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Conversation

会話というのは、気心の知れた者同士なら楽しいものだが、見知らぬ同士だと双方にある種の緊張感を伴う。

見知らぬ同士でまるっきり緊張感のかけらもなく会話できるのは、大阪人ぐらいではないだろうか?(大阪をディスってるわけではない。念のため)

昔、10数年大阪にいたが、難波の場外馬券売り場で、もしくは京都競馬場で、あるいは阪神競馬場で、大体一人で行くのだが、行った先で人と会話しなかった事は一度も無かったと言っていい。

翻って東京に帰ってきてから、東京競馬場で、中山競馬場で、錦糸町の場外馬券売り場で、誰かと会話した記憶は1度だけしかない。

例えば大阪にいた頃、ゴール後の写真判定を待っている時など、周りにいる顔も知らぬおっちゃん達から普通に声がかかる。

“兄ちゃん、今の4番、差してる思うか?”
“いやぁ、7が残った感じしますけどねえ”
“うせやろ?勘弁してぇな、今のに4万いったんやで?わし”

2人で会話してると別の誰かが加わってきて、その次にまた別の誰かが、と、どんどん話の輪が広がっていく。

“いや、差しとるかもわからんで?今のは”
“せやろ?見てみぃ、兄ちゃん!差しとったらどえらい勝っちゃ!”
“なんぼいったて?”
“4万や、バラやけどな”
“わしは7が残った思たけどなぁ”
“なんでや、4万やで?4万!”
“いやあんたがなんぼ賭けたかはこの際関係おまへんがな”
“けど4万やで?”
“届いとらんのと違うか?”
“やめてぇや!4万や言うとんのに”
“いやそやからあんさんがいくら賭けたかは、”
“わしは差したように見えたけどな”
“そやろがぃ!”
“いやいや、届いとらんて”
“なんでやねん?”
“差したんとちゃう?”
“届いとらん、届いとらん”
“差してへんかったら、哲三(4番の馬の佐藤哲三騎手<当時>)ただではおけへんど?”
“わしが刺したるてか?”
“せや!4万やぞ?”

結果、おっちゃんの4万は紙屑になったわけだが(佐藤哲三氏も無事に引退され競馬評論家をなさっている)、関東の競馬場ではまずこうした会話をする事はない。毎レース、オッズとにらめっこしながらもくもくと発券機にお札を入れるのみである。

まぁ、それはともかく。
見知らぬ者同士が会話しなければならない場合というのに、例えば病院とか歯医者での医師との会話というのがある。

この場合、治療という大きな目的に沿って話をするので、会話をするという事に対してさほどストレスは感じないかも知れない。
会話にストレスを感じてる暇があったら、早いとこ痛い所を治してしまいたいというのも本音としてあるだろう。

実をいうと私は見知らぬ人との会話に苦痛とまで感じる事はほとんどない。会話なぞしたくもない、と思う時は多々あるのだが、基本人としゃべる事が好きなのか、これまで赤の他人と話すのが“苦痛”にまで至る事はなかった。

なんなら病院での診察時間は、診察や治療よりも医者と世間話をしている時間の方が倍近くあったりする。

(歯医者は別だ。歯医者へ行った時、私は生まれてから一度も言葉を発した事がありません、といった感じで無口になる。歯医者へ行けと言われると、アイアンメイデンの中に入れ、と言われたのと同じ様に感じる)

違う!違う!
こっちです。中世ヨーロッパの拷問具、アイアンメイデン(鉄の処女)。
さっきのはヘヴィメタ・バンドのアイアン・メイデン。

そんなわけで、人と会話をしなければならないという事が高いハードルとなって、行かなければならない所に中々いく事ができない、などという事があるのをこの年になって初めて知った。
それも、2ch(5ch)のまとめサイトで。

がーるずチャンネルまとめブログ
美容院苦手な人なら共感しそうなこと

48. 匿名@ガールズちゃんねる
ヘアスタイルをこーしたい、あーしたい、と考えては行くんだけど
いざ行くと、自分のヘアスタイルよりも、担当になってくれた美容師さんに気を使い過ぎて疲れる…

で、次の予約までが長い長い笑

70. 匿名@ガールズちゃんねる
余計なこと喋らず注文どおりにカットやカラーしてくれるAIロボット美容師出来てほしい

158. 匿名@ガールズちゃんねる
雑談は基本したくないけど、頭を人質に取られてるから美容師に悪印象与えるのも怖いしほどよく機嫌取りしたほうがいいんかなって変な気をつかって疲れる

1 名無しのがーるず 2023年08月07日 19:55 id:yWhCJVbO0
頭を人質めっちゃわかる
動きにくいように椅子に拘束されて、背後に刃物持った他人がいて、リラックスしてくださいね〜って無理でしょ

がーるずチャンネルまとめ より(保護されてない通信と出るので、リンクは貼ってないです)

(女性って大変だなぁ・・・)と思わされた。
私は床屋へ行くのに、カットしてくれる人との会話を思い浮かべた事はこれまで一度も無く、話したい時はカットしてもらってる間ずっと話してるし、話したくなければ寝てればいいだけだ。
髪の注文など最初に二言、三言言えば十分である。

途中後ろ髪の確認の時、寝てる場合は起こされるが、それを苦痛と感じた事も無い。苦痛要素があるとしたら、むしろスタリストさんとの会話が無い時である。

床屋で会話がないと、鏡を黙ったまま見続けなければならない。
髪を切ってもらってる間、このロクでもない顔を延々と見ていなければならないというのは、一体何の罪を俺が犯したというのか、という気分になる。
クソ面白くもなんともない。
で、寝ている事が多くなるわけだが。

見知らぬ人との会話を苦痛と感じる人にとっては、行くのを何回か先延ばしにしてしまうくらい行動に移す際、”決心”が必要となる一種のプロジェクトになるんだ、と一つ学んだ気がした。

そういった美容院事情とでもいうようなものが影響しているのだろうか。
昔は大体Qのつく所(某Q何とかハウス)へ行っていたものの近くに無く、最近は近場の安い所ばかり行っていたが、そこが閉店してしまった。
仕方がないので今日、電車に乗って何年振りかでQのつく所へと出向いた。
(今後髪切るのに電車乗らんとあかんのかぃ)と思いながら、ひさびさのQに着いた所で目を剥いた。

(1,350円って何や?何事や?いつの間に?)

とびっくりしたのもつかの間、さらに驚いた光景に出くわした。
私は1000円時代からQを利用していて、最後の方は確か1,100円だか1200円だった頃まで、約20年もQに通っていた。

これはたまたま私がそうなだけかも知れないが、Qにカットしにくる女性というのはその20年で2回ぐらいしか見た事がない。
どちらも、ジャージのような身なりで、“ちょっとそこまで豆腐だけ買いに来ました”的な“おつかいのついで”感あふれる雰囲気の中高年の方だった。

今日は開店から並んだわけだが、先頭から3人目まで全部女性だったのである。それも全員、小奇麗で洒落た服装の、先頭から妙齢、若い人、高齢の3人だった。子供を連れてきた、というのには何回か出くわした事はあるが、子連れでもない。

(え?何?Qに女性が髪切りにくるって、今、当たり前になってんの?)

と驚いたのである。(私が知らなかっただけなのだろうが)

もう一つ、新たな発見があった。
今日いったQは、ブースが3つだったので、開店後、並んだ順に3つのブースは先の女性3人で埋まったわけだが、このお3方にとっては単純に気味が悪かったかも知れず大変申し訳ないのだが、物珍しさについ見るともなしにちらちらと見入ってしまったのだ。
(一応“いかんいかん”という気持ちはあったので、がん見にはなってなかったとは思うのだが)

見入ってしまった、というより見とれてしまった、といった方が適切かも知れない。女性が髪を切られ、さっぱりとなっていく過程を見ていて、気分が不思議な清々しさに覆われ、(ほぇ~、みんなキレイになってく・・・何だ?これ?)とついちらちら見てしまったのである。

お3方とも元々こ奇麗な方だったが、見た瞬間咥えたたばこが唇からポロリと零れ落ちるような特別な美人というわけでもない。
それが、ちょっとづつ髪を切られていくにつれ、一房一房、少量の髪の束が床に落ちていく毎に、その一房分だけきれいになっていく・・・ように見えたのだ。

私にとってこれは新鮮だった。

やや時間が経って一人目の女性が終わり、次の中年男性がその席に座ったのだが、その中年男性がどんな髪型だったのか、黒だったのか白髪混じりだったのか、背格好や服装はどんなだったか、一ミリも覚えていない。

ところが3人の女性については、おおよその年齢、髪型、髪の色、しゃれた感じの服装まで全部覚えている。不思議と顔はどんな顔だったのか、あまり記憶にない。
顔の雰囲気だけ何となく覚えているという感じだ。

(女性って髪を切るときれいになるんだ!)という発見というと大げさだが、ちょっとした驚きがあって、女性が髪を切られている様子は、それだけで飽きずにずっと見ていられる一つの情景である、というのはある意味発見とでもいうべきものだった。
ふと“生け花”を連想してしまった。

私には生け花の知識はないが、高見さんにはある。

私にとってタイムリーな記事で、紹介されている生け花も見事だが、嵯峨御流の教えの深さには、色々と考えさせられるものがあった。

とにかく、自分も伸び放題だったうっとおしい白髪混じりをバッサリいってもらってから、何か得した気分で帰路に着いた本日の昼下がりであった。

面倒な美容院事情の影響で、Qなどカットオンリーの手軽な店に行く女性が増えているのだろうか?

大変なのは美容師との会話だけではないらしい。
そもそも行くとなると予約を取らなければならないのだから、もはや一大イベントである。他にも、女性ならではの感性というのも、美容院へ行くのに腰が重くなる理由となる場合があるようだ。

29. 匿名@ガールズちゃんねる
ターバン状態の自分って
この世の終わりみたいに
ぶっっさいくだよね
死にたくなる

がーるずチャンネルまとめ より

私はといえばこれからもそうだと思うが、床屋へ行くのに予約など考えた事もないし、会話について思いをめぐらす事も無かった。今日は1つ学んだ気はするが、さてそれが何に生かせるかとなると、とんと思い浮かばない。
私が床屋へ行く時の感覚といえば、大体こんな感じだ。

(約40秒)映画“グラントリノ”より

<空蝉意訳>
“どうだ?これで人間に戻ったぞ?散髪ぐらいケチらずに来い、クソ野郎め”
“お前がまだ生きてたんでびっくりしたぜ。死んでればもっといい床屋が来ると期待してたのに。アホなイタ公の床屋は客の迷惑だ”
“10ドル”
“10ドル?正気か?毎回値上げしやがって。ユダヤの血でも混じってやがるのか?”
“5年間ずっと10ドルだよ、石頭のポーランドじじいのクソッタレ”
“釣りはとっとけ”
“また来いよ、バカタレ”
“次来る時までにはくたばってろよ”

スタイリストさんにくたばれと思った事は無いので、あくまで雰囲気的にこんな感覚という事なのだが。
ところで今日、券売機に対しては、お金を入れながら思わず“正気か?”と言いそうになったが、すんでの所で止まった。

あの券売機はユダヤ製なんだろうか?

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