スーパー歌舞伎 三代猿之助四十八撰の内 「ヤマトタケル」
祝!1000回達成
若手で勢いのある役者さんたちが看板となっている今回の作品。
主役はWキャストで、私は市川團子さんの演ずる
ヤマトタケルを拝見しました。
彼は若干20歳だそうです。
「ヤマトタケル」は1986年(昭和61年)2月4日、
新橋演舞場にて上演されたのが始まり。
私が見たのは夜の部でしたが、その日の昼の部で
1000回目達成というご縁をいただき、少しく感慨を覚えます。
この歌舞伎作品は哲学者 梅原猛氏が
二世市川猿翁(当時三代目市川猿之助)のために当て書きされた、
日本神話の英雄譚です。
市川團子さんは、亡き猿翁さんのお孫さんに当たる方、
澤瀉屋を応援する方々にとっては、
彼はまさに希望の光に違いありませんね
衣装の美しさ
まず目を引いたのが大和の国の王族のきらびやかな衣装、
その色彩の豊かさでした。
いかにも重量のありそうな髪飾りからは
キラキラシャラシャラと揺れる度ごと輝いて光を放ち、
おおいに目を楽しませてくれました。
各人の荘厳な打掛も見事で帝と大后が
並び立つ様は絢爛豪華そのもの。
打掛の裾周りの見せ方がまた風情があって、
立ち姿の足元にまとわすように美しく広げられたり、
後見の方が背後で持ち上げて後ろ屏風のように見せたり。
物言う衣装のオンパレードでした。
第一幕に登場する熊襲兄弟の衣装も壮観。
大和に従わない熊襲という国は九州南部にある…ということから、
南国=海のイメージなのか、
剛毅な兄弟の衣装にはそれぞれに
野太い“蟹”と“蛸”が背中にしがみつくようにあしらわれていて
驚きの打掛なのでした。
ヤマトタケル
帝の子供は双子の兄弟で、
大碓命と小碓命。
妻をすでに無くしている帝は
新しい大后を迎えている。
この大后がとても存在感がある人で、
市川門之助さんが演じておられます。
「海神別荘」の僧都役で印象の濃い方でしたが、
この大后の役では双子の兄弟を押しのけて、
自らの子を大和の国の世継ぎにという思いを強く抱く
したたかな后を演じています。
帝の傍らに黙して存在しているだけなのに、
ただならぬ雰囲気を醸し出している。
自分の策略がうまく進んでいることに、
声もなくのけぞって笑う姿が印象に強く残りました。
この大后の胸の内を悟って、
そうはさせじと父母を殺すという先手を策略する兄の大碓命。
それを押しとどめようとしてもみ合いのはてに
兄を殺してしまう小碓命。
帝は事情をよくわからないまま、
兄を殺した弟の小碓命に怒り、
死罪を申し渡そうとします。
しかし老大臣の命乞いを受けて、代わりに西の熊襲征伐を命令。
それが成功すると、次には東の蝦夷征伐、
はては伊吹山の山神の征伐への役目も言い渡し、
とうとう小碓命
(熊襲討伐の後はヤマトタケルと名乗る)は命を使い果たし、
この世を去ることになる。
この時、帝の心はどこにあったのか。
兄殺しの弟に、謀反につながる災いを感じたのか、
熊襲や蝦夷の平定を成功させるその力への畏怖があったのか、
最後までヤマトタケルを苦境に立たせ、
果ては死にまで追い詰めてしまう。
大和の国の主としての策略があってのことなのか、
ここは頼朝と義経の関係を彷彿とさせるものがありました。
一方、ヤマトタケルからすれば、
父親からの信頼が欲しいばかりに、
くじけそうになる気持ちを奮い立たせながら
数々の難行を乗り越えていきます。
父親からの『よくやったな』という言葉と、
心の通じ合う日を熱望する姿はまるで
「エデンの東」のキャルのようで見ていて切ない。
市川團子
市川團子さんの初舞台は2012年(平成24年)、
まさにこの「ヤマトタケル」のワカタケルの役でした。
当時8歳。
この年は同時に父親の市川中車さんの襲名の年でもあります。
市川中車さんは多くの方がご存じの名俳優香川照之さんです。
訳あって、46歳からの歌舞伎界入りという、
前代未聞の大変困難な道を選ばれました。
それもすべて澤瀉屋の血を受け継ぐ、
息子の團子さんのためだということです。
自分が捨て石になっても團子さんを澤瀉屋の名跡につなげたいと。
中車さんの思いの強さはとにかく、
團子さんはそれをどう受けとめてきたのでしょうか。
それがこの舞台の上に現れているのだと思いました。
ラストの名台詞
『私は幼いときから普通の人々が追わぬものを必死に追いかけてきたような気がする。それは何か、よくわからぬ。何か途方もなく大きなものを追い求めて私の心は絶えず天高く天翔けてきた。その天翔ける心から私は大きなことをした。天翔ける心、それがこの私だー』
その時の團子さんの凛とした声色と小さく引き結んだ口元、
遠くを見据えるまなざしからは、
憧れのおじいさまを目指そうとする気概が伝わるようでした。
まつろわぬ人々
当時、日本列島は数十か国に分かれて存在しており、
大和の国はその勢力を一つにすることを念頭に、
友好的な部族は引き入れ、
反抗的な部族に関しては武力をもってこれを制圧しました。
ヤマトタケルが派遣された熊襲や蝦夷の国々は
決して大和朝廷にひざを折ることをしない、
抗い迎合しない民=まつろわぬ人々といわれる部族です。
大和朝廷にとっては、目障りな存在ゆえ、
蜘だの鬼だのに比喩されつつ、歴史にその名を刻みました。
多くの先住民族がそうであるように、
自らの民族意識を大切にしながら生きていきたいだけなのに、
力ある制圧者たちに服従を強いられるのは、
何とも辛い歴史です。
熊襲のタケル兄弟を倒した小碓命は、
その兄弟から武勇を称えられて、
我が名を受け継いでほしいと“ヤマトタケル”の名をもらいます。
敵であり、自らの命を奪った相手であるのに、
呪いではなく賞賛を与えるという下りには、
どうもなじめないところがありますが、
素直にヤマトタケルが名前を譲り受けるあたり、
双方に尊敬の念があっての戦いであったということでしょう。
他にも他民族でありながら、
吉備の国のタケヒコ、蝦夷の民のヘタルベが
ヤマトタケルを慕って彼に付き従います。
“ヤマトタケル”という人が武勇の人というより、
迷い苦しみの中でもがきつつ、
必死に運命と闘おうとする誠実の人で、
それゆえ周囲の人々を引き付けるような存在として
描かれているように思います。
女性の生き方
そんな誠実で勇敢なヤマトタケルですが、
愛する女性が多数出現するところには
『この時代の考え方だしな~』と思うしかありませんでした。
もとは兄の妻であった兄橘姫を
正妻として里に残しながら、
ヤマトタケルを慕って追いかけてきた、
弟橘姫も寵愛するし、
その弟橘姫がタケルのためにこの世を去った後には、尾張の国のみずや姫も妻に迎える。
しかし、この三人の女性の主張には興味深いものがありました。
兄橘姫は夫である大碓命を
殺されて憎むべき仇のタケルであるのに、
大碓命の逆臣のふるまいを隠すために
兄殺しのいきさつを黙していたのだという真実を知ると、
彼女の心はタケルを慕う気持ちに変化していきます。
里に残りつつ、タケルの子供を守り育て、
その幼いワカタケルはやがて大和の国の跡継ぎに決まるのです。
それはタケルの思いの結晶が実った瞬間だったのかもしれない。
タケルは生きて戻ることはかなわなかったけれども、
兄橘姫はタケルの思いを守りぬくことに徹して
妻としての生き方を示しました。
弟橘姫は姉の正妻としての立場に対して、
引け目を感じつつ、しかしタケルの苦難に同行することで
身近に彼を助け励まします。
タケルたちの船を嵐から守るため、
自ら海の神への生贄となって、大波に身を投じます。
これは海の神への輿入れであり、
「海神別荘」の時の美女と同じように
弟橘姫は海の宮殿で
幸福な奥方様となるのでしょうか。
そうならば、弟橘姫は
姉と対等な立場を手に入れ、
同時に愛するタケルの窮地を助ける役目も果たすことができるのです。
海への輿入れに際し、皇后にふさわしく送ってほしいと、
二十四枚の畳を海に投じさせるという場面では、
悲しさというより彼女の女としての意地のようなものを感じました。
大和の国への帰還中、立ち寄った尾張の国では、
タケルが将来有望であることを当て込んで、
娘のみやず姫を妻に迎えるよう進言します。
その時の、みやず姫の「私は物ではないのよ」宣言が鮮烈でした。
そして、妻にするなら私を一番愛してほしいと。
若くて、自己表現を臆さないみやず姫の言動には、
生き生きとした女性の姿を感じます。
エンターテーメント
波乱に富みながらも、勧善懲悪ではない、
繊細な人間模様が描かれつつ、
しかしあくまで大活劇であることを大切にしているこの作品。
第一幕では異国情緒あふれる熊襲の館での大立ち回り、
第二幕では草原での火責めや、
荒れ狂う海の様子などをスピード感あふれる
ダイナミックな演出で驚かせてくれます。
第三幕に現れる、伊吹山の山神は
大和の国の神に追われて鬼神となったいきさつがあり、
当然タケルにも強い恨みを感じています。
この山神夫婦がまた良かった。
その神通力を数度使うと命が尽きてしまうとわかりつつ、
夫を助けるために雹を何度も降らせて、
タケルに致命傷を与える伊吹山の姥神。
「先に行って待っているぞ」と夫に言い残して姿を消す姥神と、
タケルに深手を負わせつつ刺殺される夫の山神も
妻の後を追うように死んでいきます。
(ちなみにこの姥神も市川門之助さんが演じている!)
この山神の夫婦愛が、単に勇ましい争いごとだけでない、
背景にある悲しさを浮かび上がらせます。
山神の化身、白い猪の動きにも目を見張りました。
やはりスピード感があって動きが滑らかで。
中の人はどんな人だったのかな。
そして極めつけの、タケルが白鳥になって飛翔していくエピローグ。
繰り返し、上演され、変化進化しながら、
しかし先代の思いは引き継がれていく。
そうやって生き残っていくものが
やがて古典といわれるものになるのだそうです。
ヤマトタケルもその一つなんだなぁと白鳥を見上げながら、
これから先のさらなる進化を楽しみに思いました。