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決めつけるのは、お互いさま

例え話。

***

僕には、宝物にしているボールがある。
このボールを使って、いろんな人とキャッチボールがしたい。

でも、いざ誘ってみると
「そんなボール興味ない」
「キャッチボール下手だからいいや」
「なんか重そう」
「触ったら汚れがつきそう」
いろんな理由で断られてしまう。

そこで予想を立ててみる。
もしかすると、声をかけている人たちには、ボールに対する嫌な思い出があるのかもしれない。
スポーツが好きではないのかも。
あるいは、勧めてる僕のことが嫌い、とか...?
偏ったイメージで決めつけて、逃げられてるのかな。

マイナスなことはいくらでも浮かんじゃう。

一方で、説得したい気持ちも高まる。
「やってみると楽しいかもよ?」
「運動不足が解消されるんじゃない?」
「練習すれば上手になるって!」
「持ってみれば意外と軽いよ!」

そのまま伝えようとして、届くだろうか。
言葉じゃなく、絵を描いて伝えようか。
他の人に手伝ってもらおうか。
詳しい理由を聞いてみようか。

これはこれで
「あの人はこう思ってるんだろうな」
という決めつけをもとに考えているに過ぎない。

伝え合うって難しい。
心から通じ合うには、その前から通じ合わなくちゃいけない。
小さな伝え合いの地道な積み重ねが、一番の近道なのだろうか。

そんな考えも、これまた僕の決めつけのひとつだったり。

あぁ、もう思うままに動いちゃえばいいや。
まずは目の前のあの人にボール渡してみよう。

***

仕事でこういう事に悩んでいたので、書いてみたのでした。

おやすみなさい。

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