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あなたの目の前の問題はいつも一番大きい: 2023年2月4日

仕事の話。

先週、滅茶苦茶にせわしない週だった。すこし前に人数の少ない部署に異動になって、前任者の時代にコロナ禍でずうっと延期され続けていた課題を、もうこの際ぜんぶやるぞ!とぜんぶ動かし始めたらキャパ超えそう。それはそう。完全なる自業自得。

異動前の部署は比較的大所帯で、同じ職務の人が複数人いた。だから自分が一時的に手いっぱいになっても、助けてくれる人が必ずいた。そういう意味では今はひとりだ。職務上、私しかできない仕事がある。手いっぱいで仕事を遅らせてしまったら、それを調整してなんとかするのも私。ちょっと愚痴をこぼしたくなっても、同じ立場で話を聞いてくれる人はいない。

異動前の部署の同僚とは今でもよく会うので、そのたび愚痴を聞いて欲しくなってしまう。ただその部署は大所帯ながらも慢性的に人が足りなく、いつもみんなギリギリで仕事を回しているのを私はよく知っている。だからなるべく話を聞く側になるようにしていた。

でも、この前あまりにもメンタルが追い詰められていたとき、前の部署の上司にうっかり現部署の愚痴をこぼしてしまった。この人は正確には上司ではないが、実務上ではほぼ上司だったのでそう呼ぶことにする。中途入社のペーペーだった私の上について5年間育ててくれた人だ。

愚痴を言ってから、しまったなと思い「〇〇さんの今の大変さに比べたら、大したことではないんですけどね」と慌ててごまかした。
実際、人員削減と無茶な人の入れ替わりが頻繁に起きたことで前部署は全体的に疲弊しきっており、彼にかかる心労は傍目から見ても大きかった。

ところが彼は、いや…と少し考えてこう言った。

人間、得てして目の前の問題は大きく見えるんだ。だから人と比べて大きい小さいなんてあまり意味がない。いつも自分の目の前の問題は一番深刻で、大きいものなんだよ。

私は、へぇ、それ素敵な考え方ですね。とヘラヘラしながら答えてその日は別れた。
寝る前にもう一度彼が言ったことを思い出して、自分が大変なときにそんなふうに思えるなんてすごいな、と時間差で感動がきた。
と同時に、私がうっかり愚痴を言ってしまうほどにストレスを抱えていることを彼は見抜いていて、私の大変さに共感してくれたんだと思うと猛烈にありがたかった。ちょっとわかりにくかったけど。
私が感じている辛さは小さくなんてないから、愚痴を言ってしまったことを気にする必要なんてない、ということか。なんと温かく、本質的な言葉なんだろう。確かに目の前のものは誰にとっても一番大きく見える。物理的に。

私は自分が辛いなと思うとき、もっと辛い人のことを考えて思考にブレーキをかけてしまう癖があるのがわかった。そんなの大したことないよと言われるのが怖くて、なぜか自分の頭の中でさえ弱音を言うのを禁じていたのだ。
でも本当は誰かに大変だねって言ってほしかった。圧倒的に褒めてほしいほど頑張ったこともたくさんあった。

元上司はわかるよ、ともすごいね、とも言っていないのに、私の心は明らかに軽くなって、また次の日から頑張れるような気がした。あの手の魔法の言葉はどうやったら身につきますか?って今度聞こうかな。

それ以来、ああ今しんどいなと思ったら、自分の目の前にA4サイズくらいのまな板が立ちはだかっているのを想像している。絶対比較ではそうでもなくても、私からの観測では視界いっぱいの問題だ。だから、辛いって言ってもいい。休みの日に溶けるほどダラダラしてもいい。だって先週は滅茶苦茶に忙しかったんだから!

次は自分だけじゃなく、誰かの辛さに対しても同じように考えられたらいいなと思う。たとえ私のほうが絶対比較では大きくても、私に弱音を吐いてくれたあなたの目の前の問題は、いつも一番大きい。

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