見守る・寄り添うは『何もしない』じゃない

あなたと共にうたいたい。

元高校教師(国語)の
たこせん枝瀬です🐙

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教育は
自分が変わらないと
他人を変えることなんてできない。
       =「主体変容」

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【たこせん枝瀬の発信の足】

タコマンダラ

【今回は主に「家族共育」編です】


ホントにこれでいいかしら?

9月も中旬になりました。

三連休で
ホッとしたいところだけど、

2学期がはじまって、
学校に行かない・行けない
お子さんをもつ親にとっては、

焦りと不安が

どうしても
つきまとう感覚、
なかったでしょうか?

高校教師していた経験上、
夏休み明け2学期のスタートは

登校しぶりが増えるし、
そのまま「不登校」になる生徒も
出てきます。

今の「不登校支援」の主流として
よく言われるのは

□□□□□□□□□□
見守る
寄り添う

□□□□□□□□□□

というキーワード。

子どもの「やりたい」ようにやらせましょう。
子どもの「こころ」を尊重しましょう。

そんなスタンスで、
子どもを見守るといいですよ。

というアドバイスに従って、
いざ「見守ってみる」のだけど、

当の本人は、
三年寝太郎のごとく、
食べて飲んでゲームして寝る毎日。

生活もすっかり昼夜逆転して、
表情もうつろで、
体重も増え(あるいは減り)

一向に好転する気配が見えない。

そんな姿を真のあたりにすると、

親としては

『見守る』で、ホントにいいのかな?
『寄り添う』という言葉はキレイだけど、
実は『何もしていない』だけなんじゃ・・・

初期のころは、誰もがこの気持ちと葛藤します

と、
強く葛藤し、
焦りが募り、

やっぱり

ゲームを取り上げるとか、
布団からたたき起こすとか、
登校刺激を促すとか、

ついつい、
『働きかけ』をしたくなるんです。

それでもね、

やっぱり僕は

強引な
『働きかけ』は、
好みじゃなくて、

□□□□□□□□□□
見守る
寄り添う

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を大切していくことが

長い目で
親子の「変容」に
つながると思うのです。

『見守る』って結局、なんなんじゃい?

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