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【掌小説】コロボックル

その日、俺は山にタケノコを切りに行った。
といっても食べるためではない。
タケノコが成長して竹になると植林しているヒノキを枯らしてしまうから駆除に行ったのだ。

その時は六月も終わりで暑い日が続いていた。
それでなるたけ涼しいうちに済ませようと早朝家を出た。
件の場所はバイクで10分ほど山あいの道を行きそこの脇道を入ってすぐのところだ。
バイクを道の脇に停め山の斜面を見上げると案の定、ヒノキの間にタケノコがあちこち顔を出している。
皮を落として既に竹になったのも何本かあるようだが、ここから見る限りまだそれほど大きくない。

俺は手前の木をつかんで斜面によじ登るとさっそく手にした鎌でタケノコや若い竹をスパスパ切り始めた。
タケノコはもとより、竹もまだ若く柔らかいから鎌でも難なく切れる。

あらかた切り終わると木のそばに腰をおろした。
その頃には彼方の田や畑は日が差して明るくなっている。
俺はカバンから握り飯を取り出すと食い始めた。
朝飯を食ってないからすっかり腹が減っている。

すると
こんにちは。
近くで声がした。
振り向いたが誰もいない。
こんにちは。
今度はさらに近くで聞こえた。
男の子の声だ。
誰だ。
ここですよここ。そこじゃないもっと下。
それで下をみると人がいた。
いや人と言っていいのか、
見知らぬ文様のある藍色の服を着て立派な口ひげを生やしているのだが、
背丈が俺の手のひらくらいしかない。
お前さんは誰だい。
俺は尋ねた。
その時はまだコロボックルを知らなかったのだ。
コロボックルは答えない。
にこにこして髭の先ををいじって ピンと跳ね上がった先をいよいよピンとさせた。
どこからきたんだい。
すると
あそこからきた、と近くにある切ったばかりの竹を指差した。

もしかして月から来たのかい。
いえ、ですからあそこから来たんです。なんのことですか、月って。
首をかしげてきょとんとしている。
いや違うならいい。 
かぐや姫じゃあるまいし、馬鹿な質問をしたもんだ。
しかしなぜあんなところにいたんだい。下手すりゃ鎌で切ってたかもしれないよ。
はい。居場所が悪かったらまっぷたつにされるところでしたー竹林殺人事件、なんてね。
おまえ人間かい。
違います。
だって今そういったじゃないかー殺「人」事件って。
はは、言葉の綾ですよ。
にこにこしながら片手で髭を捻っている。
ーふん。
俺は握り飯をガブリとやった。
こいつが誰なのか、なんで竹の中に入ってたのか知らないがどうでもよくなってきた。
大体こいつが何者であろうが俺に何の関係があるんだ。

後で考えるともおかしな話だが、その時の俺はあまり驚いてなかったし何者なのかあれこれ尋ねるほど興味も持てなかった。

食いながら遠くの畑を眺めていると、青い菜っ葉服を着た男が枯草を燃やし始めた。
白煙が一筋立ち昇りチラチラと炎が見える。

俺は食うのをやめて片手で胸をさすった。
このあたりにすうすうと冷たい風を感じる。
どこか胸に穴があいてそこから風がしきりに入ってくるのだ。
穴のあいた原因はわかってる。
最近悲しいことがあったからだ。
今更どうにもならないことだ。
思い出してもしょうのないことだ。
けれどそれが起こってからもううんざりするくらい思い出してその時もそうだった。

あのお願いがあるんですが。
なんだ。
俺は胸をさするのをやめてコロボックルを見た。
いえ、その、それをですね、分けていただけないかと思いまして。
これかーいいとも。ほら。
そんなにいいんですか。
ああ。遠慮するな。もう十分食ったから。
ありがとうございます。それではいただきます。
そうして握り飯のところへくるとクンクン鼻を鳴らして、
竹のにおいがしますね。
竹皮だからな。
俺はタクアンをつまんでボリボリ噛んだ。
コロボックルは握り飯が大きすぎてどう食べたらいいか困っている風だ。
口に合うように小さな塊にわけてやるとまた礼をいって腰を下ろした。
腹が減っていたのだろう 、飯粒の塊がみるみるなくなっていく。
しかしがっつくのではなくどこか上品で可愛らしい。
これで髭がなけりゃ男の子なんだが。
その髭の下の口に時折白いものがちらちらする。
こんな小さいのに歯まで生えてるのか。
なんだか感心しちまった。

向こうの畑では火が勢いよく燃え上がってパチパチという音がここまで聞こえてくる。
菜っ葉服の男は次々に枯れ草を投げ入れ、
もくもくと立ち上った煙は次第に薄くなって初夏の空に溶けていく。

俺はまた胸をさすった。
食ったらさっさと帰るがいい。
ここにいても捕まって見世物になるくらいのことだ。
コロボックルは急に食べるのをやめてこっちをみた。
誰が見世物にするんです。あなたですか。そんな風には見えないです。
見た目で人を判断せぬがいい。
変わるんだよ人間ってのは。
言いながら俺は腰を浮かせた。
硬い地面にずっと座っていたので
尻が痛くなってきたのだ。
そこ、鹿の糞がありますよ。
俺は慌てて別の場所に尻を置いた。

昔、見せ物になったことはあります。
コロボックルは飯を両手に持ったままいった。
仲間とフキ畑で遊んでいたらいきなりパーンという音が聞こえて
びっくりして逃げ出したら転んで動けなくなって、それで捕まったんです。
猟師の人でした。
私はかごの中に入れられてそこで長いこと過ごしました。
何度も逃げようとしたんですがカゴがとても頑丈で出られなかった。
あるとき街に連れて行かれそこの広場で見せ物にされました。
大勢の人が私を囲んで何かしゃべったり笑ったり、
棒で突っつこうとしたりー私を買おうとした人もいて怖かった。
けれどその晩私はカゴから出ることができたんです。
すっかり酔っ払って、ご飯をくれた際カゴのフタを閉め忘れたんです。
そりゃついてたな。
でもそれからが大変でした。
コロボックルはそういって口をつぐんだ。
しばしの沈黙。
なるほど、つまりあのタケノコの中に入るまでにまだ色々あったってことかな。
尋ねると
ええそうです。話しましょうか。
話すのはいいが長くなりそうかい。
はい、とても長くなると思います。
そうか、どうするかな。

考えていると急に空が曇ってきた。
既に向こうの畑に人影はなくあれだけ燃えていた火もかすかな煙が立っているだけだ。
どこかでカラスがしきりに鳴いている。
遠くから正午を告げる鐘の音も響いてくる。
俺は弁当と水筒を片付けると鞄を持って立ちあがった。
用事がある。もう行かないとー元気でな。
そうですか。ごちそうさまでした。ごきげんよう。
コロボックルはペコリとお辞儀をして手をふった。

道路に下りてから見上げると
まだ手をふっている。
ずいぶん小さく見えると思ったら最初から小さいのだった。

それが五年前。
今はもう胸がすうすうしなくなった。
穴が塞がったのかもしれない。
けれどたまにコロボックルのことを思い出す。
妙に礼儀正しかったこととか飯を食っていたときに見えた歯のこととか、まあそうしたことだ。
そうしてあの時もっと話を聴いとけばよかったと悔やんだりもする。

あれから山へは行っていない。
ちっともタケノコを切らないから今頃どうなってることやら。


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