高1→2春休み)子すずめ、お寺にご奉仕に行く

子すずめは学校法人角川ドワンゴ学園N高等学校の通学コース生でこの春高校2年生になりました。2022年4月からN高オンリーです。

子すずめは幼いころから様々な「合宿」に参加していたので、まったく見知らぬ人と相部屋で3、4日くらい一緒に生活するということに慣れています。

春休み中の3月下旬、子すずめは、あるお寺にご奉仕に行きました。そのお寺は宗教宗派に関わらず、特別な法要の時に高校生大学生のボランティアを誰でも受け入れているお寺です。covid-19感染症蔓延下のここ2年ばかりは受け入れしていないようでしたが、今年は高校生大学生によるご奉仕受け入れを再開したとの報を保護者(私)が聞き…

「お寺でご奉仕してみない?お寺にお泊り!バイト代は出ないけど、参加費を払う必要もないよ。なかなかできない経験だよー。去年一昨年はコロナで受け入れてなかったけど、再開したんだよ、ラッキー!私はもう年齢制限で参加できないけど、私こそが参加したいわー」と唆してみました。

さすがは、時間に余裕がある通信制高校生、しかも春休みの時間が更に余裕がある時期なので、子すずめは「ちょっとくらい、親のお勧めにのっかってやってもいいかな」と思ったらしい。

「それって若い頃しかできないことかもしれないねー、何事も経験だよねー。いつ行くのが一番[おいしい]の?全日程参加は無理。法要の最終日辺りにライブ参戦が入っているから、そこは無理!だけど、3、4日くらい行ってみたい」との返事。

さすが令和の若者、投入するリソースに対して最大限なリターンがあることを望む、タイムパフォーマンスやコストパフォーマンスを考えるイキモノ!いちばん[おいしい日程]で行きたいと考えるのは…正しいようで正しくないと保護者の私は思うのですが、まずはvery first baby stepということで「行く(参加する)」という行動をしないと、リターンなんかゼロなのだから、まずは参加してもらう方向で働きかけるのが保護者の力量ってもんです。

子すずめは3月末には推しアイドルグループのライブ会場へ飛行機で駆け付けて[推しと同じ空間で息をする]ことが決定していた(その日のためにN高4Qを駆け抜けた!)ので、その日程を邪魔しないように法要(全1週間プラス前後に準備期間)の次第などを考え、「法要の前の準備こそ、お寺の方でも準備する日に人手が欲しいだろうから、そこを手伝わないでどうする?あと、法要期間が始まって、ご奉仕の傍ら法要の前の儀式を見たり、その流れを体感したりすることこそがお勧めなので、アナタの他の日程との兼ね合いで考えると…この4日間!」という私のプレゼン通りの日程でご奉仕を申し込みました。

で、実際行って帰ってきたのですが…感想が…ものすごくお粗末なものでした。

「仏教って推し活と通ずるものがあると思った。推し活の中でも起源が古いのが仏教なんじゃないか?!」
「ご奉仕に来ていた大学生さんや院生さんは、みんなオカシイ!それぞれ、お寺所属の僧侶の中に[推し僧侶]が居るんだよ。ご奉仕中の若者も法要に参列させてもらえたんだけど、ご奉仕の先輩の大学生さんは僧侶のJさんのファンで、Jさんのお席の後ろに陣取ろうとするの。ほら、法要で、散華って撒く(*散華:仏を讃え供養するために撒く、花びらをかたどった和紙)じゃない?推し僧侶が放った散華をキャッチしたいから、推し僧侶がいる先輩たちはその方の真後ろに陣取るんだよ。なんかさ、アイドルコンサートでアイドルが会場に投げる[サインボール]と一緒なんだよ、散華は!私も自分の担当アイドルのサインボールが飛んで来たら嬉しいし、ご奉仕の先輩も推し僧侶の放った散華が飛んで来たら幸せなんだよ。もうね、法要ってアイドルライブと、ものすごく重なる!私は仏教ガチラブではないけれど、ガチの人の気持ちがよくわかる…ご奉仕していた先輩さん達もかなりオカシイけど、私も自分のグラウンドでの推しに対しては同じ反応をするオカシイ人間なので、ものすごく親しみを感じた!あとさ、法要の声明もコール&レスポンスのような部分があったし、親(=私)も法要の声明の文言のここが好きとか言ってたけど、アイドルの楽曲のリリックのここが好きってのと変わらないじゃん!」

…だそうです。

お寺でのご奉仕参加して帰宅した後に、子すずめによる「仏教(お寺の法要)≒アイドルライブ仮説」をさんざん聞かされました…

実際に何をお手伝いしたかというと、法要のための壇供(お餅)の準備(もち米洗って、お米蒸かして、お餅を丸めた:お寺のお竈さんが広かった)、お堂の中の荘厳(法要用に須弥壇を装飾して法要の調度品などを並べた)、来寺した一般の信徒さんのご案内、などだったそうです。

特に印象に残っているのは、須弥壇の荘厳のために物資を運搬する軽トラに載せてもらって(法要用の特別な備品は重たいし、倉庫とお堂の数十メートルの距離でさえも軽トラでの運搬は必須!)助手席に乗せてもらったことだそうです。運転者はそのお寺のお若い僧侶で、なかなかのドリフト走行だったらしく、「僧侶の運転の助手席に乗るなんて、稀有な体験をしてしまった」と言っていました。その僧侶の方は、今年の法要を執り行うメンバーなので、その翌日から法要のお行に入られたそうです。

それと、ご奉仕に来るのが初めてではない先輩(?)の中に、博士課程在籍中の人がいたことが驚きだったそうです。N高通学コースにはM1の修士課程在籍中のTA(Teaching Assistant)は居るのだけれど、D(ドクター:博士課程)の人を間近で見たことがなかった、どこかの研究所のオープンラボなどで理系博士課程の人に会うチャンスは今後あるだろうと思っていたけど、まさか初めて会ったドクターが文学系の博士課程の人だなんて!予想もしていなかった!しかもそのドクターコースの男性は法要期間中ずっと童子さん(法要中の僧侶の雑用などを取り仕切る、在家のお手伝いの男性)として僧侶を支えるお役目を果たすとのこと。それがもう、驚きだったそうです。

…ということで、子すずめ、アタマがぬるい仮説(法要≒ライブコンサート説)を打ち立てただけではなく、それなりにお寺の法要とは?法要を支える人達とはどんな人なのか?法要の準備とは?ということを体を張って経験して、考えるところがあったようです。

まさに娑婆ではできない経験だねえ…

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