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世界が終わるまで生きたいと思えるか: 2024年3月30日

年度末。3月末で退職するひとたちを見送った。今年もまた、散々お世話になった人とたくさんお別れした。年末も苦手だが年度末も好きではないな。

私が大人になってから最も強く影響を受けた先輩も、この3月で退職した。30過ぎてから転職した先で同じチームになった人。先輩と言っても、弊社は管理職にならずに出世する道があって、彼も当時からけっこう偉い人だったので、普通の会社で言えば上司に近い間柄だったと思う。数年で違うチームになったものの、その後も折に触れて気にかけてくれ、メンタル面で大いに助けてもらった。本当に感謝してもしきれない。寂しさが消化できそうもないので、彼にまつわる私の一番好きなエピソードを書いておこうと思う。文章を書くことはセラピーなので。


第一印象は少し怖い人だった。白髪混じりの整った髪にふちなしメガネ。言葉数は少なく、考えながらゆっくりとした口調で質問をしてくる様子は、新入りの私の能力を測っているみたいに見えた。

一緒に仕事を始めてみると、普通の人なら投げ出しそうな全然ままならない仕事でもしっかり結果につなげ、部下(私)が困ったら絶対に助けてくれるすごい人だった。専門知識、語学、交渉力どれをとってもスキのない強さ。
彼の周りにはいつも誰かしらやってきて、相談事や雑談をしていく。若い子も、偉い人も。仕事の相談もあれば、どうでもいい話のこともあった。相手が誰であっても、いつ来ようとも、絶対に椅子ごとその人のほうを向いて会話をしていた姿をよく覚えている。人の相談事も含めたら相当な仕事をこなしているはずなのに、消耗した様子は一切見せない人だった。
プライベートではアウトドア趣味とジム通いで身体を鍛えていて、会社の階段を2段飛ばしで登る姿を目撃したこともある。ゲームで言ったら、かしこさ、みりょく、ちからのパラメータが振り切れたようなチートキャラだ。なんかたまにいるよな、ちょっと飛び出たステータスの人。

しばらく一緒に仕事をしていると、案外自分のことも話してくれるタイプということがわかった。ある日、どんな文脈だったかは忘れたが彼はこう言った。

『俺さ400歳まで生きたいんだよね』
 …え?何言ってるんですか?
『いや世界が終わる瞬間を見たいなと思って』

予想外すぎて何度か問い直した。それまでの人生で出会った大人たちは、長生きはしなくていいかなとか、歳とる前に死にたいみたいな考えの人ばかりだった。仕事は嫌々やるもので、好きなことなど生活の後回し。やりたいことをやれるなんて理想の話で、現実は甘くない。影響を受けたかどうかはわからないが、私もどちらかといえばそう思っていたし、生まれてこないほうが面倒がなかったな~なんて考えていたくらいだ。

だから本気で長生きしたいと思っている大人に出会ったのは多分初めてだったと思う。何なら彼は、本当に400歳まで生きられると思っているような完全に大真面目な口調だった。

衝撃が大きすぎて、その真意をしばらくぐるぐると考えていた。仕事もプライベートも、自身の健康もすべて大きな問題がなく、これからもそれが続いていく、続けていくという強い確信がなければこんなことは思えないだろう。なんて幸福で強い大人なのだろうか。それまでの彼の仕事の様子を見ていると、冗談や虚勢なんかじゃないことはよくわかった。羨望とも憧れとも少し違う感情を抱きつつ、この人との縁は絶対に大事にしたほうが良いような気がしていた。

さらに一年ほど経ったころ、私は仕事に慣れてきて周りにも徐々に評価されるようになり、おまけに運動習慣もついて断然健康になった。私といったら大抵体調不良で、季節の変わり目ごとに風邪をひき、子供のころの膝の怪我の影響でアンバランスになった身体を引きずりながら、どうにかこうにか生きていたはずだったのだ。それがいつの間にか、筋肉モリモリのそこそこ仕事ができる会社員を素でやっていた。そんなことあるか。

そして仕事中にふと、『あ、今ちょっと、世界の終わりまで生きてみたいかも』と思った。びっくりした。心の底から自分がそう思っていることに。

残念ながら私がそう思えたのはほんの一時で、そのあとは思えるときと思えないときがある。それでも、私にとってはすごい発見だった。なんていうか、ラピュタは本当にあったんだ、みたいな、別世界への道を一歩踏み出したような、武者震いするような心境だった。もうエモいでもいいです。とにかく、この世界で「明るく元気に、自分のやりたいことをやる」なんて鼻で笑われるだけだと思っていたのに、そういう仕打ちを受けないでいい「向こうがわ」に、行けそうな気が確かにしたのだ。


それ以来私は、今、世界の終わりまで生きたいか? 長生きしたいと思えるか? と自分に問いかけ、全然そう思えないときは自分を癒す必要があるんだと思うようにした。30年以上にわたって私を縛ってきた呪いのようなものから抜け出すのは容易ではないと思う。それこそ親ガチャという言葉が流行ったように、生まれ育ちの環境が良い人なら自然にそう思える普通のことなのかもしれない。でも、多分、私は自分の足で「向こうがわ」に歩いていける。彼はそのヒントをくれた。だったら行くしかないぜ。そう思っている。元気なときはね。

年度末の忙しさと寂しさで、今の今は少し元気がないけど、きっとまた世界の終わりまで生きたいと思える日が来る。そういう根拠のない自信ってやつを、多分私はわかりかけている。子供のころに根拠のない自己肯定感を得られなかった人にも、そんなミラクルが起きてもいいことにしてほしい。なんとか…なりませんか。

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