本当にあった無肥料で高収量が続く農業(7) 結論
結論は英語でConclusion。「結論」というより、「結び」の方がしっくりくる。雑誌により異なるが、研究の目的に関して、主要な結果をもとに、明らかになったこと、まだ不明なこと、今後の研究の展望を述べるところである。関連して社会的意義にふれることもある。
結論
1はこの論文は何をやったか。2-6は調査結果、7は調査結果をもとに判明したことを述べている。シリーズの第1回に述べたとおり、査読の過程でタイトルを変更したため、結論もねじれている。とは言え、短期間での熱帯における土壌A層の形成が大発見であることは事実だ。
本当の結論
この論文の本当の結論は、「施肥農業の基盤である『養分収支説』とは別の原理による農業が実在する」というものだ。そのポイントは無肥料で施肥農業を上回る生産性があり、しかも持続できるという点だ。これは人類史を一変させる情報である。歴史上、農地の荒廃によって数多の文明が滅亡してきた。化学肥料もその運命を覆せていない。
余録
論文解説の第1回で、この論文のエッセンスはつぎの2つだと言った。
1.無肥料で高収量を上げる農地が実在した
2.無肥料にもかかわらず農地は肥沃化した
これを「問い」に言い換えてみよう。
1.少ない養分で高収量が得られる理由は何か?
2.農地が肥沃化する原理はどのようなものか?
答えは、農地は生産設備だとイメージすれば簡単だ。
操業時間に応じて生産量は増える
第1問の答えは、生産設備を長時間操業したからだ。
農地の生産物とは光合成産物だ。あまり意識されていないが、日射が強くなると光合成は頻繁に停止する。葉からの蒸散にたいして、根からの水の補給が間に合わなくなるためだ。停止時間が長いと葉がしおれたり巻いたりする。これは潅水では対応できない。水田でさえ光合成は停止する。これを回避するには、発達した根系と水分の移動性にすぐれた土壌が必要だ。施肥農業の場合、根系は小さく、土も単粒化して水分の移動が悪い。これに対し、調査圃場は分厚い団粒層にくまなく根が広がっていた。そして恐らく、根を遥かに上回る共生菌の菌糸が広がっているはずだ。施肥農業では、窒素施肥が糸状菌を抑制するので菌糸のサポートは期待できない。これが、無施肥が施肥農業を上回る収量を上げる理由だ。
養分は微生物が調達する
光合成が増えるのは良しとして、養分はどうなのか。疑問はここだろう。生態系はもともと、自立している。微生物には、窒素は空中の窒素を固定し、リン酸、カリ、その他の養分を有効化する能力がある。当然、それにはエネルギーが必要だ。結果論だが、光合成の一部を微生物に回しても、それを補って余りある量の光合成ができている。これは現象として事実だ。
実態はストックでなくフローに現れる
残る問題は、なぜ低濃度で養分が足りるのかという点だ。これは養分をストック(蓄積)として見るのではなく、フロー(流通量)として見ることで理解できる。たとえば、財布に10000円入っているとする。9000円使えば残りは1000円だ。これがストックの見方、つまり養分収支の見方である。これに対し、財布の1000円が、使うたびに補充されるなら、毎日1000円使うと1ヶ月で30000円使えることになる。しかし、財布はいつ見ても1000円しか入っていない。これがフローの見方である。養分の調達にはエネルギーが必要なので、これはエネルギーフローと見ることも可能だ。こうして、光合成の操業時間につながるわけだ。
肥沃化は生産設備の規模と同義
第2問の答えは、生産設備が増設されたからだ。
生態系は環境に応じて拡大縮小する生産設備だ。その主な材料は炭水化物とタンパク質つまり、水素、酸素、炭素、窒素だ。生産設備が拡大した土壌を分析すれば、全窒素と全炭素の増加として表れる。肥沃度の指標となる土壌炭素量は、生産設備のサイズを意味していることになる。
高C:N比有機物資材の投入は本質ではない
論文にはしていないが、調査圃場では2週間おきに作付けしており、生育の経過と土壌の状態のデータを取得できた。その結果を見ると、廃菌床の投入直後から収穫間際まで、土壌炭素量は差がなかった。さらに土壌呼吸にも差がなかった。つまり、生産設備に対して廃菌床の投入は識別できないほどの小さな影響しか及ぼしていないということだ。このことは、本編で述べた投入/産出比にも表れている。要するに、高C:N比有機物資材の投入は、土壌団粒化の重要なステップだが、新しい農業の本質ではない。
『養分収支説』とは別の原理による農業とは
調査結果は農業の根本原理につぎのような修正を迫るものだった。農業はその管理対象を、作物から耕地生態系に拡げることが必要である。そして、管理内容は、養分のストックの収支からエネルギーフローに変えるのが適切である。と。無論、この調査研究だけで、このような考えに至ったのではない。この研究の前後に実施した数々の研究の結果を総合しての結論である。それについては、改めて述べることにしよう。
(おわり)