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鬼怒無月インタビュー#1

2024年1月25日にBondage Fruitの7thアルバム『Bondage Fruit VII』がリリースされました。前作『Bondage Fruit VI』(2005年)から19年ぶりとなるファン待望のニューアルバムです。

19年ぶりといってもBondage Fruitは解散したり活動休止していたわけではありません。2007年と2017年は1回もライブを行わなかったものの、それ以外は毎年1~6回のペースでライブを続けてきました。

ここで少し個人的な話をさせてください。

私は2008年に初めてBondage Fruitのライブに行き「森の掟」「振り子」「黒い生き物」「Caminante」「Cypress」「Happy Bastard」といった新曲群が披露され、ライブの場で楽曲が練り上げられるのを目撃してきました。

これらの新曲群が収録される次のアルバムはすごいアルバムになるだろうとわくわくして待っていました。しかし、なかなかアルバムは製作されませんでした。そのうちに私の生活環境も変わり都内のライブハウスに通うのも難しくなりました。

そして長い年月が経ち、遂に届けられたのが本作『Bondage Fruit VII』です。

本来であれば音楽雑誌なり音楽メディアがインタビューすべきだと思うのですが、残念ながらそういった話は聞こえてきません。

「誰もやる人がいないなら自分でやる」ということでBondage Fruitのリーダーである鬼怒無月さんへの電話インタビューをお願いしたところ、快く受け入れていただきました。

長いインタビューですのでまずは前編をお届けします。


Bondage Fruit結成の話

――まずは19年ぶりのニューアルバム発売おめでとうございます。私を含めたファン待望のアルバムです。

鬼怒:ありがとうございます。

――19年ぶりのアルバムということで、若い世代だとBondage Fruitをよく知らない人も多いのではないかと思います。そこで、まずはバンドの基本的なことをお聞かせ願います。

鬼怒:はい。

――Bondage Fruitは1990年の結成ですが、結成のお話を教えてください。

鬼怒:僕は大学を卒業してからしばらく普通に会社勤めをしていたんです。会社員を辞めてミュージシャン一本になり、当時は食うや食わずやで仕事もないぐらいでした。

当時の仲間が今でも一緒にやっている勝井祐二くんとドラムスの植村昌弘くんだったんです。勝井くんのバンド「デフォルメ」に当時僕は参加していまして、僕は僕であたためていた自分の音楽のアイデアがありました。

そのアイデアで自分のバンドをやりたいと思って、当時仲間だった勝井祐二くんとドラムスに植村昌弘くん、ベースの大坪寛彦さん、そして葛生千夏さんというCM作家ですばらしいミュージシャンでボーカリスト、話が前後するのですがその当時彼女のお仕事を何度かお手伝いしたことがあったので大坪寛彦さんとはそこで知り合いました。あともう一人、最初のセッションに1回だけ来ていただいたボーカルの方がいたのですが――ごめんなさい、その方の名前を完全に失念してしまって――そのメンバーで一度リハーサルをしました。そのときに皆で遊べる曲を2曲ぐらい持っていったのかな。

――はじめからオリジナル曲だったんですね。

鬼怒:はじめからオリジナル曲でした。はじめはよりインプロヴィゼーション指向というか、簡単なテーマがあってそれをもとに発展させていく感じで考えていました。

1回ライブをやってそこそこ面白くはあったんですけども、これはいけるぜという手応えを感じたわけでもありませんでした。僕のリーダーとしての不甲斐なさというか、もっと続ければよかったんですけども、これじゃだめかと思って。

デニス・ガンさんという日本在住のアメリカ人のアーティストを加えてライブをやったり三橋美香子さんを加えたりして、徐々にライブの本数が増えていって、1stアルバムを出すときには1stアルバムのメンバー、コアメンバーが揃うわけですね。

勝井祐二との出会い

――少し話が戻りますが、勝井祐二さんとはどういう経緯でお知り合いになったのですか?

鬼怒:勝井くんとは一噌幸弘さんのバンドで出会ったんですよ。一噌幸弘さんと勝井祐二くんが同じ学校の出身なんです。

――それは最近、勝井さんがTwitter(現X)でツイート(ポスト)されていて知りました。鬼怒さんの初めてのレコーディングが一噌幸弘さんのアルバム『東京ダルマガエル』(1991年)なんですよね。

鬼怒:『東京ダルマガエル』ですね。一噌幸弘さんと出会ったのが先です。一噌幸弘さんと出会ったから会社員を辞めたと言っても過言ではないです。その当時バブルの残りのような感じでああいうマニアックな音楽でもCDを出すことができて、それだったら会社員を辞めてミュージシャン一本でいけるんじゃないかと考えて辞めたんです。

Bondage Fruitというバンド名の由来

――バンドを結成したときからBondage Fruitという名前だったのですか?

鬼怒:そうですね。それは勝井祐二くんがつけてくれた名前です。

――バンド名の由来はなんですか?

鬼怒:勝井くんがたまたま知っていたアンダーグラウンドな映画のタイトルです。

メンバーの変遷

――ドラマーが植村昌弘さんから岡部洋一さんにメンバーチェンジしたのと、ヴィブラフォンの高良久美子さんが加入したのとどちらが先ですか?

鬼怒:高良さんが入ったのが先です。その当時やっていた植村くんのP.O.N.っていうバンドのメンバーが高良久美子さんなんですけども、P.O.N.ですごく仲良くなってBondage Fruitにも誘ったんです。

――ドラマーが植村昌弘さんから岡部洋一さんにメンバーチェンジした経緯を教えて下さい。

鬼怒:植村くんが脱退して。(Bondage Fruitの)1回目か2回目のライブで坪口昌恭さんのグループと対バンをしたんですよ。そのときのパーカッションが岡部さんだったんです。その後サンポーニャ、ケーナ奏者の瀬木貴将くんのセッションで(岡部洋一さんと)一緒に演奏することが何回かありました。この人すばらしいなと思ってお誘いしたんです。

1stアルバム、2ndアルバムの頃

――初期のBondage Fruitはボーカルが入っている音楽です。海外のウェブサイト(Wikipedia英語版、Discogs、Last.fm、Progarchivesなど)ではBondage Fruitの音楽はZeuhlと紹介されています。当時Magmaっぽい音楽をやろうという気持ちはあったのですか?

鬼怒:それはよく言われるんですけども、当時Magmaってあんまりちゃんと聞いてなかったんですよ。2ndアルバム『1001° centigrades』(1971年)を聞いて「なんだこりゃ」と思って、それ以降あんまり聞かなかったんですよ。

イメージがものすごいうさんくさいじゃないですか。日本での扱い方っていうか。ジャケットの影響もあると思うんですけども、H・R・ギーガーのジャケットとか、名盤と言われる『Magma Live』(1975年)でディディエ・ロックウッドが口から血とか垂らしてるじゃないですか。これはきっとろくでもないバンドだろうと思って。あとギターが目立たないのが僕的には食指が動かなかったんですよ。

――ギターがメインではない。

鬼怒:(メインでは)ないじゃないですか。高円寺百景は聞いてすばらしいと思ったんですよ。高円寺百景からの間接的な(Magmaの)影響はあるかもしれない。高円寺百景を聞いてすごく好きな感じの音楽だなと思って。

最初のコンセプトだと1stアルバム『Bondage Fruit』のような込み入ったアレンジではなくて、もっと本当にシンプルなテーマがあって、そこから音楽を展開させたい。リズムパターンのアイデアが昔からあって、このリズムパターンでこのメロディーで音楽を展開させたいみたいな。

自分の音楽的な知識も、どうすれば自分が思っているようになるかっていうそういうことを仕切る能力もなかったんであんまりうまくいかなくて、それで段々スコアを書くようになったんですよ。それが1stアルバムと2ndアルバムですね。

――久保田安紀さんはBondage Fruitの1stアルバムにも高円寺百景の1stアルバムにも参加されていますが、どちらのバンドに参加されたのが先だったのですか?

鬼怒:高円寺百景だと思います。高円寺の20000Vで、まだ高円寺百景って名前じゃない高円寺ユニットっていうバンドでした。久保田安紀ちゃんの仕切りだったのか僕はよくわからないですけども、高円寺百景の前身バンドを見ました。それですごく良いバンドだなと思って。どういう経緯で知り合ったのか僕も忘れちゃったんですけども、久保田安紀さんを誘ったんですよね。この人すばらしいと。

Zeuhl系のバンドからインストゥルメンタルのバンドへ

――1stアルバムと2ndアルバムはボーカルが入ったZuehl系の音楽だったのが、ボーカリストが脱退してインストゥルメンタルの音楽に変わりました。それはどうしてだったのですか?

鬼怒:具体的に言うとボーカリストが全員脱退してしまったんです。それはもうしょうがないっていうか。

僕はボーカルもアンサンブルの一部として考えたかったんです。当時のアレンジとか音環境の作り方とか考えれば、もっとボーカリストが楽に楽しめる環境を作れたのかもしれません。ボーカリストにしてみれば伸び伸びとできる環境ではなかったんだと思います。

僕がお願いしたボーカリストはいわゆるシンガーとしてもすばらしい人でした。そういう人にスコアを忠実にやってもらうっていうのは、僕の仕切りが悪かったと思います。

――みなさんシンガーとしても活躍されている方ですよね。

鬼怒:そこだけは最初から変わってないんですけども(Bondage Fruitの音楽は)全員フォルテ的なアンサンブルじゃないですか。ずーっと全員が好き勝手にっていう。余計に大変だったと思いますよ。

もっと僕がボーカリストのやっていることを聞いて、これだったらこうとか、ボーカリストも含めたコミュニケーションができたら違ったと思うんです。その当時はコンセプトが先走っているっていえばそういう感じでしたから。

海外のロックフェスティバルへの出演

――1990年代後半、Bondage Fruitは海外のロックフェスティバルに出演したり海外ツアーをしていました。

鬼怒:2回かな。ヨーロッパ1回、アメリカ1回。

――1998年に「Scandinavian Progressive Rock Festival」に、1999年に「Prog Fest '99」に出演しました。このときのお客さんの反応はどうでしたか?

鬼怒:すごくよかったですよ。

――「Scandinavian Progressive Rock Festival」はどこで行われたのですか?

鬼怒:スウェーデンです。イヨテボリかな。

――1990年代のスウェーデンというとまさにプログレ再興のムーブメントが起こった国ですね。1999年にはサンフランシスコの「Prog Fest '99」に出演しました。この頃には(フランスのMusea Recordsのサブレーベルである)Gazul Recordsから『Bondage Fruit IV』もリリースされています。

鬼怒:1枚出しましたね。

――アメリカのレーベルPangea Musicから1stアルバムから3rdアルバムの曲を集めたアルバム『Selected』がリリースされています。

鬼怒:それはフェスティバルを主催してくれた方が作ったCDだったんですけど、Prog Festが潰れてしまったんで、もはやどうなっているのかわかりません。

アルバムがなかなかリリースされなかった理由

――前作『Bondage Fruit VI』のリリースが2005年ですが、その後なかなか新しいアルバムがレコーディングされなかったのはなぜですか?

鬼怒:僕のエネルギーがちょっと低かったんでしょうね。『Bondage Fruit VI』は僕なりに今の編成でできるこれはすばらしいっていうことをやったんですけど、それに続く(アルバムを)どうすればいいのかっていう僕自身の音楽的な迷いとかも色々あったりして、なかなかCDを作るエネルギーが出なかった。

――CDが売れなくなったとかそういう話ではないんですか?

鬼怒:そういうことではないです。そういう意味では今の方が売れないですからね。

――Bondage Fruitは2010年からYaeさんをゲストにライブをしていました。この頃、Yaeさんが入った編成でライブアルバムをリリースするという話がありましたが実現しませんでした。それはどうしてですか?

鬼怒:一緒にやることで僕自身がうまい接点を見つけられなかった。彼女と曲を作ったりしたんですけども。

――この時期にYaeさんと一緒にライブをやるようになったきっかけはなんですか?

鬼怒:もともとYaeちゃんのアルバム『flowing to the sky』(2004年)のレコーディングとかに参加してましたし、一時期サポートを結構させていただいてましたんで、その関係でですね。もしかしたらYaeちゃんがなんかのイベントでBondage FruitでYaeちゃんのサポートをするっていう仕事を作ってくれたのがきっかけだったかもしれないです。

――2009年に横浜の開港150周年を記念したイベント「開港博Y150」がありました。それに関連したコンサートでYaeさんのバックバンドがほぼBondage Fruitでした(ベースが大坪寛彦さんではなく松永孝義さん)。これがきっかけだったのでしょうか。

鬼怒:そんなような気がします。

――曲ごとのお話は後にお聞きしますが、このYaeさんと共演した時期にできた曲が『Bondage Fruit VII』に収録されている「森の掟」「振り子」「黒い生き物」です。

鬼怒:そうですね。

――2023年にレコーディングをしよう、新しいアルバムを作ろうとなったきっかけはなんですか?

鬼怒:コロナ禍で自分自身も考える時間があって、自分の音楽活動をある種ちょっとリセットしたんですよ。それまでいろいろやっていたことを整理して、自分の得意なこと以外はあんまりやるのを止めようと思いました。

いろんな、例えばブラジル系の音楽とか、ある種のアメリカンルーツのフュージョンミュージックとか、あとジャズ、ある種のジャズですよね、そういう音楽ももっと勉強しようと思って結構やっていたんですよ。

――音楽の幅を広げるみたいな。

鬼怒:そうですね。でも、結局音楽って本当に思うんですけど「好きこそものの上手なれ」っていうか、本当に心の底から好きじゃないと。

技術とか知識で得た、例えばジャズってものを「こうしてこうすればジャズなんだな」っていうものは勉強すればできるんですけど、結局身につかないっていうか。

――その道が大好きな人にはどこまで行っても届かない。

鬼怒:届かないですね。

――それで、自分が特に思い入れがあってやりたい音楽を中心に活動していこうと思ったんですね。

鬼怒:そうですね。

――そういったなかで、COILの『ROCK ‘N’ ROLL』(2022年)やBondage Fruitのアルバムを作ろうと思ったんですね。

鬼怒:ええ。

»鬼怒無月インタビュー#2へ続く

Bondage Fruitのライブ情報

2024年5月4日(土・祝)
神田POLARIS
開場 19:30 / 開演 20:00
予約 4,500円 / 当日 5,000円(別途DRINK 700円)

2024年7月21日(日)
新宿PIT-INN
開場 19:00 / 開演 19:30
前売 4,400円 / 当日 4,950円(1DRINK付)

ライブ情報は変更される可能性があります。必ずアーティストのウェブサイト、および会場のウェブサイトでご確認ください。

関連リンク

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勝井祐二 公式ウェブサイト

岡部洋一 公式ウェブサイト