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正義の屈折

深々とした空気が漂う真夜中。粉々に割れたガラスの破片にちぎれた電線から吹き出す火花の光が屈折して赤く光っている。地面には生気を失った肉片が転がり落ち、その肉片の主人であろう物体が建物にめり込んでいる。悲惨と呼べるこの状況の中をローファーで歩き回る女子高生が2人いる。
杉崎かなではそのうちの1人。
杉崎は両手を地面につけ、その手を段々と空へと伸ばす。すると、電線の火花を写していた全てのガラス片が空中へと浮かび上がり、今度は月光の光を屈折させたかと思うと、一つ一つの破片が互いを求めるように引き寄せ合い組み合わさっていく。やがてそれらは一枚のガラスになり、何も無かったかのように建物の窓となった。空虚にも散らばった肉片もまた、主人の元へ還っていったが、あと一部分が足りなかった。
「ガラスが空に舞ってる時って星みたいですよね。ねっ、杉崎さん。」
「わぁっ!びっくりしたぁ。私の背後に立たないでください!吉瀬さんまで戻してしまいますよ!」
杉崎は「物体を元の場所へと戻す能力」を持っており、もう1人の相棒と作業中である。
「吉瀬さん、早かったですね。もう終わったんですか?」
「はい!チャチャっと記憶の書き換え完了しました!」
ここで、突然背後から登場したもう1人の人物を紹介しておこう。彼女は吉瀬まこと。杉崎の相棒であり「記憶を書き換える能力」を持っている。
「吉瀬さん、効率的な仕事は大変素晴らしいですが、慎重にお願いします。」
「分かってますよぉ。あのぉ、杉崎さん。砂肝食べます?」
「は?」
なぜか、吉瀬は砂肝がぎっしり詰まったタッパーを左手に持っている。
「何で、砂肝持ってきてるんですか?」
「おやつだからです。早く一個取って食べて下さい。」
「砂肝はおやつじゃないですし、見てましたよね。私が両手を地面に付けてたの。なぜその前に言わなかったんですか?食べないですけど。」
「そんなぁ。」
吉瀬が口を尖らせながら、砂肝を口の中に放り入れ、油で照った指をちゅぱっと吸うと、その姿を見た杉崎が肩を震わせ笑い始めた。
「杉崎さん、どうしたんですか?」
「この前、母が愛犬に指にヨーグルトつけてあげてたんです。で、あげ終わった後、何を思ったかその指をしゃぶっちゃって。母が我に返って、『やばっ、流れで吸っちゃった。さっき、プーちゃん(愛犬の名前)うんち食べてたわよね。』って。すぐに口をすすぎに行ったのを思い出しました。」
「愛らしいお母さんですね。お母さんって言葉聞いたら、お腹空いてきちゃった。帰りに、ファミレス寄りません?」
「お腹空く回路おかしいですけど了解です。では、最後の仕上げをしましょう。吉瀬さん、左足を上げてください。」
へっ?とおかしな声をあげながら、吉瀬が左足を上げると、尻尾のようなものが、肉片の集合体を目掛けて真っ直ぐ飛んでいった。吉瀬がその物体の行先を追うと、そこには人ではない生物が寝息をたてていた。大きな尻尾、ゴツゴツとしている背中、爪は鹿の角のように長く鋭利、まるで怪獣のような。って、怪獣だけど。完全体となった怪獣は体を小さく丸めると、やがて赤ん坊の姿になり、最終的に姿を消した。それを見届けた2人は顔を合わせると同時にお辞儀をしながら「今日もお疲れ様でした。」と言い合い、全てが再構築された街に消えていった。この一連の様子を建物の屋上で1匹の猫が眺めていた。

翌日の夕方、2人はファミレスにいた。
「今日は、この辺りに集合らしいですよ。」
杉崎はフライドポテトを1本ずつ食べるたびに指を拭きながらスマホを操作し、開いた地図アプリで赤く点滅している場所を吉瀬に見せたが無関心のご様子。
「なんか、私たち女子高生っぽいことしてますねぇ。学校帰りにファミレスでお茶なんて!」
「吉瀬さん、コーラとバニラアイスとエスカルゴを飲み食いしてる女子高生は中々いないですよ。」
杉崎は、テーブルに置いたスマートフォンを直角に置き、カメラの画角にエスカルゴをいくつ口の中に入れられるか勝手に挑戦している吉瀬の姿を入れようとする。カメラを向けられ笑顔を作ろうとした吉瀬だが、一匹のエスカルゴが口元から脱走し、杉崎のソーダの中に着地した。
「ほとんど飛沫が上がらなかったので、飛び込み競技だったら高得点ですね。」
謝ることなく口の中のエスカルゴを咀嚼する吉瀬。よく見るとエイリアンが水面に浮かんでるみたいだなぁ。一応、こっちの写真を撮っておくか。と、杉崎はレンズの焦点を吉瀬から水面上エスカルゴに合わせた。
「あれ?私を撮ってくれるんじゃなかったんですか、杉崎さん。笑顔で待ってたのにぃ。」
「あなたの口の中のエスカルゴには興味ありません。私はこの水面に浮かぶエイリア、エスカルゴに興味があるので。」
「今、杉崎さんエイリアンって言いかけませんでしたか?」
「いや、言ってません。」
「最後『ン』って言えば完成でしたよ。」
「もう、さっさと口の中のエイリアン食べてください。」
「あっ、今、完全に言いましたね。」
「今のは、わざとです。」
「え〜っ」
疑いの目を杉崎に向けながら、エスカルゴを咀嚼していた吉瀬だったが、衝立の後ろの席から聞こえてきた言葉に、本日2匹目のエスカルゴをソーダに着地させることになる。
「いや、本当に昨日見たんだって!怪獣がいたの!」
プッ。ポチャっ。シュワー。(エスカルゴ、ソーダへ着地)
「覚えてるもん!」
ドキっ。(吉瀬の心の音)
「で、私と同い歳くらいの子が全部元に戻してたの!」
ドキっ!ポチャっ。シュワー。(杉崎の心の音、そしてフライドポテトがソーダへ着地)
フライドポテトを1本ずつ口に入れていた杉崎の手とエスカルゴを咀嚼する吉瀬の口の動きが止まる。互いに視線を合わせ、杉崎が前傾姿勢で吉瀬に顔を近づけ、小さな声でささやく。
「吉瀬さん。昨日、どの範囲まで記憶を書き換えに行ったんですか?」
「えっ?指定されたエリア内に居て生命的な被害がない人は全て記憶を書き換えましたよ。あと、被害にあった人達は杉崎さんが元に戻してましたし。」
「建物の中は?」
「建物は全て鍵が掛かってました。夜中だったので高校生が出歩く時間でもないでしょう。」
「でも、私が全てのものを元に戻すところも見られているんですよ。誰も入らないように周囲にはバリアだって張ってたのに。」
2人は首をかしげ、声のする隣の席に視線を移す。その席には2人と同じ高校の制服を着た女子高校生が2人座っていた。1人はお会計の紙を左手に持ちながら、スマホを右手でいじり、「へぇーそうなんだぁ」と関心の無い声を出し、立ち上がった。その子を追うように立ち上がったもう1人の高校生は不満げな顔で「本当なんだって、信じてよぉ。」と言いながらごねている。この子が一部始終を目撃したようだ。
杉崎と吉瀬は店を出る2人を追うように食事を済ませ会計へと向かった。
外へ出ると、目撃者である方の高校生は一緒の席に付いていた子に手を振って別々に歩き出していた。冷や汗をかきながら杉崎と吉瀬は気付かれないよう尾行していると、その子は突然路地に顔を向けるとニコッと笑って、その路地に入って行く。
突然の方向転換に2人は慌ててその路地の方へ近づくと、そこには猫がグルグルと喉を鳴らし撫でられていた。
「はぁ、なんだ猫か。」
吉瀬は胸を撫で下ろしながら、再びその子を後ろ姿を見つめる。
ただ、杉崎と吉瀬は気づいていない。猫を撫でる彼女の両目は人間のものではなく、撫でられている猫と同じ目をしていたことに。

10分ほど経っただろうか。目撃者である女子高生は神社に入っていった。
人を追うって、こんなに疲れるものなのか。息を切らしつつ2人が鳥居を潜った瞬間、2人は息を呑んだ。2人の目線の先には、不敵な笑みを浮かべた彼女がいる。「やっぱり、ひっかかってくれた。単純でよかった。全部見てましたよ。綺麗なお片付けでしたね。でも、お掃除なんかしないで、みんなに現実を見せたらどうですか?」
吉瀬が彼女に向かって記憶を書き換えようと人差し指を差し出す。しかし、その能力は発揮されない。
「無かったことにするって、一番残酷な事ですよ。」
その声が聞こえたのは吉瀬の背後だった。思わず振り返った吉瀬は彼女と目を合わせたが、その目は猫と同じだった。
「やっぱり人間の黒目って重要だね。あれ、可愛いんだね。」
彼女の目を見た吉瀬は隣にいる杉崎に言ったが、杉崎はただ頷くだけだった。
「あ、目ですか?私は可愛いと思うんだけどなぁ。」
そう言うと、彼女は下を向き再び顔を上げた。
「これでしっくりきました?」
丸い黒目が神社を囲む木々の木漏れ日を受け、茶色く光る虹彩を2人に印象づけた後、彼女は吉瀬の胸の近くに何かを押し当てた。体をうずめる吉瀬の胸には刃物の柄らしきものが刺さっていた。
「あなた、これ、戻せますもんね。」
彼女は吉瀬を指差しながら、顔が真っ青になった杉崎に問いかける。
「現実に嘘をついた平和を作って、みんなを御伽噺の住人にさせる事に罪悪感を感じたりしないんですか?」
人間の目をした彼女の目を下から覗きながら吉瀬は反抗する。
「じゃあ、あなたが見たい現実を見せてあげる。」
吉瀬は彼女の上着の首元を掴み、鼻の先まで近くに顔を近づけ目を合わせると、
彼女の右足が後退する。電流が走るように記憶がリンクする。その先に見えたのは、怪獣と戦う巨大なロボットの戦場に巻き込まれる人々の姿だった。
「残酷でしょ。正義の中に巻き込まれて死ぬ人がいる。それを許容し、見過ごす。私たちは、それを無かったことにするけど、悲しみで心の真ん中に開いた穴は一生塞がらないことが理解できないのなら、今の世界を愛しなさい。」
リンクした記憶が外れ、揺らめく彼女の腕を杉崎が掴む。
彼女の目には涙が浮かんでいる。
最初、浮かんだ涙には木漏れ日が反射していた。ただ、おかしな事に、徐々に涙を流す彼女の姿さえ見えないほど、あたり一面が急に影になった。
杉崎は彼女を自分自身の体に抱き、吉瀬に片手を伸ばす。
ドシンッ。
そこには、巨大な怪獣の足があった。

ある通学路。3人の女子高生が並んで歩いている。
「先輩方!ご協力ありがとうございました。これ、お礼のエスカルゴです。」
「おっ、ありがと!でも、あれはやりすぎじゃない?あと、また目が猫になってるよ。」
「さっき触ったからかな?戻しますね。いやぁ、先週からずっと私に付き纏ってる人がいて困ってたんですよ。どうしたもんかなぁ、何ならビビらせたいなぁってなってお二人にご協力していただいた次第です。」
「台本渡されて『見たんだって、怪獣がいたの!って言ったら、お芝居スタートですから』って。ページめくったら、本当に言う必要あるのかな、こんなことまでってくらいセリフあったからほぼ女優だった。」
「滝ちゃん、演劇部の脚本書いてるんですよね。でも、吉瀬さんにナイフを刺した時は本当にビビりました。」
「あれは、先端が引っ込むタイプのおもちゃの剣を改造したんです。吉瀬さんの胸に磁石を入れてくっ付くようにしました。私が吉瀬さんを刺したの時、ストーカーが慌てて逃げていくのが見えました。」
「付き纏うと後でこうなるぞっていう見せしめだったよね。」
「最後、怪獣までご登場いただきましたけど、あれ、いらなかったですね。」
「なんてことを言うの。めっちゃ張り切って引き受けてくれてたよ。」
「へぇ、本当ですか、それは知らなかったです。」
「そういえば、ファミレスでご一緒にいらっしゃった方は?」
「あの子は、演劇部の部長です。でも、完全プライベートです。きっと無関心に話を受してくれるであろうと踏んだキャスティングです。」
「何か、選ばれる理由として良いものなのかなそれ。」
「ヘヘッ。あっ、そういえば今日の現場はどこですか?」
「今日は学校の近くです。寒いから健康管理に充分注意ですよ。」
「杉崎さん、お母さんみたい。」
「滝ちゃん、この前風邪ひいて見張り番がいなくて大変だったんですから、今回は気をつけて下さい。」
「それ、見てました。猫ちゃんで。砂肝が見えました。あのぉ突然ですが先輩方、お腹空いたんでいつものファミレス行きません?」
「行く!私エスカルゴ頼む!」
「吉瀬さん、私お礼であげたのに。」
「お腹壊しますよ。」
「はーい」
赤く染まった夕日が笑い合う3人を照らす。
今日も、彼女達は人々を御伽噺の世界へ連れ込んでいく。


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