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水 魚

こんなコラボはめったにお目にかかれない、と思わされた。
youtubeを漁っていて巡り合ったばかりなのだが、投稿させて頂く。

以前、何かの記事で取り上げさせてもらったストリートピアノ弾きのハラミちゃんと押尾コータローさんというギタリスト。
(某下着メーカー・女社長のヒモを思い出してしまったが、コータローさんに失礼だ・・・)

すごくいい交わり方(ちょっと表現が下品か?)をしている。

余韻がたまらない・・・。

ならば蛇足にしかならないのだからやめとけ、と思いつつ以下余談。

”水魚の交わり”、出典は、『三国志』の『蜀史・諸葛亮伝』。

とても仲がよく、離れがたい交際や友情のこと。
その関係を魚と水にたとえた言葉。

四字熟語辞典ONLINE より

三国時代、蜀の劉備玄徳が軍師に迎えた(207年頃の事と思われる)孔明とばかり始終会話しており、あまりの仲の良さに古参の武将が不満をもらした時、『魚に水が必要なように私には孔明が必要なのだ』と言ったという故事から、という事だが。

繁殖力の強い生物である魚は、中国古代においては隠語として配偶者・恋人を意味したという。

民歌や漢詩では魚を男性の隠語とし、男女の情愛や配偶の暗喩に用いられる例が多く、劉備は関羽、張飛の三人を兄弟のような関係としたのに対し、孔明との関係を夫婦のような関係に例え、”我ら義兄弟には何ら影響しない”と説明したそうである。

吉川英治氏の小説では、張飛が劉備・孔明の「水魚の交わり」に嫉妬しており、曹操軍に攻め込まれた際、劉備に「たいへんな野火ですな。水を向けて消したらいいでしょう」と皮肉をいう場面がある。(以上、Wikipediaより)

約1800年も前の事を本当だ、いや嘘だ、というのも野暮というものだが、”真偽や如何に”と、妄想のうす汚い羽根をばたつかせる(想像の翼をひろげる、とも言う)のも歴史の醍醐味だ。
(醍醐味の頭に”そ”を付けると粗大ごみになる)

劉備が”義兄弟”と表現した関羽と張飛との関係の始まりの場面として、”桃園の誓い”は三国志ファンの間では定食の味噌汁みたいなもので、”おなじみの”シーンだが、あれは三国志の時代から約1300年後に書かれた小説『三国志演義』に書かれたものであって、西暦280年から300年頃に書かれたとされる『正史・三国志』(中国・二十四史の中の一つ)には、そうした場面は出てこない。
(三国志自体は、西暦180年頃から280年頃までの約100年)

ただ、野戦将軍時代、主である劉備が従者の関羽・張飛とともに馬小屋(だったかな?ただの掘っ立て小屋だったかも知れない)で共に寝た、という主従の関係では本来あり得ない”一つ屋根の下”という事などが、事実として記録されている。

劉備の荊州時代(西暦200年頃から207年頃と考えられている。有名な”赤壁の戦い”が208年だからそれより前なのは確か)、ニートだった28歳の諸葛亮孔明を劉備玄徳が”三顧の礼”(孔明の庵を3回訪れて口説いたという。日本史では秀吉が木下藤吉郎時代に竹中半兵衛を口説いた場面を例える故事として使われる事もある)で、自分の旗の下に招いた、というのは諸葛亮孔明が『出師表』(西暦227年)で述べている事だが。

『出師表』以外の記録はない。
つまり、”三顧の礼”の出典は孔明の自己申告だけ、という事になる。
『魏略』という書(偽書の類とされる事もあり、あえて史書とはしない)には、孔明が劉備の所へ就職活動にやってきた事が書かれている。

『魏略』(ぎりゃく)は、中国三国時代の魏を中心に書かれた歴史書。
後に散逸したため、清代に王仁俊が逸文を集めて輯本を編したが、はなはだ疎漏であったため張鵬一が民国11年(1922年)に再び編した。

著者は魚豢(ぎょかん)である。
魚豢については事績が伝わっておらず、『魏略』の作者であること以外はほとんど分かっていない。
『三国志』の裴松之注に引用され残る文により、劉表と面識があったこと、その後魏に仕えたことが記述されている程度である。

魏略について劉知幾は「巨細ことごとく載せ、蕪累甚だ多し」と、内容繁雑であるとして批判している。
一方で高似孫は「特に筆力有り」と高く評価している。

Wikipedia『魏略』

『魏略』によれば、当時、荊州を治めていた劉表の”客将”のような身分だった劉備の所へ就職活動にやってきた若い諸葛亮孔明を、劉備は書生扱いして適当にあしらったという。

献上された牛毛を繋ぎ合わせながら(当時、軍旗を繋ぎ合わせるのに牛毛を用いていた)、孔明の方を見ようともせずに話す劉備に対し、孔明は、「将軍(劉備)は遠大な志を持っている身なのに、ただ旗飾りを結わえているだけとは」と皮肉を言い、これを聞いて劉備は青年をただ者ではないと思った、と描かれている。

この場面、色々な文献であげられているが、それぞれ細かい所やセリフの言い回しなどが違っており、上記はその様々な描かれ方をしている中の一例と思っていただきたい。

真実は一つだけ、という真理もあれば、真実は一つでなく、いくつもあるというのもまた真理だと思う。

三顧の礼が真か、それとも『魏略』か、”真偽や如何に”といった所だが、水魚の交わりを交わした者同士しか知らぬ真実を、水魚の交わりを交わした経験を持つ者ならば、あるいは知らぬまでも、交わった感触をもとに感覚的に”わかる”、という真実は、あるのかも知れない。

読んで下さった方、余韻をぶっつぶした事、お詫び申し上げます。


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