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自律神経は買えないみたいなので散歩します: 2024年2月18日

午前中に入れていた予定が飛んでしまった。連絡を受けたときには既に家を出ていたので、とりあえずそのまま目的方面の電車に乗った。
今日は人とランチの約束があるので、その時間までの大体1時間と少し、時間を潰すことになった。
ひとりでカフェで読書もいいけど…今日は季節外れにとても暖かいので、どうせなら散歩でもしようと思う。散歩神リスペクトである。

私は散歩が得意ではない、気がする。目的地へ効率よく行く方法をついつい考えてしまう。何個かの用事があったら、余計に歩くことなく完璧な動線で目的地を回れたらヨッシャやったぜと思う。ブラブラとショッピングするとかも苦手なほうだ。完全に生き急いでいる。

でも散歩が好きとか特に目的なく歩いてみるとか、そういうタイプの人でありたいとは思っているのだ。なんか文化的でかっこいいから。歩くのは嫌いではないし、全然散歩やってもいいんだけど、ついつい予定を詰め込み過ぎてしまう。昨日も今日も、頭の中はタスクでいっぱいだ。

今日のこの状況は、そういう意味でギフトなのかもしれない。最近の私はこうやって文章を書くこともなく、好きなことを考えるよりも役に立つことを優先して、自分への文化的ケアを完全に怠っている。ある程度仕方がない時期(仕事の繁忙期)とはいえセルフネグレクトが過ぎている。自律神経を金で買えたらいいのにとか言いながら、なんとなく消えない不調を抱えて毎日をこなしている。今現在もだ。正しいことばかりやってる。正しい生活、正しい仕事、正しい運動と食事と睡眠。

午前中の予定というのは英語のレッスンのことで、先生が体調不良でのキャンセルだったので、多分先生は申し訳ないとか思っているかもしれない。けど、今度会ったらお礼が言いたい。私は散歩をするのだ。なんと。私が。ウヒャー!

目的地の駅のホームでこの文章を書いて、そのまま逆方向の電車に乗り、皇居に向かった。一枚だけタイトル用に散歩の写真を撮ったら、もうあとは当てもなく歩いてもいいことにします。さようなら。

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