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僕はフツウ

僕は毎朝、自分の部屋だけ掃除機をかけています。

こんにちは、リョータです。
(今日は違った登場パターン。笑)

今日はその最中で気づいたお話をしようと思います。


アートにハマったあの頃


芸術、アート、カラフル、、奇抜!!

アートにハマったあの頃、、が僕にはあります。

ちょうど、僕がうつ病真っ最中の頃で
同時にアニメーターを辞めて東京から地元へ帰った時期でもあります。

歳は27くらいの時。

僕は見事にアートの世界に魅せられました。

「メンヘラ展」という言葉をご存知でしょうか?
おそらく知らないと思います。

一時期ツイッターで僕の中では流行りに流行った

メンヘラ活動を芸術活動へ!!

というテーマで動かれていたグループがありました。
僕も相当人生が行き詰まっているように感じて苦しかったこともあり

自分の内側では“これや!!“という雄叫びのような感覚と共に

メンヘラでもアートで社会に一石投じたい!
自分の存在意義を示したい!

という熱意で絵を描いていた時代があります。

その頃に描いていた作品を
勿体無いことに捨ててしまったので、手元にはないのですが

メンヘラ展の関係者さん(絵描き)と一緒にグループ展に参加したり
しました。

そのころは、
ビールを6缶収納するケース(型紙)、、、いわゆるゴミに
クレヨンやパステル、絵の具で画面をぐちゃぐちゃにしつつも
奈良美智さんが好きだったので
同じようなアートスタイルで、いろんなイメージを膨らませて顔を描く
ということをしていました。

60点くらいは作ったと思います。

アートな人になりたかったのです。
カラフルで奇抜!唯一無二!!

兎にも角にも

俺はすごい!生きてるんだ!!!と思いたかった。


今もよりよく生きたい!です。
同じやね。笑


何もすごくない自分


アートな自分を見出せたか・・・?といえば
そんなことはありませんでした。

芸術家を見ていて思うのですが、
僕が本物と思う人の一人に大竹伸朗さんという方がいます。


その方は10代の頃から作り続けている人で

60代?50代?の今になっても
とにかく朝起きたら、作品を作る・・・という生活をずっと続けている人です。
(本人が何回もそれを語っています。youtubeで検索すれば見られます。)


僕の定義では
芸術家は作ることを止めません。


止められないほどに習慣化しているし
誰にも理解されないかもしれないものを作りながら、
自分の生活への恐怖を感じながらも、
それでも作り続けられる人です。

年齢的にも立派な大人。。。が!!です。

それって
ありえないほど怖いと思うんです。


その自由に向き合える人が少ないのもわかるし
ちょっと常軌を逸しているとも思うわけです。

芸術家はだからこそ
わかりやすく自由を手にしているとも思うんですよね。


僕はフツウ


僕は無印良品が好きです。

個性のない無地の服、布、文房具、寝具、、、

いろんな雑貨がありますが、
今の僕は無印が好きですね。

アーティスティックか?
奇抜か?
カラフルか?

全くそんなことないんですね。笑

ただただ素朴です。笑


アートに憧れた
色が奇抜に憧れた
意味のわからないかっこよさに憧れた

それも自分です。

そういう自分もちゃんとある。

でも、僕はかなりフツウです。笑
どこまでいってもフツウなんだと思います。

服は自分に似合うものが着たい。
そこにカラフルや、柄はいらない。

身体にあった形をしている、似合う物がいい。
そして生地は軽くてサラッとしている肌感触の物がいい。


柄とか色で見ると地味なんだけど
なんか身体にピッタリきていて、見た目はそこそこ。

そんな物が好きです。


どこまでいっても地味で地道


僕はフツウだなと思ったのが

何をしていたとしても
地味で地道が好きだと思う感性があると分かったからです。


たとえば、

汚れが落ちにくいけど、確かに磨けば光るヤカンの掃除
が僕は好きです。

それはなぜか・・・


やった分の成果が確実に現れるから。
過程を含めて徐々に進んでいる感じも好きです。


なんかよくわからないけど、
一発で綺麗になる洗浄剤を、初めてのヤカン掃除で見つけてしまったら・・・

ヤカン掃除の手強さを感じずに
そして、改善や改良があることを知らないままに

ヤカンを綺麗にしてしまうことになります。

そこに
たくさんの地味で地道な方法から学べる生きる知恵があったとしても
それを知らないまま生きてしまうと思います。

手強い汚れとのやり取りの苦痛も
汚れを取り切った後の快楽も

何もわからないまま、ゴールしちゃうわけです。笑


それが正しいとか間違いとかはないと思います。

ただ、経験値はそこに残りません。
ただただ浅い。


モノを語るとわかります。

それを本当に理解してしゃべっているのか
それとも誰かから、どこからか聞いてきた言葉をしゃべっているのか
憶測を当たり前のものとしてしゃべっているのか


本音は嘘がつけません。

僕は経験値の足りない浅い人


その上で言わせてください。

僕は浅いっす。笑

とにかく臆病で、手の届きそうもない夢を
見ないように見ないように生きてきました。

動けるのは手の届く範囲だけ。笑

だから世界が広がらない。

そう思っています。

今はそういう自分であるとわかるので
これからは少し大きく動いてあげたい。


・言いにくいことでも伝えてみる。
・気になるグループに入ってみる。
・新しい人間と付き合ってみる
・イラスト活動に向き合う
・思いついたらサービス作る
・ブログやSNSでサービスの宣伝・告知をする


家にいても出来ることは案外あります。
僕は根っからの引きこもり体質なんで、家から外にはあまり出ません、、w


家にいても世界は広げられる可能性は充分ありますね。

それをしちゃってる人も知ってるので、確実です。


自分の中に答えは絶対ある。
答えを知るには経験をさせてあげないと
その答えを見つけられないな、、と思いました。



地味で地道 / 面倒臭いに蓋してる?


したいことがわからない、、、は

したいことが見つかった瞬間に
それをやってないだけだと思いました。


したいこと。
それ自体はなんの変哲もないことです。


鼻かみたい、、
綿棒で耳掃除したい、、
机の上の埃取りたい、、
歩きたい、、
風呂入りたい、、

滝に打たれたい、、、とかいう人もいるかもしれないですね。笑


その地味で地道なことに付き合うのって
めっちゃ面倒くさいし、大変・・・

でね


その面倒臭さに蓋をしてきた分、
人生は今よりもっと意味がわからなくなるんだよね


自分と向き合うってあるけれど
それはそんな大層なことじゃなくて

毎日の生活の中での
ふと浮かんだ、やりたいこと。


文章読んでたら知らない単語があって
どうしても気になってるのに
次々進んで読んじゃう・・・っていう人はいるでしょうか?


それって面倒臭さに蓋してる。

だからやりたいことが余計わからなくなる。


その単語を調べてあげるという一手間をかけないから
ボタンを掛け違える。

のではないかな・・・・と



自分ごとでありながら
日々そんなことを感じて
修正しつつ生きております。笑



フツウ人 リョータ

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