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体育が嫌いだった私と、ボルダリング: 2023年1月29日

大人になってからボルダリングを始めて、相当筋肉がついた(伸びしろがあったということです)。その結果、いま人生でいちばん運動ができる状態にある。

物心ついた頃からずっと自分の身体を操るのが苦手で、前のめりに転ぶときに手が前に出ず眉間から血を吹いたり、馬跳びで着地に失敗して膝を大怪我したり、歩いているだけで足首の関節炎になったこともあった。
もちろんスポーツは全部できなくて、体育の授業は辛い思い出しかない。バレーで失敗したときドンマイって言わないで。

そんなんだから一生スポーツには縁がないと思っていたのに、人生って何があるかわからない。ただ不思議なことに、他の運動が苦手でもなぜかボルダリングだけできるという人は結構いるみたいだ。2021年の東京オリンピックで銅メダルをとった野口啓代さんも、他のスポーツはダメでクライミングだけ得意らしい。ほんとかな? 私はうそだと思います。

ボルダリングは屋内ジムでやるならクライミングの中でも最も装備が少なく、ハシゴを登る程度の力があれば誰でも始められる。屋内だから夏でもあまり汗をかかない、嫌になったらすぐ帰れる、荷物が少ない、と運動苦手勢に対してハードルが低い。特に、できなかったことができるようになるのが楽しいと思える人にはオススメだ。でも楽しくてつい無理をして怪我しやすいスポーツでもあるので、できれば初めのうちは経験者がいるといい。上達も早いし。

上達すると全身バランスよく筋肉がついてきた。これが多分、私がボルダリングで得た最大のリターンだと思う。尻の下と脇の下の贅肉が無くなり(脇の下に肉があるなんて知らなかった)、なで肩だと思っていた肩は四角くシャープになってTシャツが似合うようになった。子供の頃に脚を怪我して以来歩き方がぎこちなかったのが、普通の人と同じように正しい歩き方で歩けるようになった。腿の裏とか内腿に筋肉がついたということらしい。
変な感想かもしれないが、日常の動作ひとつひとつが楽になった気がしている。手で荷物を持つときにも身体全体を使うことができて関節に負荷がかかりにくい。その昔、右手と左手が続けて腱鞘炎になったことがあるから、自らのNG例と比較して理解できた。みんなこうやってたのか。いつ習ったのよ?

ボルダリングは精神面でも私に向いていた。全身を使って一つの課題に集中するのは、マインドフルネスに近い効果があるように思う。体が落ちないように極限まで力を引き出すとき、思考の余白がぎゅうーっと狭まっていく。頭の中が常に雑念でいっぱいの私が脳内の騒音から逃れられるのは、壁の中で次の一手を考えているときだけだ。(※課題に取り組んでいる最中のことを壁の中にいると表現することがある。聞き慣れないとちょっとこわい)
何なら頭をクリアにする目的で通っていると言えなくもない。たぶんヨガとか瞑想で得られる効果に近いのだろう。

運動ができないことは、ずっと私の大きなコンプレックスだった。出会うのは遅くなったけど、自分が好きだと思えるスポーツがこの世にあったのは大きな驚きだった。

待てよ、でも私、確かアスレチックは好きだったっけ。スポーツが嫌いだと思っていたのは体育のせいじゃないのか。
びりっけつで何故かもう一度張られたゴールテープに向かって走るとき。バスケのパスを取り損ねたとき。水面に顔を出すたび、とっくにプールサイドに上がったクラスメイトから浴びせられる声援のようなもの。集団の授業だから仕方ないのかもしれないけど、それにしたって、晒しものにしすぎじゃないのか。勉強ができない人を晒すことはないのに、運動ができない人はなんで晒していい雰囲気だったのか全く不思議だ。純粋に身体を動かす楽しさを学ぶだけで良かったんじゃないのか。

また私は、好きになれるはずのものを嫌いな記憶と一緒に片付けてしまっていたのかもしれない。いやいや、これからだ。大人になってから楽しいと思えるスポーツに出会えるほうがたぶんラッキーなんだ。

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