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「ありがとう」は綿毛のようにすり抜けるから。

とくに社会人になると、本音と建前っていうのがあって。

どれが本音でどれが建前なのかがわからない。


もっと言えば、
「資料の作成、ありがとうございました」の一言に、
40のありがとう、と
60のもっと工夫してほしかった、とかが
入り混じってる。


相手を騙すには、嘘と真実を混ぜたほうがいいって聞くけど、騙したいわけじゃないのに、結果的には同じことになってる。



「えだちゃんは優しいけど、なに考えてるのかわからない。」


そんなふうに言われるのは、きっと

やさしさがもたらした、すこしのすれ違い。

そして、延々と埋まらないすれ違い。




別の話で。


「ありがとう」が伝わる適切な量もわからない。


1ヶ月に1回しか言わない人は、その1回は確かに伝わるかも知れない。

1日に10回言う人は、10回とも伝わるのかな?



言葉にも損益分岐点みたいなものがある気がしてて、

多すぎても少なすぎても伝わらないものがあるんだと思う。



じゃあ、どうしよう。


なるべく本音だけ話せばいい?

ありがとうなんて思えなかったら言わなければいい?

伝え方を工夫して、もっとハッキリと、目をまっすぐ見て伝えればいい?

伝え方を変える?手紙を書いてみる?




やり方はたくさんあれど、

共通するのは、「ありがとう」を挨拶にしないこと。


挨拶にしないっていうのは、つまり、儀礼的で、形式ばったものにしないこと。
Aと言われたらありがとうって返す、っていう、bot.みたいなコミュニケーションにしないことだと思う。


挨拶って、感情や想いが背景にあるわけではない。

ただ純粋に、「おはよう」「お疲れさま」「また明日」って、いつでも気楽に伝えられるもの。


ありがとう、を挨拶にすると、感情が伴わない言葉になる。
本当に感謝したい場面で、ありがとう、と伝えても、それはまるでオオカミ少年のようで。

「また言ってるね」なんて認識されてしまう。




良かれと思って、たくさんのありがとうを言う僕。

挨拶になってしまった言葉。

ふわりと手をすり抜けて、届かなくなった。




だから、



言葉を、丁寧に、紡いで。


音に乗せて、色をつけて、静かに、しっかりと、


あなたに届けられたらうれしいなぁ。






2023年7月25日
えだちゃん。


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