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「育てにくさ」について

息子が5歳くらいの地域の健康診断のときだったと思います。
心理士さんとの面談をしたあと、「お母さんは大変でしたね」と声をかけてくれました。
そのときはじめて息子は「育てにくさ」のある子どもなのかな、と意識したように思います。

「育てやすい」と感じることの一つには、思っていること・感じていることを即座に表現してくれることではないでしょうか。保護する大人側があれこれ想像したり考えたりという負荷がかかりにくいからです。

息子は即座に言葉にするのではなく、数十分や数時間、長いときは数日かけてじっくりと考えてから少ない言葉で自分の気持ちを表現します。幼児のころから「面白かった」「楽しかった」と即座に答えるということはしませんでした。「お菓子は美味しかった?」と聞くと、数分してから「ふつうだった」と答えます。自分が感じたレベル感をきちんと確認してから、正確に表すことを大事にしているようです。旅行の後、数日たってから「楽しかった」と感想を伝えることもしばしばです。
自分の中で体験や感じたことがあるべき位置におさまるのをじっと待って、それがどうだったかを的確に言うべきだと考えてるように感じられます。

ネガティブな感情が沸いても、それが何なのかを言葉として表現するのは、ポジティブなものよりさらに時間がかかるように見えます。
小学校のときに学校に行くことが難しくなったときは、アルミ素材のごみ箱がぐしゃぐしゃになっていたり、壁に穴があいたりしていました。

日々、ああ難しいなぁと思います。
しかしそれとは関係なく、息子は人間としてとても魅力的です。ひとつのことを長い間反芻して考え、息子にとって気に入った映画のワンシーンにいて、役者さんの表情や体の動き、細かな動作やセリフなどを、巧みに特徴をとらえて再現します。ここぞというシーンをセレクトするその目も独特の美意識に基づいていると思います。

育てにくさと向き合うのは、親としてしんどいです。
打てば響くように態度や言葉で示すことができる子どもは、親が背景にあるものを想像できずもやもやとしたり、理由を取り違えてますます子どもとの関係がこじれたりすることは少なくなります。親としては、やはり断然ラクです。

今の日本の社会にとっても、息子は育てにくく、受け入れにくい人なのかもしれません。早い反応、早い行動、早い結果、PDCAを早く回して、ということとは別の場所を見つけなければ、ただただ息苦しいと思っています。

それはどこなのか、まだ分かりません。
加えて私は「早さ」の価値がある場所で仕事をしているので、「早さ」じゃないことを考えることは、どちらかの否定のような簡単な方法がとれず、苦しいときが多いです。
それでも息子が育てにく子だったおかげで、こうやって考える機会を得たことは、私のとってとても良いことだったと思います。「早く早く」だけではない価値があることを、自分事として真剣に考えなかっただろうな、と思うからです。

「育てにくい」子どもである息子が持っている資質は、たくさんの人に評価されるとか、お金を稼ぎだすとかいうものではないかもしれないのですが、要らない、とされるものではないと思っています。そんなもったいないことをする社会だとおもしろくないな、と感じるのです。

うまくまとまりませんがピンチはチャンスじゃないけれど、「育てにくさ」には新しい何かを見つけるチャンスなのかな、と日々考えています。




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