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動画を観るには気合いが必要: 2023年3月21日

映画の話をされるのが辛い。私は映画が苦手で、だけど映画をスッと観るような人になりたいと強く思っているから。
昨日も「エブエブ観たんだよ〜」と上司に言われ、(あーまたかぁ〜映画観ない人なんだつまんないやつだと思われるよなぁ)と余計なことを考えて固まってしまった。エブリシング…エブリ…なんとか。今日は苦手な話をするので文章が重たいです。


どういうわけか、私には映画に興味があるのは文化人の証だという思い込みがある。映画館に行くのはもちろん、動画サブスクとかも含めて、文化人たるもの自然と映画は観るものだ、と。そしてそれに乗れない自分をいつも恥じている。文化的な人間になりたいのに、所詮、田舎者の私には無理なのだと言われているような気がしてしまう。

実は映画だけではなく、多くのオタクが通るであろうアニメも苦手だ。マンガのほうがまだ読める(マンガも読まないけど)。というか、動画であるというだけで一回、ブレーキをかけてしまう。この再生ボタンを押したら、xx分の間、音声を聴き取ってストーリーを頭に組み立てないといけないのか…と思うとなかなか踏み出せない。好きなコンテンツでさえそうなんだから、観てみないとわからない映画なんてもっとだ。

しかし舞台のお芝居は好きなのだよな。音楽のライブも好きだ。動画との違いは、視点が固定だということだろうか? 映画の場合は視点や場面が変わるたび、脳内のマッピングを1から考え直す必要があるから疲れるんだと思う。たぶんそんなことしなくていい。しなくていいのに勝手に走る脳内処理を、私は今のところ止めることができていない。

さらに辛さを上乗せするのが英語音声の日本語字幕だ。文字に色を感じるタイプの共感覚を持つ私は、漢字もいちいち色情報を保持して情報を取り入れている。言語、映像、色情報が一度に入ってくるのが結構しんどい。かと言って日本語吹き替えになると音声の聞き取りが弱いのでそれはそれで辛い。詰みだ。

以前、人と話題を合わせるために映画を1本観る必要があったとき、1日10分か15分再生するのを何日も繰り返してやっと観終えた。ストーリーは面白いし役者さんも素晴らしいし、色々考察するのも楽しいだろうと思う。私だって、本当は、観たい映画を観る! というアンテナを持ちたい。だって、そっちの方がかっこいいから。

だいたいの人は映像作品が好きで、料理レシピでさえも動画が増えたこの時代、誰にも共感されないであろう思いを抱えて「自分は本当にオタクと言えるのか」などとどうでもいい考え事をして時間を消費している。悩みを言ってみたところで、脳の能力の偏りのことを遠回しな自慢だと捉えられでもしたら目も当てられないし。

あー、今日は苦手を成仏させることができなかった。
情報は、写真と文字とグラフでください。

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