ポッピングシャワー全人類好き説、崩壊
先日、研究室の同期たちとサーティワンに行った。後輩たちにもアイスを買っていこうという話になったが、好みが分からない。同期5人、妙に暑いフードコート内で考え込む。
「ポッピングシャワー多めにして、あとはお任せにしてもらおう」
私がそう提案すると、同期のうちの一人が「え!?」と声をあげた。
「ポッピングシャワー無しで、あとはお任せにしてもらおうって言おうと思ってた」
彼女の提案に、今度は私が「なんで!?」と声をあげた。
どうやら彼女はポッピングシャワーが嫌いらしく、「ミントフレーバーは苦手な人も多いだろうから、抜きにしてもらおう」という意図らしい。対してこちらはポッピングシャワーが大好きなので、「喧嘩にならないようにポッピングシャワーは多めにしてもらおう」という意図だった。
ポッピングシャワーは、サーティワンの中でも群を抜いて美味しい。ポーションカップをいつも家の冷蔵庫に2つか3つストックするくらい、美味しい。ミントフレーバーの爽やかさはしっかりありつつも、癖の強さが全面に出ないようバニラが優しくミントを包み込み、みんな大好き甘いチョコレートでおめかし。舌ではじけるポップロックキャンディでエンタメ性もプラス。味よし、見た目よし、エンタメ性よし。ファッションとグルメのどちらも兼ね備えたパーフェクトフレーバーだ。
「冷静に考えてみても、こんなポッピングシャワーを嫌いな人なんているはずがない」
そう考えた私であったが、研究室に帰って早々ボスにこう言われた。
「私、ポッピングシャワーはあんまり好きじゃない。ミントが苦手」
私は愕然とした。ボスがそう言うんじゃ、うちはポッピングシャワー嫌いラボじゃないか。
確かにミントは苦手な人多いだろう。
「しかし、ポッピングシャワーはそんなにミントの癖が強くないはずだ!」
そう思っていたのだが、よくよく考えれば私はミントが別に嫌いじゃない。プリンやティラミスに乗ってるミントもモリモリ食べるし、チョコミントも食べろと言われたら全然食べる。好んでは食べないだけだ。
「好んでは食べない」人と、「美味しくないから食べない」人。「食べない」という行動は同じでも、その実情には天と地ほどの差がある。ミントを毛虫のように嫌っている人々にとって、例えふんわりバニラで包み込まれていようが、ミントはミント。不味いものに何を足しても不味いのだ。
ちなみに妹にも尋ねてみたところ、「ポッピングシャワーは好きじゃない」とのこと。同じくミントが嫌いだからという理由だった。
私の中の「ポッピングシャワーは一番人気でみんな大好き」説が音を立てて崩れた瞬間だった。何故、このような思い込みをしていたのか? それはおそらく、私の生来持っている性質が原因だ。
私は自分と他人の境界線を引くのが苦手である。相手の愚痴を聞いていると「そんなの許せない!」と本人より怒ってしまったり、相手が理不尽な目に遭うと、本人より感情的になってしまう。自分が好きなものは全人類が好きだと無意識に思っている節があり、逆に自分が嫌いなものは全人類が嫌いだと思っている節がある。
例えば、私はかなりの甘党だ。幼少期は「こんな美味しいものを嫌いな人間がいるはずない」と本気で思っていたので、甘いもの全般を苦手とする人間がいることを知った時、大変な衝撃を受けた。
これはもう思考の癖というか感覚的なもので、無意識下に浸透してしまっている思考だ。思考の歪みは一瞬で直らないので、今のところ知識で補っていくしかない。そういった心づもりで生きていても、「これはみんな好きだろう」「これはみんな嫌いだろう」と気づかず思い込んでいるものはたくさんあると思う。今回のポッピングシャワー事件はこういった思い込みの一つだったわけだ。
今回の件で私の思考の歪みがまた一つ、改善された。ありがとう、サーティワンアイスクリーム。
それで結局、サーティワンのオーダーはどうなったのか。
私含めその場にいた同期たちは好きなフレーバーを選び、それ以外は20代前半が好みそうなフレーバーを店員さんの独断で選んでもらった。ポッピングシャワーを選んだのは私一人だけで、同期たちはチョコレートやストロベリー系のフレーバーを選んでいた。
まあでもさ、サーティワン全部美味しいよね。ポッピングシャワー以外だと、ラブポーションサーティワンとか好きです。
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