川島昭夫『植物園の世紀』より「はじめに」
はじめに——著者に代わって
志村真幸
植物園と聞いて思い浮かぶイメージは、どのようなものですか。花々や木々に包まれた癒やしの空間、恋人や家族と散策で訪れる場所、珍しい熱帯の植物が生い茂る大温室といったあたりでしょうか。経済活動との結びつきだとか、実用性を答える方は少ないと思います。ところが、一八世紀以降、イギリスが世界各地に進出し、植民地を獲得・経営していくなかで、植物園は欠かせない役割をはたしていたのです。
一五世紀なかばに大航海時代が始まった理由のひとつに、コショウをはじめとするアジアのスパイスがあったことは、広く知られていると思います。スペインやポルトガルの商人が現地を訪れ、あるいはあいだに入ったアラビア商人から買い付け、ヨーロッパへと運びました。しかし、やがてヨーロッパ各国が熱帯植民地をもつようになると、植民地経営という考え方がクローズアップされていきます。スパイスを買ったり、金や奴隷の一時的な収奪に終わったりするのではなく、持続可能な方法が模索されていくなかで、農作物の栽培が注目されたのでした。プランテーションをつくり、現地のひとびとを労働者として使い、有用な作物を育て、本国やヨーロッパ諸国へ輸出する。しかし、原産地だけで栽培するのはもったいない、もっとイギリスにとって都合のいい場所で生産できないだろうか。
イギリスの植民地は、世界各地に広がりつつありました。そのなかで広大な土地があり、労働力が安定して供給でき、消費地に近い(または輸送しやすい)場所が選ばれ、開発されていきます。その結果として、たとえば中国原産の茶は、インドやセイロン、ケニアへ移植され、一大生産地へと発展しました。とはいえ、ただ移しただけでうまくいくことはまれです。そこに植物園の役割がありました。ある土地に固有の植物を、別の土地へ移植するための輸送法、栽培法、さらに加工法が研究され、多くの植物学者やプラント・コレクター/プラント・ハンターが活躍したのです。
イギリスの植民地植物園は、カルカッタ、セント・ヴィンセント島、セント・ヘレナ島、ペナン、シドニーと各地に設けられました。扱われた植物も、シナモン、ログウッド、サフラワ、鬱金、マンゴー、スカモニー、コロシント、大黄、ナツメグ、竹、 センナ、アロエ、コリアンダー、アニス、ヴァニラ、桑、コチニール・サボテン、コパイバ、ゴマ、肉桂、棗、アーナト、癒瘡木、チャイナ・ルート、ガルバナム、巴豆など多様なものに及びます。日本産の植物も、たとえば楮(紙)や樟(樟脳)が有用植物として試されました。
なおかつ、これらの植物園は単体として存在したわけではありませんでした。イギリス本国のキュー植物園やチェルシー薬草園を核として、各植民地をつなぐネットワークが形成されていたのです。ただし、一八世紀の段階では、明確な政府の意志によって統制されていたというよりは、私的な発想によってつくられた側面の強いものでした。
その根幹にあったのは、経済的な欲求です。イギリス人が植民地に出かけたのは、何よりも経済的な動機がいちばんでした。本書では、植物園という、現在からすると趣味的に思える空間を扱いながらも、経済的な視点から分析が進められています。植物資源の有効利用を研究し、食料や染料を安価に効率よく生産することは、最終的には国益へとつながっていたのでした。とはいえ、植物園が博物学や庭園趣味と結びついていたのも事実です。本書に収められた多数の図版からは、イギリスのひとびとが、いかに熱帯の自然に目を見開いたかが伝わってきます。
植物園は、自然と人間の歴史的な結びつきをあきらかにする格好のテーマです。近代のイギリスと植民地という問題において、植物園がいかに重要な役割をはたしたかが、本書には論じられています。
二〇二〇年二月、本書の編集作業中に著者が没したため、校正にあたっては、字句の統一や明白な誤字脱字など、修正を最小限にとどめました。また、本文中に掲載の図版についても、すべてに出典を付すことができませんでした。
以上、不慮のこととしてご了承を乞う次第です。
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川島昭夫
植物園の世紀
イギリス帝国の植物政策
本体2800円 2020年7月15日頃発売
四六変判上製240ページ
978-4-907986-66-7
本の詳細は以下のリンク先へ
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784907986667
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