安定な状態から確定へと向かう。
重力に逆らうことが多大なエネルギーを要するのと同じで、不安定なままの状態がつづくと、人の心はすり減っていく。
それこそ「この目もこの耳も千切れてしまえばいい」と思うほどに。
どこかで強制的に区切りをつけなければならない。凍結された想いを自ら粉砕することによってしか、前に進むことができない。「独りだけの世界」にしか、新たな可能性へと進む道が残されていないのなら、そこへ向かう他ないのだ。
自ら砕いた世界の残骸は、時を経てなおいつまでも青く美しく在ることだろう。それだけが唯一の救いであり、だからこそ、その美しさは絶望に満ちた世界で燦然と光り輝くのである。
そのあまりにも純粋な輝きが、この歌が持つ普遍性の核にある部分ではないだろうか。
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この文章を書いている間も、『青』を繰り返し聴いた。何度も聴覚に身をゆだねてしまい、たったこれだけの文字数を書くのにひどく時間がかかってしまった。
『青』の美しさは、聴くことによってはじめて感じ取れるものだし、そこに余計な解釈などおそらくは必要ない。聴きさえすれば、得られるものだからだ。だから、この文章を書くことはひどく無粋で、ダサい行為に思えてならない(実際、駄文である)。
なのでこの文章は『青』の魅力に捕らわれ、それについて考えることを止められなかった者が捧げる、拙い供物であると考えていただければと思う。
――― 了 ―――