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アニメ「ベルサイユのばら」の新鮮なノスタルジー

「ベルサイユのばら」第2話「舞え!オーストリアの蝶」をみました。オーストリアからマリー・アントワネットがやってくるお話。え、ちょっとホントにこの娘で大丈夫?と心配になるくらいにアントワネットが無邪気で。ヘアスタイルやドレスの画面内に占める面積からして迫力のあるマリア・テレジアお母さまに感情移入する日が来るだなんて、夕方の再放送をみていた小学生のころには想像もしていませんでした。

マリア・テレジアお母さまが娘の将来を心配する場面では、部屋いっぱいに一羽の蝶のシルエットが映し出されうごめいている、という描写があって。その直前にアントワネットがルンルン追いかけていた蝶ちょを、娘のメタファー?として置き換えた表現ではあるのですが、あぁこういう映像、アニメでみなくなったなあと。その映し出されかたも、舞台演劇で、照明の前に蝶のかたちに切り抜いた紙を置いた状態でスポットライトを当てた、みたいな、特撮や映画の映像処理表現ともちょっと違った風合いで。アントワネットがフランスへ向けて移動するときも、馬車の行列や祝福する民衆たちが映し出される画面の手前にバラの花がゆらゆら動いていたりして、その表現もまた、イメージ映像というよりは物体としての花が合成されている、みたいな感じで。40年以上前の映像でありながら、それらの、いまはない表現がむしろ新鮮なものとして心に響きました。

シリーズ前半を監督していらした長浜忠夫さんによる演出方針は、いま現在TVや映画で展開しているアニメにはないものばかりで。わりと時系列が前後しながら進む時間感覚や、それよりも感情とわかりやすさを優先する見せかた、そして本編の最後につくナレーションの存在感というか圧の強さと。以前はちょっと気恥ずかしさのようなものをおぼえる時期もあったのですが、いまはその、ここで盛り上がりますよ!ハイッオスカルきました!大活躍!イヨッ!次回もお楽しみにッ!という、ライド感覚が心地よくて。その感覚が新鮮に感じるくらいに長いことアニメでそういうテイストを味わっていなかったことに、あぁアニメはこちらの方向には進化しなかったのだなあという歴史的事実に、どこかほの寂しい気持ちになるのでした。

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