Did you see that ?
まだテレビ隆盛の時代だった小学生の頃、級友たちと朝、学校で最初に交わす言葉は、『昨日のテレビのあの番組、見た?』、だった。
“全員集合”、“巨人戦”、“ひょうきん族”、“金八先生”などなど。
加藤茶さんと志村けんさんの掛け合いを再現しながら、みんなで盛り上がり、掛け合いの再現を何度も繰り返しては終わりのない祭りが延々と続いていくような、そんな熱量で何かを語る事は今や、友人や共通の嗜好を持った者同士以外ではめったにない。
もっとも、職場でそうした熱量をふりまかれたら面倒くさくてうっとおしいだけだし、あまり近しい間柄でもない者同士なら、そうした会話は成り立たないのも自然だと思う。
昔はそうした者同士でも熱をもって語れる共通の話題があったという事で、それは話題を共有するという、行為そのものに熱を持てたという部分もあったわけで、SNS隆盛の今、共有する事に対する概念も共有の仕方も変わったという事だろう。
余裕がなくなった、という部分もあると思う。
個人においても集団においても。
経済的な事や生活の面で、昔と比べて余裕がなくなったとも思うが、それよりも昔と今とで大きく違う“情報の流通量”によって生じる“余裕の無さ”、というのもあるのではないかと感じる。
情報を追いかけるだけでへとへとになったりする。
私など情報の洪水の中で溺れているようなものだと思う事もあり、既に箱舟が必要な状態だがchat-GPTを開発したopen-AIのサム・アルトマンCEOはノアになってくれるのだろうか?
船底に穴があいてなけりゃいいが、とも思うが。
“AIの開発を6か月停止しようよ”という書簡に署名したセルゲイの友達(イーロン・マスク氏)は、数百億かけたロケットが打ち上げられるやいなや鉄くずと化していく光景に歓声と拍手を送る群衆の中、一人だけ渋面となっている傍ら、AIの新会社を起ち上げたようだ。
“僕が追いつくまで、止まっててね”とうさぎに言ってる亀にも思えるが、危機感を抱いている事については間違っているわけではないと感じる。
その危機感が正しい方向へと導かれるよう願いたい。
さて、読んで下さっている方は全く興味はないかも知れず、申し訳ないのだが、本記事で私が“あれ見た?”と熱をもって語らせて頂きたいのは(またかぇ?)と思われるとも思うが、何をかくそう“ボクシング”である。
熱をもって、といっても思わず長くなってしまった前振りの分、なるべく短くまとめたいと思ってはいる。
(思ってはいる、という事を一応書いておきたい)
右端のマーカーが小さく、スクロールの縦帯が長くなってるのは後半に画像を15枚ほど貼らせてもらったから、である。
4月はボクシング・ファンにとってはたまらない月となった。
以前“underdog”という記事で取り上げさせてもらったライト級の吉野修一郎選手。
世界に向けてその一歩目を踏み出す時を楽しみにしていたところ、対戦が決まったという話にワクワクしながら対戦相手を見た瞬間、(・・・嘘やろ?)と茫然となった。
シャクール・スティーブンソン。
PFP(体重差を無いものと仮定して戦ったとしたら強いのはこの人達、というランキング)トップ10の常連で、“ポジショニングの天才”と言っても過言ではないライト級のスーパースターである。
ディフェンスの天才と言えば、ボクシング・ファンであれば1989年から1997年頃まで活躍したパーネル・ウィティカー(ファーストサマーとは何の関係もない)を思い浮かべる人も多いと思うが(惜しくも2019年7月14日、交通事故で逝去されている。享年55)、シャクールのそれはウィティカーのパンチをよける事を主体としたものとは違う。
“ボクシングは結局はポジショニングの取り合いである”、という人もいるくらい、体の位置取りは重要なものだが、シャクールのディフェンスはポジショニング主体という感じで、例えばパンチをよけるにも、よけた後、相手の次のパンチを無効化するのに最も適した体の位置はどこかを頭に描き、そこに向かって体を動かしていく、といったように相手のパンチをよけている、と私には見える。
相手のパンチはよけられるという前提で(それも確定している前提として)、動いているとしか思えない。
ただパンチをよけるのではなく、1発目をかわした後は2発目を、3発目を無効化する最適解のポジションに体をもっていく、という感じで、フットワークとボディワークを使っているようにしか見えないのである。
20戦20勝10KOという高くはないKO率は、パンチのスピードはあるが、威力は強くないという事の他に、相手のパンチをかわす合間に“ついでに”自分のパンチを打っておく、というような時もあるからだ、と私は思っている。
(“ついで”と言ったが、これによって相手の攻撃が止まるのだから軽い事ではない)
通常、ボクシングで“手がでなくなる”のは、攻撃されてダメージが大きく、また打てば打った以上に攻撃されるから、といった場合がほとんどだが、肉体的にダメージはなく、激しく攻撃されるわけでもなく、ただ自分の攻撃がことごとく当たらないので段々手が出なくなり、しまいにはジャブさえ放たなくなる、というボクサーの姿を、このシャクールの試合で私は初めて観た。
31歳の吉野修一郎選手が世界へと踏み出す第一歩目の対戦相手がこのシャクール・スティーブンソン選手というわけで、それは例えるなら、『登山初めてです、これからエベレスト登ります、もちろん頂上までいきます』と言っているのに等しい。
案の定、ボクシング関係の識者は皆『さすがにちょっと厳しいかも』といった声がほとんどで、あの打たれても打たれても前へ前へと出るブルファイトで、一発当たれば5、6発打ちの連打ができる(スピードはあまり無いけど)吉野選手ならあるいは、と一抹の期待を持つ私でも(やっぱり無理があるかなぁ)と思わざるを得なかった。
ボクシングの試合で通常、レフェリー・ストップがかかるのは強烈なパンチを食らって立ち直れないほどのダメージを受けたと思われる時か、連打でめった打ちにされ、反撃に出る事はほぼ不可能、とレフェリーが判断した場合がほとんどである。
4月8日(現地時間)、シャクールの地元であるアメリカ・ニューアークの会場でブーイングの中、ウルフルズの“ガッツだぜ”にのってにこやかな顔で入場した吉野修一郎選手が、6R、レフェリー・ストップされた時、シャクールの軽いジャブに近いストレートを一発もらいはしたが、ダメージを受けたようには見えなかった。
2R、シャクールのカウンターでダウンを奪われたものの、そのダメージもなく、連打を受けたわけでもない。
単発のパンチを軽く、一発もらって少し体を引いただけである。
それでも、レフェリーは両選手の間に入って、右手を高く上げ、左右に振った。
試合途中、あまり連打を食らっていない状況でストップがかかろうものなら、会場はブーイングの嵐に包まれるものだが、吉野選手がストップされた時、観客からはブーイングのブの音も聞こえなかった。
どちらかと言えば静かな拍手に包まれ、それがやがて大歓声に変わった。
早すぎる、というより、それほど、それまでの試合内容において差があり過ぎたのである。
ストップされた事に納得いかない表情の笑いを浮かべていた吉野選手がボクシングをできたのは私が見る限り、1Rのみだった。
それでも世界最高峰に、それも敵地で挑んだ事はすごい事だと思う。
吉野選手の今後については、まだ詳しい情報は無い。
日本時間の4月8日には、2022年11月1日、あの“マッド・ボーイ”京口紘人選手を7RTKOで沈めた寺地拳四郎選手が、メキシコ系アメリカ人の24歳、世界フライ級2位のアンソニー・オラスクアガ選手と世界タイトル防衛戦を行い、9R58秒TKOで勝利を飾った。
“全盛期”という言葉は今の拳四郎選手のためにあるような言葉だと思える。
それほどまでに、ディフェンシブな形勢でもオフェンシブな形勢でも、体の出入り、パンチの上下の打ち分け、パンチを打つ時、相手のパンチを交わす時のタイミング、フットワーク、左右への移動、どれをとっても完璧だった。
ラウンド残り1分になると集中力が切れて、相手のパンチをもらうようになる事を除いては。
千載一隅のこのチャンスを絶対にものにする、と、勝って、もらえるファイトマネーの額を増やし、苦労をかけた母親に家を買ってあげるのだ、という対戦相手のオラスクアガ選手は素晴らしいボクサーだった。
解説の誰かが言っていたが、“対戦相手が今の拳四郎君じゃなければ、間違いなくチャンピオンになっていたでしょうね”という言葉の通り、拳四郎選手の集中力の切れ目を狙って放たれる左右のストレートとフックの凄まじいキレ、それを連打で繰り出し続け、再三拳四郎選手のボディブローを左右に受け、顔にも何発と受けて真っ赤になりながら、一歩も引かずに戦い抜いたそのファイティング・スピリッツはあっぱれとしかいいようがない。
特に7Rの激しい打ち合いは近年、まれに観る連打の応酬だった。
拳四郎選手のボディが効くと、両腕を脇におろし、フットワークを使いながらそれでも反撃を続けたオラスクアガ選手。
9R、ついに力尽きたが、恐らく何年かのち、その腰にベルトを巻いていると思う。
もしも1年後ぐらいに、再戦する事があったとしたら、その時は拳四郎選手の方が危ないのではないか?
そう感じさせるほど、素晴らしいファイトぶりだった。
同日、キックボクシングで“神童”と言われた那須川天心選手がボクシング・デビューを飾った。
日本ランキング2位を相手に、センスだけで主導権を握って試合をコントロールし、ほぼワンサイドの内容で判定勝ちした。
フットワークもパンチを打つ時の体重のかけ方も、ボクシングのそれでは無いと見受けられた。
にも関わらず、初めてのボクシングの試合で、ほとんど相手のパンチをもらう事なく圧勝したのである。
抜群の格闘センスというほかない。
次戦が楽しみである。
そして今日(いやもう昨日か)、真打ともいえるスーパーマッチが行われた。
ガーボンタ・デービス VS ライアン・ガルシアの無敗同士の世界ライト級タイトルマッチは“夢の対決”と言われ、スピードと強打のガルシアか、総合力のデービスか、という戦いは、7RデービスのKO勝ちとなった。
ガルシアの左フックと右ストレートも素晴らしかったが、ずんぐりした感じのその体つきから“タンク”と呼ばれるデービスのディフェンスからのカウンター、センサーのような働きをしていると思われる右の当てようとしないジャブ、そのジャブのような前手で距離を測り、危ないと見るや泥臭くなりふりかまわぬクリンチワークでガルシアの連打を防ぐなど、引き出しの多さとディフェンス、オフェンス両面の総合力でデービスがガルシアを圧倒していたと言ってもいいだろう。
極めつけは2R。
ガルシアの左フックを交わした直後のデービスの左ストレートは、クロスカウンターとなり、ガルシアをマットに這わせた。
あれほど綺麗に、見事なタイミングで決まったクロスカウンターは、私は“あしたのジョー”以外で見た事がない。
素晴らしい、タイミングだった。
1941年から1958年頃まで活躍したシュガー・レイ・ロビンソンというボクサーがいる。
古いボクシング・ファンなら知らない人はいないだろう。
世界ウェルター級、ミドル級の2階級を制覇し、モハメッド・アリやロビンソンの名前をそのままリング・ネームとしたシュガー・レイ・レナードなど後世の多数のボクサーに影響を与えている。
全盛期、記者会見で、“歴史上PFPであなたが最も強いのでは?”と記者に問われたモハメッド・アリは、『最も強いのは私ではない。シュガー・レイ・ロビンソンこそPFP史上ナンバーワンだ』と答えている。
ロバート・デ・ニーロがアカデミー主演男優賞を取った“レイジング・ブル”のモデルで、打たれても打たれても前へ出続け、最後には根負けした相手をノックアウトしてしまうそのファイト・スタイルから、実際に“レイジング・ブル”“イタリアの怒れる猛牛”と言われたジェイク・ラモッタと6回ものライバル対決を行い、ロビンソンの5勝1敗。
6回目の最後の対決は1951年のシカゴ、試合が行われた2月14日、同じ日の1929年のギャングの抗争事件になぞらえ『聖バレンタインデーの虐殺』と呼ばれ、語り草となっているこの試合を制したロビンソンは、“拳聖”と呼ばれている。
この人のドキュメンタリー・ビデオを観た時、こんなエピソードがあった。
誰との対戦だったか、よく覚えていない。
誰かとの試合でロビンソンが対戦相手をKOしたのだが、その時のパンチが左フックだった。
後に芸術と言われた左フックである。
画像の粗い昔の試合映像だったが、それでもその左フックの見事なまでの美しさをはっきりととらえていた。
(こんなにも美しい曲線がこの世にあるのか?)と思った。
その左フックを観ていた記者席のニューヨーク・タイムズの記者が、後ろを振り返り、仲間にこう叫んだそうだ。
『Did you see that?』(今の見たか?)
その時に観た左フックの画像を探したが、ネット上で見つける事ができなかった。
トップの画像が、その時の左フックを別角度から写したものかどうかはわからない。
Daniel A.Nathanという当時の大学教授が“Journal of Sport History”という本の中で、ロビンソンの事を書いた項がある。
その項のタイトルの文言の一部に、こう記されている。
“the Sweet Sience”
今日(というか昨日)、ライアン・ガルシアを7RKOで破ったガーボンタ・デービスは、“タンク”と呼ばれるずんぐりした体形と美形とは言えない顔立ちで、世界チャンピオンになってからも、自分の恋人への暴力行為等で何回も逮捕されている。
私生活ではクズ野郎でしかないのかもしれない、野獣ともいえるこの男に“Sweet”という言葉はもっとも似合わない形容詞だ。
にも関わらず。
ライアン・ガルシアを2Rに倒した時の左ストレートのカウンターは、“Did you see that?”と誰かに向かって叫びたくなるほどに。
シュガー・レイ・ロビンソンのあの芸術ともいえる美しい左フックの曲線を観た時のように。
マットに崩れていくライアン・ガルシアを観ている私の胸中に広がっていった感覚は、紛れもなく“Sweet”だった。
長文となってしまいました。
最後までお読み頂いた方、本当にありがとうございます。
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