ノア・スミス「新しい進歩派の経済学: 建設的な批判を少々」(2024年7月29日)

総需要不足に頼らない経済学への進歩的アプローチが必要だ

Source: Works Progress Administration

「ネオリベラリズム」とこれを変えたがっているアメリカの進歩派たちについて,マット・イグレシアスが一連のとても興味を引く記事を書いている.最初の記事で,イグレシアスはこう論じている――ネオリベラル政策革命は,圧倒的で広範囲に及んだと多くの進歩派たちは考えているようだけれど,実際にはそれよりずっと限定されていた(イグレシアスの主張は正しい).2つ目の記事での主張はこういうものだ――アメリカの旧来の対中国貿易政策にあった最大の問題点は,国家安全保障を弱めることになった点だった(この点も正しい).このシリーズで次にくる記事も楽しみだ.

ただ,「ネオリベラリズム」をどういう意味で使うべきか,そして,アメリカの昔の政策も「ネオリベラリズム」だったのかどうかについて論議するのもまずまず興味深くはあるけれど,それよりも,次のパラダイムがどうあるべきかについて考える方が面白いし,実りも多そうだ.進歩派の知識人たちのなかには,「アメリカにとって手引きとなる経済哲学がなにであるべきか」についてとても確固とした考えを持ち合わせていると自負している一団がいる.そのなかには,民主党の政治家たちもたくさんいる.彼らが持ち合わせているいろんなアイディアは新しくて十分に展開されているから,まずは彼らのアイディアを検討・評価するところからとりかかれる.

この運動の中心を担っている主役たちの一部を挙げると:

  • ルーズヴェルト研究所.進歩派シンクタンクで,マクロ経済・産業政策・労働・企業の力,人種問題・気候変動といった問題にもっぱら力を注いでいる.

  • ヒューレット財団.とても大きなシンクタンクで,「ネオリベラリズム」の後継思想をくみ上げることも含めていろんな進歩派のアイディアや理念に取り組む人たちも所属している.

  • アメリカを雇おう」(Employ America).小さなシンクタンクで,マクロ財政策にもっぱら傾注している.

  • ワシントン公正成長研究所 (The Washington Center for Equitable Growth).実証に力を入れた小さなシンクタンクで,進歩派のいろんな政策アイディアに力を注いでいる.

他にもいろいろある.その多くは,シンクタンクとは無関係だ.ただ,いま挙げた4つの組織の仕事を確かめてみれば,新しい進歩派経済学パラダイムをいまつくりあげている人たちのあらましをほどほどにつかめる.こういう組織のウェブサイトにいってそこに掲載されている論文・プレス向け発表文・白書・ブログ記事などなどを読み通してみるといい.

これに関与している人たちは,おおよそ,ぼくの友人たちだってことは言い添えておくべきだろう.ぼくは彼らの多くを知っているし,そこそこ頻繁に話を交わしているし,彼らの催しにはたまに足を運んでいる.ぼくは個人として彼らのことが好きだし,彼らは正しいことに心を向けていると思う.ただ,そのうえで言うと,彼らがいままとめようとしているパラダイムについては,ぼくなりにいくらか批判点がある.それを書いてまとめておくと,役に立ちそうだ.

あれやこれやと見つけた欠点の批判をまとめて一つの単純なかたちに仕上げようとずっと試してみて,どうやらこれが新しい進歩派パラダイムの中心的な欠陥らしいと手応えを感じるものに行き当たった.新しいパラダイムは,需要不足に直面した経済向けに設計されたプログラムなんだと思う――ようするに,不況または長期にわたってマクロ経済の低調が続いている状況のためのプログラムになっている.ところが,いまのアメリカは需要不足どころじゃない状況にある――いまのアメリカは供給側のいろんな制約がかかった経済で,需要刺激プログラムや雇用提供プログラムを実施するとあっさりとインフレを高めてしまう一方で,進歩派の人々が創出したがっているモノの多くを建設できていない経済になっている.「とにかく雇用,雇用,雇用を提供すべし」と力を注ぐやり方では――ニューディールの遺産であると同時に2010年代前半の大不況の遺産でもあるやり方を続けてみても――目下のマクロ経済環境において理想的な方策にはならない.

これは,進歩派の考え方の大きな欠陥だけれど,修繕できる欠陥だと思う.進歩派の新パラダイム運動には,それとちがった重要なアイディアの種も含まれている:それは,国家の処理能力というアイディアだ.このアイディアは,いま言った問題に対処できそうだ.

「雇用を提供しよう」パラダイムとニューディールの遺産

アメリカの進歩派運動がはじめて立法での大きな突破口を開いたのは,大恐慌の時代だった.このとき,フランクリン・D・ルーズヴェルトによるニューディールの一環として進歩的な政策が実現されていった.進歩主義がルーズヴェルトではじまったわけじゃない.でも,実際にいろんな勝利を収めることができたのは,大恐慌がきっかけだった.ルーズヴェルトが1933年に大統領に就任したとき,失業率は 25% にのぼっていた――今日では,もう想像もできそうにない数字だ.

Source: economicshelp.org

アメリカ人を再び仕事に就けることこそ,全米での圧倒的な至上命令だった.

「1933年に,どうしてそんなに大勢の人たちが仕事をなくしてたの?」 その理由の全貌は深く入り組んでいるし,十分に理解されていない理由もある.ただ,大恐慌について考えるときに使える単純な理由は,「総需要」というやつだ.

需要とは,特定の価格でしかじかのモノを人々がどれくらい買いたがっているかという度合いだ.総需要とは,人々があらゆるものをどれくらい買いたがっているかという度合いだ――あらゆるモノとサービスをひっくるめて,その需要のことを総需要と呼ぶ.みんなが持ち合わせのお金で出来ることは2つしかない――貯金するか,なにかに費やすか,その2つに一つしかない.総需要とは,人々がどれくらいお金を費やしたがっているかだ.

大恐慌を単純な物語にすると,「人々がお金をあまり使いたがらなかった」という話になる.人々は恐れていた――あちこちの銀行破綻,株価の崩壊,そしてなにより,自分の失業がずっと続くんじゃないか,これから失業してしまうんじゃないかという恐れに震え上がっていた.その結果として,アメリカ人はなにもせずお金を貯め込もうと試みていた.すると、その結果として,工場は稼働せずオフィスは使われないままになり,労働者たちも働き口がないままぶらぶらしていた.これが「総需要不足」というやつだ.

標準的なマクロ経済学では――その大半は大恐慌に対応するなかで発展したんだけど――総需要不足を正すのに政府ができることは基本的に2つあると考える.第一に,政府がお金を使う手がある――これを「財政刺激」という.第二に,融資・借金をもっと安くする手がある.そうすることで,企業や自営業がもっと楽にお金を借り入れて投資したり事業の拡大を図ったりできるようになる――これを「金融緩和」という.

単純化した物語で語るなら,アメリカは金融緩和と財政刺激の両方をやることで大恐慌を打破した.まず,ルーズヴェルトは金本位制を停止した.これによって,事業融資の大きな制約が取り払われた.これは大いに助力になった.次に,ニューディールを担った人々は,テネシー川流域開発公社 (TVA) みたいなインフラプログラムとか,あれこれの雇用提供プログラムを考案した――公共事業促進局 (WPA) や市民保全部隊 (CCC) などなど [n.1].こうしたプログラムは財政刺激としてまずまず悪くない働きをしたけれど,その大半は 1937年に取りやめられてしまった.ルーズヴェルトが財政赤字を恐れだして,緊縮を実施したからだ.アメリカがようやく本当に大規模に借り入れて支出する意欲を出したのは,1940年代に第二次世界大戦に加わってからのことだった.その巨大な財政刺激によって,大恐慌の名残も一掃され,アメリカは完全雇用にもどった.

1930年代にアメリカ人を再び仕事に就けようと模索がなされたことで,ニューディールを担った人々は,進歩派好みのかたちにアメリカ社会のありようを変えることができた.新たな立法によって,アメリカの労働組合はものすごく強化され,さらに第二次世界大戦での生産努力で労組はいっそう強まった.人種差別はまだまだたくさんあったけれど,WPA や CCC といったニューディールの各種政府プログラムは黒人アメリカ人にたくさんの仕事をもたらし,彼らの経済的な地位を強化した.大恐慌が終わってもなお,その地位は崩れなかった.CCC は環境を保護する助けになり,WPA は芸術家たちに仕事を与えた.これは,おおよそ進歩派の夢みた状況だった――政府の行動で経済が救われたばかりか,その過程で進歩的な政策上の優先事項をさらに推し進めることもできた.

この素晴らしい成功の遺産として,アメリカにおける進歩派運動に深い痕跡が残された.この時期の問題は,雇用が不足していることだった.その解決策は,人々に雇用を与えることだった.民主党の政治家たちがアメリカで演説するのに耳を傾けてみると,「雇用」「仕事」といった単語がいまでもものすごく目立つのがわかる.たとえば,オバマが2011年に行った一般教書演説のワードクラウドはこんな具合だ:

Source: CBC

もちろん,2011年といえばアメリカがとりわけ雇用に関心を集中させていた年だ.アメリカは,2008年金融危機につづいた大不況のさなかにあった.いちばん範囲の広い失業率の数値は,だいたい 16% にのぼっていた――かつての大恐慌ほどの水準ではないとはいえ,間違いなくとても悪い.

2010年代前半にアメリカ人を再び職に就ける必要があったことで,進歩派は勢いを得た.ちょうど,大恐慌のときと同じだ.FRB は金利をゼロにまで切り下げ,巨大な量的緩和プログラムを実施したけれど,それでは足りなかった.オバマと議会は2009年にかなりの刺激策を打った――欧州でなされたのよりもずっと大きいな刺激策だった――けれど,財政赤字をめぐる懸念に制限されて,それ以上に大きな刺激策は打てなかった.いまでも進歩派はあのときに及び腰になったことに憤慨している.彼らはこんな教訓を学んだ――「できるかぎり大きな刺激策を,できるかぎり強く推し進めるべし」

財政刺激と金融緩和というアイディアは,新しい進歩派経済プログラムに深く定着している.「アメリカを雇おう」のウェブサイトを見てもらえば,FRB の金利引き上げが労働市場に打撃を与えるのではないかとすごく心配しているのがわかる.また,生産性を向上させるひとつの方法として,金融政策と財政政策を使って総需要を高く維持し続ける手があると彼らは主張する(この話題については,Preston Mui が Noahpinion に寄稿してくれた記事を参照のこと).

こうしたマクロ経済政策は,アメリカにおいて労働需要を高める間接的な方法だ.でも,多くの進歩派は,政府が直接に雇用を提供するやり方も好んでいる.たとえば,ルーズヴェルト研究所は声明文で連邦政府による雇用保証を支持しているし,別の声明文では,ケアワークを奨励する産業政策を支持している.ワシントン公正成長研究所は,直接の便益と雇用プログラムの両方を理由に保育の仕事を奨励するべきと強く信じている [n.2].また,総じてこうしたシンクタンクは産業政策が雇用提供の面で有益だという点を挙げている.

こうしたシンクタンクのウェブサイトを読んでみると,進歩的な各種の目標達成のために産業政策と雇用提供プログラムを使うことについて,進歩派がとても関心を向けていることもわかる――とりわけ,労働者の交渉力を向上させること,労働運動の力を強化すること,〔労使関係などでの〕企業の力を減らすこと,気候変動を食い止めること,教育の提供,芸術の奨励・振興,環境保護,人種的マイノリティ(とくに黒人)の経済的な成功を後押しすることに,強い関心を向けている.

ざっくり言えば――進歩派の人たちがこういう言い方をするかどうかはさておき――これはようするにニューディールの再演を求めている.雇用提供を用いて経済の改善をはかると同時に,ニューディールで達成されたのと同じ付随的目的の多くを達成するプラットフォームにも雇用提供プログラムを利用しようというのが,その目論見だ.

でも,これにはひとつ,大きな問題点がある:アメリカはいま大恐慌みたいな状況にはないんだよね.

供給制約の時代に「雇用,雇用,雇用」アプローチをとる難点

総需要はとても重要だ.でも,総供給のことも忘れちゃいけない.ぼくらがのぞむモノを経済が実際に産出する能力も,そういうモノを経済が買おうとする意欲に劣らず大事だ.

かつての大恐慌では,総供給はべつに問題にならなかった.当時は総需要があまりにも不足しすぎていて,休眠状態の工場やオフィスがあちこちにあって,労働者たちも暇になっていた.実際に産出していた量よりもずっと多くを,アメリカは産出できた――当時の問題はリソース不足ではなくて,すでにあるリソースを実際に稼働させることだった.

2009年や2011年のアメリカも,それと同様の状況にあった――2008年金融危機の後遺症で,アメリカ経済の多くは遊休状態におちいっていた.当時,ニューディール型の需要刺激プログラムや雇用提供プログラムを実施すれば大いに奏功しただろうし,そうなれば,実際の歴史よりもずっと早期にアメリカは大不況から抜け出していただろう.

でも,2024年のいま,マクロ経済状況は,2009年や1933年とはすごく,すごくちがって見える.ひとつ挙げると,仕事をのぞんでるアメリカ人はほぼ誰もが仕事に就いている.失業率は50年代や60年代と同程度に低くなっているし,いちばん広義の失業率ですら,記録上の最低水準にある:

それに,就労年齢の労働者で仕事に就いている人たちの割合も,最高水準に達している:

こういう環境では,雇用を提供したところで――マクロ経済政策で間接的にやるにせよ政府が直接にやるにせよ――仕事のない人たちがおおぜい仕事につく結果にはならない.そうじゃなく,一部では,あるタイプの仕事から別のタイプの仕事に労働者たちを再配置することになる〔※たとえば政府の支援で給料などの待遇をよくすることで〕.2009年に政府がお金を出して誰かに保育労働者になってもらおうとすれば,失業中の人を見つけられただろう.いまは,もう働いてる人を引っこ抜いて保育に携わらせることにしかならない.

まあ,それはそれで,やる値打ちがあるかもしれないんだけどね! たとえば,ぼくは産業政策を大いに支持してる.なぜって,アメリカ経済はもっと多くのコンピュータチップやバッテリなどなどを必要としているからだ.それには,政府を使って他の分野から労働者を引っ張ってきて,そういう仕事に携わってもらうやり方がいいと思ってる.

また,労働需要を高めても(とっくにみんな仕事に就いてるので)雇用を促進する結果にならなかったとしても,賃金を引き上げることはできる.Autor, Dube, & McGrew (2024) が述べているように,所得分布の最下層にいるアメリカ人労働者たちは,2010年代中盤からいちばん持続的に賃上げを受けている.これは,ちょっと近年の記憶にないほどだ.その功績の一部は,売り手市場になった労働市場と拡張的な金融政策・財政政策にある:

Source: Autor, Dube, & McGrew (2024)

というわけで,雇用提供政策は,役立たずではない――賃金を引き上げてくれる.問題は,完全雇用の時代に雇用提供をやると,顕著なコストもあれこれと付随してくるって点だ.

第一のコストは,インフレだ.財政赤字はおそらくインフレを高める.それに,緩和的な金融政策はほぼ確実にインフレを高める.2009年~2012年には,問題は起こってなかった――金融危機による総需要不足は大きくて,インフレ率を押し下げていた.これによって,財政刺激や量的緩和がインフレを高める効果は相殺されて余りあった.

でも,2024年の現時点では,このコストは大問題だ.経済が完全雇用を維持できるようはからうのはすばらしい.でも,ひとたび完全雇用に達して経済のほぼあらゆるリソースが使用されるにいたったなら,そこからさらに総需要を増強するとインフレが進んでしまう――みんなにお金を与えても,それはただモノの値段をみんなでつりあげるばかりで,実際により多くのモノがつくられはしない.賃上げ主導のインフレになって,他の物価よりも賃金がより急速に上昇するなら,それも悪くはない.でも,たいていはそんな風にならない.この近年だと2021年~22年に大きなインフレが起きた.あのときも,上記のグラフに見てとれるように,たいていのアメリカ人労働者が手にした実質賃金は,減少した.モノ・サービスの価格がすごく急速に上昇したせいで,賃金がそれに追いつけなかった.そのため,購買力は低下し,たいていのアメリカ人は1年か2年のあいだ,徐々により貧しくなっていった.

これはたいていのアメリカ人労働者たちにとって悪いことだっただけじゃない.有権者たちは,それはもうすごく憤慨した.そのため,有権者は進歩派たちを権力の座から追い払って,保守派をかわりに据えることになった.

この理由があるので,進歩派の経済通の大半は,「パンデミック後のインフレは一時的だ」という考えにすごく入れあげることになった――サプライチェーンが一時的に混乱したり原油価格のショックが起きたりしたせいでインフレが進んだのであって,マクロ経済政策の結果ではないんだと,彼らは考えた.この物語によれば,FRB による利上げは基本的にインフレの制御に役立たずだったことになる.それどころか,実体経済にとっての危険をつくりだした点で,利上げは無責任だったという話にすらなる.

ぼくとしては,「金融政策はインフレになんの効果も及ぼさず,実体経済にのみ影響する」と語るマクロ経済の物語には,すごく懐疑的だ.

第二に,完全雇用に達してるなかで需要刺激を打った場合のコストには政府債務の増加もある.巨額の借り入れに金利上昇が組み合わさったおかげで,赤字削減が論議の的だった1990年代いらい見たことがない水準にまで,アメリカ政府の金利コストが急上昇している.利払いの急増は,他の政府支出を押しのける脅威になる.

もちろん,政府はとにかくお金を借り入れて,増加を続ける金利コストの支払いに充てることもできなくはない.でも,それには,こう信じる必要がある――「政府の債務がどんどん膨れ上がっていっても,なんら負の影響は生じない.」 ぼくなら,それには賭けない.他の選択肢もある.FRB が金利を引き下げて,連邦政府が債務の山〔にかかる金利コスト〕をまかなう助けをする手もある.これをやるというなら,こう信じてないといけない――「金利を低くしても,インフレは再発しない.」 ぼくは,その考えにもすごく警戒してる.

ただ,多くの進歩派は,どうやらぼくみたいに心配していないらしい.進歩派界隈では,「緊縮」はいまだに悪玉用語だ.彼らの間では,政府の赤字支出と低金利を続行すべしという共通見解が続いているように思える.これは,ずいぶんとリスクの大きいマクロ経済の賭けじゃないかと思う.

他方,供給制約のかかるなかでの雇用提供がもたらす第三の危険は,非効率だ.そうだね,たしかに,さっきも言ったように,バリスタや社会学講師や IT広告エンジニアとして働いてる人たちを引き抜いて半導体や電気自動車の生産に当たってもらう方がアメリカにとっていいことだとぼくは思ってる.でも,それと同時に,このやり方にすごく慎重でもある.雇用提供はあっさりと「やってる感を出すだけ」に陥ってしまうからだ.

たとえば,長年にわたって労力を注ぎ数十億ドルも費やしておきながら,カリフォルニア高速鉄道はいまだに列車の運行する路線を1マイルさえつくれていない.それなのに,当局は,この事業が創出した雇用の数を根拠に,高速鉄道プロジェクトは成功だと主張している:

他のどんな仕事をそれまでやっていたにせよ,そこから 13,000人を引き抜いておきながら高速鉄道を建設させられずにいるのは,成功じゃない.失敗だ.完全雇用に達してるときに「やってる感」だけでなにも成し遂げないのは役立たずよりもなお悪い――経済的に生産的な他の仕事から人々を引き抜いてきて無駄な仕事に当たらせるんだからね.

1933年だったら,あるいは2009年であっても,これはべつに問題じゃなかった.公共事業をやりながらなんの価値のあるものも産出できずじまいになっても,じゃあ他の選択肢はなにかと言ったら,どの労働者たちを無為にぶらぶらさせておくことだ.彼らに雇用を提供すれば,少なくとも,経済にお金を回すことにはなる.遊休中のリソースはほぼゼロになっている2024年には,「やってる感」だけの仕事のコストはずっと高い.

ミルトン・フリードマンにまつわる出典のあやしい話があって,それによると,フリードマンはこう言ったそうだ――雇用創出が政策の目標なんだったら,建設作業員にはスプーンで作業に当たってもらうべきだ.一般に,進歩派の経済政策立案には,こんなルールを立てた方がよさそうだ:「作り話に出てくるミルトン・フリードマンの発言が,いま自分が現実でやっていることに当てはまらないようにすべし.」

1933年に存在したような遊休リソースがなくなっているのに加えて,いまアメリカは当時とはちがう国になっている.NEPA みたいな手続き上の要件や規制がややこしく絡み合っているために,なにをつくろうにも,ルーズヴェルト時代よりもずっと困難になっている.おそらく,新しい進歩派の経済通たちにとって最大の失敗は,許認可プロセスを円滑にして政府プログラムが実際に結果を出せるようにする改革に反対してしまうことだろう.

一般に,新しい進歩派経済政策にまつわるどの問題も――インフレも,金利コストも,現実のインフレ建設がしょっちゅうできないでいることも――元を正せば,「雇用,雇用,雇用」に執着していることに行き着く.このアプローチは,リソースが遊んでいた時代にはぴったりだった.でも,制約がかかっている時代にはどうにもそぐわない.

解決策: 国家処理能力自由主義

供給制約がかかっているとき,進歩派の政策はなによりもその制約をゆるめることに傾注するべきだ.これを,「供給側政策」と呼ぶ.総供給の増加に傾注するからだ.ふつう,供給側政策といえば保守派やリバタリアンの領域だと思われている.どちらも,規制緩和と減税こそが供給を増やす方法だと主張する [n.3].でも,実は,急速な経済成長と介入的な政府を両立させる方法はたくさんある.

実は,進歩派はすでにそういう方法の一部を好んで採用している.反トラストの狙いは,たんに企業の力を制限するだけじゃない――正しくやれば,反トラストは企業投資と供給を促進するはずだ.株の買い戻しや配当金よりも資本投資を優先するように融資系のインセンティブを変えるのも,経済成長志向の供給側政策だ.実際に必要で本当に建設されるなら,インフラも,政府が総供給を強化する事例に当たる.同じことは研究支出にも当てはまる.労働市場を売り手市場に維持し続ければ自動化の普及と技術進歩が早まるなら,それは需要側政策であると同時に供給側政策でもある.

というわけで,進歩派は供給を増強する大事な施策をすでにたくさん実施している.ただ,そのなかにもうひとつ,重要な項目を追加したい:それは,国家の処理能力だ ("state capacity") .

国家の処理能力」はいくぶんぼんやりした用語で,実のところ,「政府があれこれの物事をやり遂げる能力」というだけの意味だ.近年,保守派からの攻勢から防衛するだけに留まらず,もっとなにかをする政治的な余地があると認識した進歩派は,いっそう国家の処理能力に関心を注ぎ始めている.ヒューレット財団タイプのイベントで好まれているのは,”Code for America” 創設者の Jennifer Pahlka だ.その著書 Recoding America は,アメリカの官公庁を強化・現代化・改善しようと鼓舞するラッパだ.一方,ルーズヴェルト研究所では,国防生産法を利用して,煩瑣な許認可プロセスを飛ばして産業政策を迅速に進めるよう提案している人たちもいる.「アメリカを雇おう」は,戦略的石油備蓄その他のツールを利用して原油供給量を増やすことに関してたくさん検討をしている.総じて,官僚制の処理能力を増強する件は,進歩派シンクタンクではかなり頻繁に話題になっていて,産業政策の論議でたくさん語られている.

供給制約の時代には,進歩派が手がける解決策は,単純に各種リソースを稼働させることではなく国家処理能力に傾注するものであるべきだ.政府がインフラや住宅を建設したり産業政策を実施したりする能力を向上させれば,雇用提供も「やってる感」を出すだけのものではなくせるだろう――それに,インフレや政府の無能に対するアメリカ人の憤慨もいくらか弱まるだろう.国家処理能力は,供給を増強する方法として,規制緩和にとってかわる唯一の選択肢だ――基本的に,政府は民間部門に物事を任せるか,みずから物事をよりよくやってのける方法を学ぶか,どちらかをやるしかない.

進歩派は,より強力でもっと有能な官僚制を築き上げることに傾注するべきだ.政府がインフラ建設プロジェクトでぼったくられないように,進歩派は,各種の調達プロセスを改革するべきだ.法外な料金を要求するマッキンゼーのコンサル役立たずのインチキ非営利団体になにもかもを外部委託するのではなく,かつてのように計画立案を政府内部で行うようにあらためるよう,進歩派は手を打つべきだ.アメリカ政府を,東アジアのさまざまな政府と同じくらい効果的にするよう,進歩派は努力すべきだ.

だからと言って,「国家処理能力はアメリカの供給問題をすべて解決する」と思っているわけじゃない.規制緩和も同じくらい重要だとぼくは思っている――とくに土地利用の規制緩和は重要だ.ただ,規制緩和は超党派でできる――たとえば許認可改革法案はいま下院で審議されている――けれど,官僚制の強化を試みようとしているのは,進歩派しかいない.国家処理能力の増強は,アメリカを更新する課題で必要不可欠な要素だ.そして,それができるのは進歩派以外にいない.

新しい進歩派政策パラダイムを創り出そうとしている人たちにぼくから送る助言は,これだ:供給制約の時代には,雇用提供はかつてほど重要でなくなって,国家処理能力がいっそう重要になる.アメリカとそこに生きる人たちを全体としてもっと豊かで強くすることを進歩派の経済政策が目指しているなら,たんにいろんなリソースを再分配するだけではいけない.進歩派の経済政策が設計された当時の時代にではなく,いま身を置いている時代に対処しなくてはいけない.


原註

[n.1] ニューディールの各種プログラムと法律は3文字の頭字語が多かったけれど,新しい省庁は4文字の頭字語になっている場合が多い.理由はいまひとつわからない.

[n.2] 進歩派がこの点に関して一致団結していない点に留意.「アメリカを雇おう」では,インフラに対処しさらなる利上げが必要になるのを回避するために,医療支出の一部(たとえばメディケアの報酬率)を減らすよう提案している.

[n.3] というか,ネオリベラリズムのことを「いかなるコストを払ってでも経済成長を」式アプローチとヒューレット財団が呼んでいることをマット・イグレシアスがあれほど非難している理由は,これだ.たぶん,ヒューレット財団のインターンが手抜きしてウェブからコピペしてどこかのイギリス人社会主義者の論説からあのフレーズをもってきたんじゃないかと思う.ただ,「減税と規制緩和は成長政策の同義語だ」という(間違った)考えに数十年にわたって慣れ親しんできた事情が,ここには反映されている.あの考えを過去のものにする必要がある.


[Noah Smith, "The new progressive economics: some constructive criticism," Noahpinion, July 29, 2024]


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