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災害の行方
東日本大震災から13年の月日が経っている。まだ完全に復興が終わったわけではないが、津波や地震被害での復興に限れば、めどが立っていると聞いている。しかしながら、原発事故の処理には、いかんせん目途が立っていない、目に見えない、現代の科学(化学)では対処できないから未来へ託すそうだ。それまで「地球」に預かってもらうらしい。すごい言い訳論であり屁理屈だ。押し付けられる未来人も地球もたまったもんではない。これが現代の原子力エネルギー(核)の行末であり、ゴールが設定されていない。
しかし、一番早く義援金を届けたのが台湾で約200億円だそうだ。こういう事も、我々国民は忘れてはならないのである。もちろん今回の能登半島地震においても約25億円の義援金を用意してくれている。その台湾で大きな地震が発生した。かなりの被害が出ているようだ。まだまだ増えるであろうと思われる。我々は恩返しをする必要がある。恩返しという言葉が適切かどうかはわからないが、日本の災害事故に関して多大な支援を頂いているのは確かである。今直ぐにできることは、支援、救援物資のお金かも知れないが、能登半島地震の時と同様に、お金以外の価値・価値観として「観光」という名目で現地でお金を使おう!そして、北朝鮮である。東日本大震災同様に、能登半島地震の翌日には、首相宛にお見舞いの電報を入れているのである。色々な意味合いでは「敵国」かも知れないが、敬意に表する値のお礼を言うまでである。

今年の正月に発生した能登半島地震から三ヶ月が経っている。まだ三ヶ月。災害慣れをしているのか、現地以外の我々には既に風化の現象が表れていると思われる。あまり派手に喜ぶことではないと思われるが、日経平均株価が高騰することによって、多大な恩恵を受ける人たちもいる。風化するということは、目の前の日常的な生活環境から記憶が薄まって行くのだろうと思う。語り継ぐのは誰なのだろうか。。。デジタル時代であっても、自分から検索しなければ関連づけることはできない。心意こそあれど、美化することはできない。自分の生活でいっぱいいっぱいだ。下を向いてばかりではいられない。都会は都会で息苦しい生活がある。ストレスまみれの中では、娯楽も必要だ。

しかしながら、我が国は災害大国でもある。何も現代に始まったわけではない。歴史の紐を解くと目も当てられない災害からは、現代の技術を駆使して予報や予測精度も高まり、何度も教訓を得ながらも戦って、闘って来た先人の存在があり、知恵があり教えが示されている。

とある言葉が忘れられない。
「津波が何もかも奪っていったけれど、海が残っているからまた頑張る」と。非常な現象としての津波を憎んでも、海への憎しみはないという事だろうか。津波は海の現象である。水のメタファーでもある。穏やかにコントロールできる水面もあれば、津波のようにコントロールできないものもある。同じ「水」であり「海」の現象だ。。。

当事者や被災地に関連しない人達にとって、日中夜問わずデジタルゲームや漫画も映画も好きな時間に自由に鑑賞できるかも知れないが、明日はわが身かも知れない。道徳含め情操教育を受けていない現代人には理解が難しいかも知れない。

きっと、「海」に生かされて来たから「海」が好きなんだろう。合掌!