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ノア・スミス「マドゥロとチャベスはいかにしてベネズエラ経済を難破させたか」(2024年8月1日)

Photo by Wilfredor

一国を担う身としてしちゃいけないこと

つい先日,ベネズエラで選挙があった.ベネズエラで長期にわたって大統領の座にあるニコラス・マドゥロが勝利宣言をしたものの,投票結果を不正操作したと広く信じられている.また,野党は,実際の得票数では決定的過半数を自分たちが獲得したと主張している.マドゥロ勝利を承認した国はごく一握りしかないし,その面々も心強くはない――中国,ロシア,イラン,北朝鮮,シリア,キューバ,ニカラグア,ボリビアという国々だ [n.1].ラテンアメリカ諸国の大半では――政治的左翼と結びついた多くの国々,チリ,ブラジル,メキシコ,コロンビアなどなどでも――指導者たちが承認を保留しつつ,得票数の集計についてもっといい証拠を示すように求めている.

不正に歪められたらしき選挙結果に憤慨するベネズエラの人々は路上で抗議デモを行っていて,これまでに少数ながら死者も出ている.群衆との連帯を示して無料でパンを群衆に分け与えるパン屋の劇的な光景などなども伝えられている.

「どうしてマドゥロはそんなに不人気なの?」 もちろん,その理由の多くを占めているのは,マドゥロが独裁者として選挙結果を不正操作したうえに抗議する群衆に政府軍を差し向けたことだ.でも,それよりずっと深い理由もある.それは,マドゥロ政権のもとで,ベネズエラが破滅的なまでの経済の崩壊に苦しんだことだ.これは,通常なら戦火に苛まれた国々でしか起こらない経済崩壊だった.ベネズエラ経済はすごく酷い状態におちいっていて(おまけに政府が情報を隠したがるせいもあって),世界銀行同国の GDP の数字の推計も持ち合わせていないほどだ.ただ,マディソン・プロジェクトではたらく人たちによる推計では,ベネズエラの生活水準は第二次世界大戦いらいの最低水準に達している:

この経済崩壊にともなって人々がどういう苦しみを味わったか知りたければ,『ブルームバーグ』が2021年に伝えた一連のベネズエラ報道をおすすめする.もしもぼくがベネズエラ市民だったら,やっぱり憤懣やる方なくなっていただろう.

「こんな悲しい状況に,どうしてベネズエラはいきついたの?」 多くの人は,ただめんどうくさそうに,「社会主義は決まって崩壊するんだよ」と言うばかりだ.マドゥロと彼の前任者ウゴ・チャベスは,自分たちは社会主義の闘士だというブランドを押し出しているので,彼らの失敗もソ連や北朝鮮みたいな国々の失敗の同類だとひとくくりにしたくなる.

でも,それはあまりにも安直な答えだ.一方では,後述するようにベネズエラの失敗はたしかに〔民間企業や資産の〕接収や価格統制みたいな下手な政府介入と大いに関わりがある.でも,あらゆる「社会主義」体制がみんな一様というわけじゃない.ベネズエラには,北朝鮮や旧ソ連のような中央計画体制がない.それに,ラテンアメリカにある他の「社会主義」の国々は――ボリビア・ニカラグア・キューバにいるマドゥロの政治的な盟友たちも含めて――どれひとつとっても,ベネズエラのような苦境に陥ったことがない.

ベネズエラの経済崩壊は「社会主義」の結果だといってやっつけてしまっては,マドゥロやチャベスが同国を破滅に導いた政策はどれで,その詳細はどうなっていたのかという興味深いところを無視することになる.

あと,「社会主義だから失敗した」というのよりもはるかに信用できない説明は,「資本主義」のせいにする説だ.たとえば,『ニューヨークタイムズ』の記者たちが最近の記事で試みた説明は,いっそ笑えるほどだ:

マドゥロ氏の先達にあたるウゴ・チャベス元大統領が創設した[ベネズエラの社会主義]運動は,当初,数百万人を貧困からすくい上げると約束していた(…).いっときは,その約束は果たされた.だが,経済学者たちによれば,近年,その社会主義モデルは暴虐な資本主義に取って代わられ,国家とコネのある一握りの人々が国富の大半を支配しているという.

この話はまるっきり馬鹿げている.『ニューヨークタイムズ』にこれが掲載されたのは,おそらく,同紙の内部で進行中の文化的な問題の反映だろう.アレックス・タバロックが書き記しているように,同紙の記者たちが言及している「暴虐な資本主義」とは,価格統制の一部をやめたり,アメリカからの送金を合法化したりすることだ.これらはいい処置だし,ベネズエラ市民の痛みを少しばかり和らげる助けにはなっている.経済の崩壊は,これらよりも何年も前に起きている.

「じゃあ,なにがベネズエラ経済を破壊したの?」 基本的には,次の3つの組み合わせだ:

  1. ベネズエラの国有石油企業 PDVSA の効率的な経営に干渉した

  2. 民間企業を大量の接収して国有化した

  3. インフレに価格統制で対応した

でも,この3点を述べていく前に,「アメリカによる制裁がベネズエラを破滅させた」という考えを片付けておこう.

ベネズエラ経済はアメリカによる制裁のずっと前から死にかけていた

マドゥロの盟友たちや彼を擁護する人たち,それに,アメリカを批判する人たちも,好んでこう主張する――「ベネズエラの崩壊は,アメリカによる制裁に責任がある.」 この主張はアメリカ内の報道にもたびたび登場する.たとえば,『ワシントンポスト』の最近の特集記事では,こう主張されている.「対ベネズエラ制裁は(…)アメリカに大恐慌がもたらしたものよりおよそ3倍も大きな経済縮小に寄与した.」

この見解に関連している人物でいちばんまともなのは,おそらく,ベネズエラの経済学者フランシスコ・ロドリゲスだ.彼は,ベネズエラ政府の諮問役をつとめ,いまはアメリカで教鞭を執っている.ロドリゲスは,経済政策研究所 (CEPR) にこれまでに数回の報告を書いている――2022年に一件2023年にもう一件ある.その主張によれば,アメリカによる金融制裁によって,ベネズエラの石油産業は大打撃を受け,同国の経済崩壊を引き起こしたんだそうだ.彼の CEPR 報告から引用しよう:

対ベネズエラ経済制裁が最初に実施されたのは2017年のことだった.トランプ政権によって,ベネズエラ政府および国有石油企業への配当支払と資金提供が禁じられた.一部の国家活動への制限は2005年にまでさかのぼり,また,一部の政府高官への個人的制裁は2008年にさかのぼるものの,我々の見解では,ベネズエラ経済の機能に顕著な影響を及ぼすほどその規模は大きくも体系的でもなかった.それが変わったのは,少なくとも2017年前半からのことだ(…)

2017年8月24日に,トランプ大統領は大統領令を出して,ベネズエラ政府または[国有石油企業の]PDVSA が発行する新規債権,さらに,ベネズエラ政府が直接または間接的に保有する発行済み債券の購入を禁じた.また,この行政命令により,ベネズエラへの配当金支払いも禁じられ,これにともなって,ベネズエラ政府が海外子会社の利益を用いて予算の財源にすることが妨げられた.この禁止の例外となったのは,短期の通商債券,既存の契約の終了,およびアメリカからの輸入農作物・医療品の購入だった.

この2017年の制裁措置によって,石油生産が破滅的なまでに瓦解したとロドリゲスは主張している:

Source: Rodriguez (2023)

経済制裁が主犯だという論拠でいちばん強くていちばんもっともらしいのが,これだ.でも,この論拠ですら,実は意味をなさない.タイミングが合わないからだ.

たしかに石油はベネズエラ経済の重要品目ではあるけれど,結局はひとつのインプットでしかない.ベネズエラの窮状をもたらした近因は,通貨危機とハイパーインフレだ.どちらも,2017年より前に始まっている.

まず,通貨危機について話そう.たいていの国々は,輸入品を買うのに外国通貨を必要としている.通貨の価値が瓦解すると,消費者はもう日々のいろんな品物を買えなくなる.ベネズエラ通貨のボリバルは,2018年に正式に切り下げられた.でも,闇市場に目を向けると――ベネズエラの人々が実際にボリバルをドルに両替しているのは闇市場だ――ベネズエラ通貨は2012年の中盤に価値が瓦解しはじめて,2016年9月までに対ドルで価値の 90% を失うにいたっている.

Sources: Dolartoday, government of Venezuela, via Nicolas Perrault III

これは,経済制裁のずっと前に起きている.ちなみに,2014年の石油価格下落よりも2年早い――石油価格下落もまた,マドゥロ/チャベス擁護の主張をする人たちが非難していた点だ.

ロドリゲスは,制裁前に起こっていた通貨崩壊が PDVSA を打ちのめした影響を完全に無視している.思い出そう.一国の通貨の価値が崩壊すると,外国通貨建ての債務の返済がずっと困難になってしまうんだよ.PDVSA は,まさにそういう借り入れをかなりやっていたから,2017年よりも前から,すでに破綻のお膳立てができつつあったわけだ.

通貨崩壊といっしょに,ハイパーインフレがやってきた.公式統計を見ると,インフレ率はじょじょに上がっていって,2016年初までに 200% に達している.独立の推計では,もっとインフレ率は高くて,しかもずっと早くから始まっている:

Source: Steve Hanke

通貨崩壊とハイパーインフレによって,ベネズエラの人たちが生活必需品を賄うのはきわめて難しくなった.ベネズエラ人の体重は 2016年に平均で 8キログラム減っていた.食料品をなかなか買えなくなったからだ.2016年5月12日の『アトランティック』誌に Moises Naim と Quico Toro が書いた記事から引用しよう:

この2年間に,ベネズエラで起きた事態は,およそ戦時でもなければ中所得国でそうそう起きない内部崩壊だった.死亡率は急上昇している.公共サービス次々と崩壊している.3ケタ台のインフレ率により,人口の7割が貧困におちいっている.手に負えない犯罪の波が起きて,夜になると人々は屋内閉じこもるしかなくなった.食品を買おうとすれば,買い物客は行列に並んで何時間も待たなくてはならない.病院で単純で安価な医薬品や医療器具が不足しているために多数の赤子が死亡した.また,高齢者や慢性病で苦しむ人々も同様だ.

2016年以降に(あるいはそれ以前から),他の報道機関による報道でも,まったく同じことが伝えられているのは,難なく見つけられる.ベネズエラのハイパーインフレ・通貨危機・生活水準の崩壊は,すべて,フランシスコ・ロドリゲスが非難している経済制裁よりもずっと前から広く伝えられて,よく知られていた.

また,ベネズエラとイランを比較しておくのも有益だ.イランも石油に依存した国で,2010年代にアメリカによるはるかに厳しい制裁を受けていた.そういう制裁の元でイランは停滞したし,2014年の原油価格下落で痛手も受けたけれど,イラン経済はおよそ崩壊と言えるような状況に陥らなかった:

とはいえ,2017年の制裁によってベネズエラの状況が悪化した可能性はある.インフレと通貨下落はどちらも2017年と2018年に加速した.ベネズエラが低調だったときにその経済に制裁を科したのは,トランプ政権の政策ミスだった.ただ,ここを見誤ってはいけない――トランプが制裁をはじめたときには,すでにベネズエラ経済は低調になっていたんだよ.

「じゃあ,ベネズエラの指導者たちはどうして自国を窮乏化させてしまったの?」 確固とした因果関係を見極めるのは難しいけれど,チャベス=マドゥロ時代に実施された3つのダメ政策が理由の候補に浮上してくる:国有石油企業のおそまつな経営,民間企業の接収,価格統制の3つだ.

国有石油企業のおそまつな経営

ベネズエラは石油国家だ.つまり,輸出収益と政府歳入どちらの面でも,原油の強く依存している.とはいえ,あらゆる石油国家がどこも一様というわけじゃない.たしかに,書類上ではベネズエラは石油の確認埋蔵量で世界一ではあるけれど,その大半は重質原油だ.その精製はずっと難しい.ベネズエラの原油には,硫黄のような不純物が大量に含まれている.これも,処理を難しくしている.このため,ベネズエラの石油産業を維持していくには,サウジアラビアやイランよりもずっと多くの投資が必要になる.

ベネズエラにとって幸運なことに,まさにそういう投資が長いあいだ続けられてきた.先見の明があり有能な国有石油企業 PDVSA のおかげだ(「ベ・デ・ヴェイ・サ」と発音する).1970年代に創設された PDVSA は,最優秀層の人材を雇用し,政府は同社のやることにたいてい口を挟まなかった.

ところが,90年代後半から2000年代前半に,ベネズエラの指導者たちは PDVSA の投資予算に手を付けはじめた.チャベスは,社会政策の資金に使うべく石油採掘を加速させた(それに,体制のいろんな縁故者への支払いにも充てていたのは疑いない).これによって,PDVSA は石油採掘を増やすのに必要だった投資を維持できなくなってしまった――というか,やがてはその採掘の継続もできなくなっていった.PDVSA のテクノクラートたちはこの動きに抗議し,チャベスは彼らを大量解雇した.2006年の当時に,『エコノミスト』誌はこう伝えている:

PDVSA は,専門家の知識技量と有能ぶりで評判を築き上げた(…).同社は,汚職や縁故ひいき(…)を比較的に免れていると考えられていた(…).間違いなく効率的で,[メキシコの]ペメックス社と並ぶ生産量を,3分の1の人員で達成していた(…).[だが,1998年に]選挙が近づくと,政府は同社の投資予算を削減した()).

ベネズエラの油田は,多大な維持労力を要する.そこから産出される石油は,標準的なものよりも粘度が高く酸性が強い(…).油層の天然の圧力によってただ噴出する油田は,10分の1に満たない.残りの油田から原油を湧出させ続けるには,絶え間なく水かガスを注入し続ける必要がある.そうしてもなお,その産出量は北海油田に比べておよそ2倍のベースで減少している.ベネズエラは,産出を横ばいに保つためだけでも,一日あたり40万バレルを産出できる新たな油田を毎年開発しなくてはならない(…).これは,言葉を聞いて想像するよりも高くつく.なぜなら,ひとつひとつの油田は,ほんの少量しか産出しないからだ:おそらく一日あたり 180バレルという産出量だ.これに対して,ペルシャ湾の油田では,一日あたり 7,000バレルも産出できるところもある.サウジアラビアの3分の1の産出量を達成するのに,ベネズエラはその10倍もの油田を必要とする.その規模が最大に達していた1997年には,PDVSA が44億ドルを投資していたのも,意外ではない.

1999年に大統領の座についたウゴ・チャベスは,同社からいっそうの金銭を搾り取りはじめた.2000年までに,投資は 25億ドルにまで減少した.PDVSA が虚偽会計で政府から利益を隠しているといってチャベス氏は非難した.また,同社の拡大計画と海外企業の買収を問題視した.なにより,チャベス氏は,同社の相対的な自律性を非難し,みずからの権威を押しつけるべく多くの敵対的なボスたちを同社に就任させた.

当然ながら,PDVSA の経営陣はこれを快く思わなかった.彼らは,2002年12月にゼネストに合流する.同社の4万名の従業員の半数が,彼らと行動をともにした.高技能職員の大半は,エンジニアや技術者も含めて,2ヶ月間にわたって就労をやめた.PDVSA の油田の多くは絶え間ない監視と処置を必要とするため,このストライキでその多くが枯れた.アナリストたちの推計によれば,ベネズエラはこれで 40万バレル/日もの生産能力を失ったという(…).だが,最悪の事態はこのあとにやってくる.チャベス氏は,スト参加者たちがサボタージュをしていると言って責め,彼ら全員を解雇した.その犠牲となった人たちがもっとも多かったのは,高技能労働者たちだった:管理職と技術者の3分の2が,同社を去って行った.PDVSA は,もっとも経験豊富で最高水準の従業員たちのほぼ全員を一度に失った.

これを批判する人たちによれば,政府は無能な縁故者に人員を入れ換えたのだという(…).同社と取引をしている人々は,PDVSA はいまや減少した投資予算を支出するのに苦しんでいるのだとささやく(…).PDVSA には,もはや自社の油田を維持することもかなわない.まして,達成を目指している新規プロジェクトの多くを完了することなど,のぞむべくもない[.]

他の情報源でも,同様の内容が伝えられている.

チャベスと彼の縁故者たちは,どうやらベネズエラの石油産業の技術的な詳細をたんに理解していないようだ――ベネズエラはサウジアラビアと同じだと彼らは考えて,「それはちがう」と彼らにあえて進言した人たちを誰かれかまわず解雇した.その結果として,ベネズエラの石油産出量は停滞し,ついには減少しはじめた.しかも,石油の純輸出量の方がいっそう痛手が大きかった.なぜなら,自国産の石油に混ぜる軽質スイート原油を輸入するしかなかったからだ.2014年の記事から引用しよう:

実に奇妙に思えることながら,ベネズエラ大統領ニコラス・マドゥロの政府は,初めて原油の輸入を開始する計画を立てている.ベネズエラ産原油と混ぜて,同国の石油産出量がさらに減少するのを食い止めようという目論見だ.実は,ベネズエラの軽質原油産出量は,ウゴ・チャベス前大統領が1999年に政権を取っていらい急落を続けてきた.同国は,オリノコ盆地産超重質原油に混ぜる軽質原油を切実に必要としている.軽質原油と混ぜないかぎり,オリノコ盆地産の重質原油はあまりに濃すぎて,パイプラインでベネズエラの港湾に輸送して国外に輸出できない(…).軽質原油の産出が減少した理由として,投資の欠如・軽質原油産出地域の調査の放棄・かつて軽質原油の産出を助けていた企業の国有化が挙げられる.このため,自国産の重質原油と混ぜる精製品を政府はすでに購入しているものの,さらに軽質原油の輸入まで余儀なくされる見通しだ.

この結果として,ベネズエラはいまも大量の石油を海外に売っているにもかかわらず,同国の純輸出量はチャベスの任期序盤に瓦解をはじめてしまった:

Source: AEI

しばらくの間は,これも問題にならなそうに思えた.石油価格は2000年代に急騰したから,純輸出が減少してもお金は政府の金庫に流れ込み続けた.さらに,チャベスが PDVSA の予算に手を付けたものの,石油価格の上昇のおかげで投資は崖から転げ落ちずにすんだ.

でも,チャベスによる PDVSA のずさんな運営によって,ベネズエラは大災厄に見舞われるお膳立てを整えつつあった.2014年に(チャベス死去にともなってマドゥロが後継した直後に)石油価格が下落すると,チャベスとマドゥロのもとでのPDVSA の慢性的な投資欠如がものを言いはじめた.産出量は急減しはじめ,政府の石油収入(下記グラフのピンクのバー)は,崖を転がりおちていった:

By Sorckas - Own work, CC BY-SA 4.0

これは,経済制裁が行われるずっと前のことで,ちょうどベネズエラ通貨の価値急落がはじまりハイパーインフレの入り口にきた時期と重なる.

というわけで,ベネズエラの崩壊をもたらした重大原因のひとつはウゴ・チャベスによる PDVSA のずさん経営だった.いったいどういう種類の「社会主義者」が国有石油会社をみずから損なって,ストを理由にその従業員の半数を解雇なんてする? あまりお利口な社会主義者ではないよね.

ただ,それと同時に,経済の他の部門に関してチャベスはまぎれもなく破滅的な社会主義的な行いをしていた.

接収と国有化

ウゴ・チャベスは,民間の商売にきわめて敵対的だった.これは,ABC ニュースが2013年に伝えていた話だ:

チャベス政権は,数多くの企業を接収または国有化してきた(その数を確認できた人はいないようだ).そうした企業の分野は,アルミニウム,セメント,金,鉄,鉄鋼,農業,輸送,電気,食品生産,銀行業,新聞・メディアにわたる.[経済学者の Gerver]Torres によれば,産業分野の民間企業数は,1998年の14,000から2011のわずか 9,000 に減少している.

社会主義を自称する多くの指導者たちが,天然資源企業や輸送・電気・通信といったインフラを国有化した.でも,チャベスは,それよりもっと多岐にわたってベネズエラ経済のかなりの部分を国有化した――スーパーマーケット,住宅,農業,金融,鉄鋼,観光,ガラス,セメントなどなど.2003年から2012年のあいだに,全体で,千をこえる企業が国有化された.

チャベスの縁故者たちがそうした企業を再分配のエンジンとして動かそうと試みはじめたときに必然的に起きた失敗事例の一部を,マンハッタン研究所〔保守系シンクタンク〕が記している

農業の国家統制が強まるとともに,ベネズエラの食料生産は20年で 75% 減少した.その一方で,同国の人口は 33% 増加している(…).農業の次には,電気・水・石油・銀行・スーパーマーケット・建設などの重要部門を現体制は国有化した.そうした部門のすべてで,政府は給与を増やし,製品を低コストで提供した.その結果として,地方では数日にわたって停電が続き,水道サービスの途絶が頻繁に起こり,石油産出量が減少し政府系企業が破綻した

どうやら,石油産業の場合と同様に,縁故者ひいきがここに関与していた見込みが大きい.

この種の国有化は,いくつかのかたちで経済に打撃を与える.第一に,政府はスーパーマーケットやセメント工場みたいなものを経営するのがあまり上手じゃない場合が多い.第二に,すでに国有化されていた PDVSA でやったのと同じアプローチを,こういう新規に国有化された産業にもチャベスはとったらしく,社会政策の資金を引き出すブタさん貯金箱にこれらを利用した.これによって,短期的に貧困は減少したものの,長期的には金の卵を産むガチョウを殺してしまった.

そして第三に,民間企業を恣意的に国有化すると,民間投資を敬遠させる巨大な逆インセンティブとしてはたらいてしまう.自分が事業家だったとして,いつ政府がいきなりやってきて全部をかっさらっていってもおかしくない状況で会社をはじめる理由があるだろうか(しかも,会社を召し上げるときの対価は政府が好きに決めてしまうんだよ)? [n.2]

その結果,ベネズエラの通貨はものすごく安くなっていた(ので輸出品がずっと安価になっていた)にも関わらず,2000年代に同国の石油以外の輸出は急減しはじめた:

Source: Central Bank of Venezuela via Wikipedia

チャベスによる接収は――そしてマドゥロによる接収も――ベネズエラをいっそう石油だのみの国家に変貌させていった.PDVSA のおそまつ経営と石油価格の下落によって同国の石油産業が痛手を負ったとき,ベネズエラにはもはや他に頼れるものはなかった.2010年代の災厄の種は,2000年代に蒔かれていたんだ.

余談だけど,マドゥロはたんに資本を接収しただけじゃない点は押さえておいた方がいい――マドゥロは,労働も接収した.労働者を強制的に徴用して食料生産に当たらせたんだ.以下は,2016年の記事からの引用だ:

ニコラス・チャベス大統領の政府は,新しい法令を発布して,同国の市民を強制的な労働に徴用する道を開いた(…).今回の法令によって,「公共企業・民間企業で勤務する人々に招集をかけて,国が後援し食料生産を専門に扱う組織に参加させられるようになった」と,先週,アムネスティ・インタナショナルが解説した.「市民たちは,そうした新しい企業で最短でも60日間の一時的な就労が強いられ,その後に元の職場に戻ることを許される場合もあるが,彼らの『契約』は自動的に更新されて60日間延長される場合もある.」(…)「ベネズエラの深刻な食糧不足に対処するために人々に農場で働くよう強制するのは,骨折をバンドエイドで治そうとするようなものだ」とアムネスティ・インタナショナルのアメリカ地域ディレクターのエリカ・ゲバラ・ロサスが語った.

これは,いままでのマドゥロやチャベスが試みたことのなかでおそらくいちばんソ連共産主義に近い.

価格統制

チャベス=マドゥロ体制を指さして「ほらね,社会主義はうまくいかないんだよ!」と言えるいちばん明快な事例が,産業の国有化だ.でも,これひとつきりではない.チャベスとマドゥロは,他にも,すごく破滅的な政策を重用した:それが,価格統制だ.

ウゴ・チャベスが価格統制を用いはじめた時期は,ハイパーインフレのはじまりよりもずっと前にさかのぼる.価格統制もまた,貧しい人たちに安価にモノを提供するべく行われた大衆迎合政策だった.案の定,これによって,早くも2000年代中盤に品不足が生じている:

昨年12月に,ウゴ・チャベス大統領が実施した政策では,各種食品の小売価格に厳しく統制し続けつつ,生コーヒー豆の価格を2倍にしようとした.この政策は,裏目に出たのかもしれない(…).少なくとも1週間にわたって,ベネズエラ各地のスーパーマーケットでは商品棚から焙煎コーヒー豆が消え去った.コーヒー生産者と卸売業者が販売を控えたためだ(…).2003年いらい,チャベス大統領は,コーヒー・豆・砂糖・粉ミルクといった一部の基本的な食品に厳格な価格統制を敷いている(…).だが,インフレを抑制しようと企図したこの措置に,ベネズエラのコーヒー生産者たちは冷ややかだ.利益率はゼロにまで減らされてしまったと彼らは言う.

ベネズエラの左翼指導者たるチャベスは,コーヒー焙煎業者がため込んでいる「コーヒーを最後の1キログラムまで見つけ出す」ために国家警備隊を用いることを承認した(…).それでも,ベネズエラ首都カラカスにある複数の食料品店によれば,コーヒー強制捜査がなされたところで,砂糖・トウモロコシ・粉ミルク・豆の店頭在庫が不足している事態には対策がなされていないという(…).店舗管理者たちによれば卸売業者や輸入業者からそうした品物が供給されておらず,その業者たちもまた,政府によってあまりにも低く設定された価格に不満を語っている.

食品その他の一般消費者向けの品物を備蓄・隠匿した者を厳罰に処そうとチャベスは試みたにもかかわらず,価格統制を受けて,人々は用心のために品物を手元に貯め込んだ.これによって,いっそうインフレは加熱した.これは,2012年にベネズエラ通貨が崩壊するのよりも前の出来事だ.2011年に,インフレ率上昇に対処すべく,チャベスは手を打つ.読者もお察しのとおり,さらなる価格統制が実施された:

石鹸・シャンプーなど18製品の価格は即時凍結される.また,他の部門も今後数ヶ月で検討される(…).コルゲートやペプシコーラなど多国籍企業も含め,企業は生産コストを報告しなくてはいけなくなる.役人が公正価格を設定できるようにするためだ.(…)これは,「人々を資本主義から守るため」の措置だとウゴ・チャベス大統領は述べた.(…)価格統制が最初に導入されたのは2003年のことで,料理油や米といった必需品が現在は規制されている.(…)新しい法律では監視される品目数が拡大され,洗剤などの掃除用品や,果実ジュースやミネラルウォ-ターなども規制されるようになる.価格統制される品目には,トイレットペーパー,歯磨き粉,使い捨ておむつといったトイレ用品・日用品も並んでいる.

その後,ボリバルの価値が瓦解し,輸入品の価格が急騰,インフレ率が跳ね上がった.チャベス死後にマドゥロが指導者となったベネズエラ政府は,この状況でなにをしたと思う? そう,ご名答――さらなる価格統制だ.これは2014年の記事からの引用だ:

この緊要に,ベネズエラは新たな価格統制法を制定した.これにより,企業利益に制限が設けられ,さらに,商品を隠匿したり値段をつり上げたりした者に懲役刑が科せられるようになる.これは,社会主義のニコラス・マドゥロ大統領によるインフレ抑制策の一環として実施される.(…)今回の法律では,商品の隠匿や,「経済不安定化」および食品の不正取引を含む犯罪に最長で14年の懲役刑が科せられる.(…)以前にチャベスが制定した法律では,食品の隠匿や価格つり上げに最長6年の懲役刑が定められていた.

重大な価格統制は,貨幣そのものの価格統制だった.2012年ごろから,ベネズエラの人々はぜひとも自分たちの通貨を国外に持ち出してドルと交換しないといけないと考えるようになった.これによって,ボリバルの価値は下がった.チャベスとマドゥロは,これに対して,為替レートをとても高い価値で固定する措置で応じた――市場が払ってもいいと考えているのよりもずっと有利な価格でしかボリバルはドルと交換してはならないと彼らは主張した.

ともあれ,チャベス/マドゥロの価格統制にともなって,社会のすみずみにまでどうかしてる恐怖体制が敷かれた.政府があちらこちらに手を伸ばして,基本的な消費者向け商品や食料を持ちすぎている人を誰彼かまわず見つけ出して処罰しようと血道を上げた.Moises Naim と Quico Toro が2016年に書いた記事からひとつ逸話を引用しよう:

我々の知るベネズエラ人起業家が2ヶ月前にベネズエラ西部でとある製造会社を立ち上げたとき,まさか工場のトイレにトイレットペーパーを置いていたのを理由に収監されようとは,当人も想像だにしなかった(…).

ほぼすべての基本的な製品(米・ミルクからデオドラントやコンドームにいたるまで)が深刻な品不足に陥るなかで,たった1個のトイレットペーパーを見つけ出すのすら,ベネズエラでは不可能に近かった――まして,数百名の従業員のように足りる分を確保するなど,のぞむべくもない.そこで,この起業家は闇市に赴き,そこでしかるべき解決法を見つけた:2~3ヶ月分のトイレットペーパーを一度に届けてくれる業者を探し出したのだ(…)

だが,問題は解決されなかった.

トイレットペーパーの配送が工場に到着するやいなや,秘密警察が踏み込んできた.届いたばかりのトイレットペーパーを押収した秘密警察はこう主張した――自分たちは,アメリカに支援された大規模な隠匿作戦を取り締まったのだ.マドゥロ政権の考えでは,そもそもベネズエラに品不足を生じさせたのは,この隠匿作戦にあるのだという.起業家と経営幹部3名は,刑事訴追を受けることになり,懲役刑を受けるおそれもある.

どうかな? こんな経済運営を何十年も続けていたら,豊かなままではいられない.(イザベラ・ウィーバールーズベルト研究所の人たちみたいな経済学者たちが,「価格統制こそインフレをしずめる最善策」なんて言うのを耳にしたら,このことを思い出してほしい.)

というわけで,チャベスとマドゥロはダメ政策でベネズエラ経済を難破させた.たしかに2014年に石油価格が下がったのはありがたくなかったし,2017年のアメリカによる経済制裁もそうだった.でも,大失敗の核心にあったのは,PDVSA のおそまつ経営,国有化,価格統制だ.このうち,PDVSA のおそまつ経営が「社会主義」かというと疑わしい.スト破りや国有企業の弱体化が行われていたからね.でも,国有化と価格統制は明確に21世紀の社会主義者たちが喜んで採用しがちな政策に数えられる.ボリビアなどの他のラテンアメリカ「社会主義」諸国は,この3点を全部はやらなかったことでベネズエラと同じ命運を回避した.

こうして,ベネズエラは他の国々にとっての戒めとなっている.左翼指導者を選挙で選ぶのはわるくないこともある――チリのボリッチ,ブラジルのルーラなんかはそうだね.でも,チャベス/マドゥロみたいに「革命」とは国内のあらゆる経済制度にレッキングボールをドカンとぶつけることだと思ってるタイプにはくれぐれも用心しないといけない.それは,狂気の道だ.

原註

[n.1] ここでも,ニュースで目にすることの多くは,第二次冷戦の一部だ.マドゥロは中国やその代理国から支援を受けている.なぜなら,彼はアメリカ側にとっての苦痛の種だと認識されているからだ.

[n.2] 案の定,反ユダヤ差別もここで一要因となっていた.

[n.3] キューバは例外で,ずっと昔に経済の大半を国有化していて,しかも天然資源に依存していない.そのためにキューバは貧しく停滞しているけれど,これまで小さな危機しか起こさずにすませてきた.


[Noah Smith, "How Maduro and Chavez wrecked Venezuela's economy," Noahpinion, August 1, 2024; translation by optical_frog]

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